堀越牧師の書斎

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 マタイの福音書24:37節に、イエス・キリストが来られるとき、それは「ノアの日のようだ」と教えている。「洪水前の日々は、ノアが箱船にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました」とも書いているのです。イエスさまが再び来られる日も、そのようだというのです。つまり、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったと。
 ノアの大洪水のことは、創世記の6章から9章に出てきます。人類を絶滅するという、創造主の決断がなされ、実行に移されました。人間の悪に対する、創造主の激しい怒りが原因でした。しかし、なんとかして助けたいという思いから、ノアに箱船の建造を命じられました。ノアは命令にしたがって、箱船を作りました。救いの方法を示されたのは創造主ですが、人間にはそれに応答する責任があったということです。そのことは、今の時代にもおなじく適用されます。
 箱船にひとつの入口が作られ、入りたい人はいつでも入ることができたでしょう。しかし、周りの人は眺めているだけでした。「飲んだり、食べたり、めとったり、とついだり」していたのです。結局、ノアの家族8人だけしか入る人がいませんでした。
 「ノアが箱船に入るその日まで」とあります。創世記7:16節に、「それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた」とあります。救いにあずかることのできる日が定められています。その後、どんなに入りたくても、どんなに後悔しても、誰も入ることはできませんでした。
 イエス・キリストの再臨のときも同じだと、聖書は私たちに警告しているのです。信仰をもって、キチッと用意している人でないとタイミングを逃してしまうでしょうと。借り物の信仰かどうかが、そのときに試されます。
 今はまだ、一生懸命、救いの福音を伝えるときです。そして、救われる人が満ちると、戸が閉められ、さばきがやってきます。ノアの大洪水は、今の時代を生きる私たちにとって、最大の実物教育であることを忘れないようにしましょう。
 日本の教会は、このことから始めるべきだと思うのです。ノアの大洪水が、全地球的なものであったことを信じない牧師が結構いて、嘆かわしいと私は思っています。
 さばきと救いの計画を備えた創造主と、それに応えたノアの責任、そしてそこに入った人々の
決断と行為という関係です。雨が降り始めてあわてても、もう間に合わないときがやって来ます。
 イエス・キリストは天国に入るためのドアだと、ご自身で言われました。くどいようですが、ドアが閉まったら、もう、入れません。まだ信じていない人は、今のうちに、天国への門であるイエス・キリストを信じましょう。聖書のみことが真実だと信じるなら、ノアの大洪水の大事件も、その通りの事実です。そして、主の再臨のとき、まったく同じようなことが起こるということも信じることができます。ノアの大洪水のことを訴えていることの意味はそこにあります。そして、実物大のノアの箱船を建設したいのも、そのことの切実さを必死に伝えたいからなのです。
 創造主の計画と、人間の側の責任。伝えなければならないのが牧師の使命です。クリスチャンは入るための決断と「救ってください」という祈りが必要です。
 なんとか、ノアの箱船を建設したい。日本の心あるクリスチャンの賛同と行動を期待したいものです。

 


 
 



















 
   聖書の信仰、キリストの信仰を持つと努力家になることができます。
 子どもの頃の自分を考えると、ずいぶん変わったなあと思います。聖書のみことば、イエスさまのみことばが、自分の行動の言葉になると、考え方や行動が変わります。なぜかというと、主は愛する人を選ぶと、役立つ人になるように訓練するからです。 
 まず、主の選びとは、役立つ人々のことです。ヘブル12章の5節から7節を見てください。主は、ご自分が選び出した人(=キリストを救い主として告白した人)を訓練します。また、「その愛する者をこらしめ、受け入れるすべての人を鞭打つ」と書いてあります。要するに、愛の訓練を受けさせられるということです。
 だとしたら、平穏な毎日を送っている人は、主に愛されていないのかも知れません。ヘブル12章8節を見てください。誰でも受けるべき訓練を受けていなければ、その人は「私生児」だとまで言っています。
 私の大好きなみことばですが、ローマ書5章1節から5節に、「患難、忍耐、練達、希望」ということが出てきます。私は子どもの頃は、いやなことからは逃げる性格でした。しかし、主が私たちを扱う方程式が、患難を与えて練えることだとわかってから、耐えることと繰り返すことを学び、実践しました。その結果、根気強くなりました。というより、繰り返し行うことができるようになりました。
 「カンナン(主にゆだねる)、ニンタイ(一つのことを続ける)、レンタツ(証明する)、キボウ」といつもくりかえし、くりかえし告白し続け、周りの人々も励ましてきました。それらの根底に、主の愛が支えになっています。Ⅱコリント1章4節から6節に、苦しみの中に慰めがあり、それは他の人を慰めるためにもあると書かれています。
 結論として、クリスチャンの苦難は、本人のための訓練であると同時に、他の人を慰めることができるために与えられます。
 信仰によって、忍耐強い努力家として成長されることをおすすめいたします。

 四日市に牧師として招かれて、50年が経った。振り返ってみて、来てよかったと思っている。田舎だから、外から有名な講師を招くこともむずかしかった。だから自分で勉強して、実践するしかなかった。それがかえって良い結果になった。
 
心臓のステント手術を受け続けるうちに、霊的な問題も、こんな方法で効率良く治すことができないだろうかと考えた。肉体のいのちを救う方法がこんなに進歩しているのに、魂の救いは、日本ではまったくすすまない。

「私のやっていることが余計なことなら、治らなくてもいいです」と思って、手術台にのぼったことがあった。つらいことが、いろいろあったことでそんな気持ちになったこともある。で、「堀越さん終わりましたよ…」と医師に言われて、「ああ、続けていいのか。いのちありがとうございます」とベッドの上で座り直して、主に祈った。そのとき、創造主と人間のいのちが断絶しているわけだから、ここを直結すればいいのだと気づいた。それを「宣教のカテーテル法」と名付けた。

教会に7000坪の土地が与えられたけど、四日市市が建築許可をくれない。仕方ないので、ノアの箱船の実物大の規模でメタセコイアを植えることにした。メタセコイアは生きた木の化石と呼ばれている。ノアの大洪水を生き延びたもっとも古い木の一つだ。ノアの箱船を表すのに最適だと思う。

 
 ノアの箱船にこだわることに意味の一つは、世界人類がノアの子孫であり皆が兄弟姉妹だと知らせたいからだ。世界に争いが満ちている。だからノアの箱船の話を通して、世界平和に貢献したい。

広い土地があるから、駐車場のスペースに心配がいらない。新しい宣教法をどんどん伝えたいし、研修を受けたいという人が増えてほしい。動けるうちは、お招きいただければどこへでも行きたい。いのちをテーマにした宣教方法を伝え続けて、日本の同胞を一人でも多く救いに導きたい。ぜひ、多くの人がこの働きに加わって欲しい。

 

 

人間の復活は、免疫のことと関係がある。人は、お二人の方にお会いしなければ天国に入れないと聖書は教えている。すべての人の細胞には、固有のマークがついている。70億の人口で、同じマークの人は二人といない。かつて存在した人、これから存在する人のなかにも、同じマークの人は存在しない。人は、一人ひとり独自な、固有な存在として創造されたということだ。歴史上、自分という存在は、たった一人だ。

一方、本人の独自性を守り、異物を排除することが免疫の基本だ。免疫機能の基本は、その人の固有のマークにある。聖書では、それを「呼び名」と表現している。地上の「呼び名」が天で呼ばれると天で復活すると、聖書は教えている。地獄でその「呼び名」が呼ばれると地獄で復活することになる。地獄で呼ばれたら大変なことだ。医学や科学を調べると、聖書の話がよくわかるようになる。

天国に行く資格を持つことが、地上での人生の最大の目的だ。創造主と人間は、はじめの人アダムとエバの罪のゆえに赤の他人になってしまった。しかし、イエスを信じてバプテスマを受けると養子縁組を結ぶことができる。十字架の血で赦されて、創造主との関係が回復するという約束だ。ただ信仰により、一方的な創造主の恵みによって与えれるプレゼントである。

イエス・キリストを信じて洗礼を受けるまで、今まで、かなり時間がかかった。しかし、創造主を土台にしてから、わりと時間が早くなったように思う。

キリスト教の医療や福祉は、「死に打ち勝てる医療」を掲げることができる。そのことを、『人間はみな復活する』というタイトルの本にして訴える準備をしている。

今回の東北での震災を通して、イエス・キリストの名による復活以外、ほんとうの意味での希望はないと改めて教えられたのではないか。クローンがつくれても、それはまた死んでしまう。まことの復活を、ぜひ、日本の同胞に伝えたい。