ノアの大洪水のことは、創世記の6章から9章に出てきます。人類を絶滅するという、創造主の決断がなされ、実行に移されました。人間の悪に対する、創造主の激しい怒りが原因でした。しかし、なんとかして助けたいという思いから、ノアに箱船の建造を命じられました。ノアは命令にしたがって、箱船を作りました。救いの方法を示されたのは創造主ですが、人間にはそれに応答する責任があったということです。そのことは、今の時代にもおなじく適用されます。
箱船にひとつの入口が作られ、入りたい人はいつでも入ることができたでしょう。しかし、周りの人は眺めているだけでした。「飲んだり、食べたり、めとったり、とついだり」していたのです。結局、ノアの家族8人だけしか入る人がいませんでした。
「ノアが箱船に入るその日まで」とあります。創世記7:16節に、「それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた」とあります。救いにあずかることのできる日が定められています。その後、どんなに入りたくても、どんなに後悔しても、誰も入ることはできませんでした。
イエス・キリストの再臨のときも同じだと、聖書は私たちに警告しているのです。信仰をもって、キチッと用意している人でないとタイミングを逃してしまうでしょうと。借り物の信仰かどうかが、そのときに試されます。
今はまだ、一生懸命、救いの福音を伝えるときです。そして、救われる人が満ちると、戸が閉められ、さばきがやってきます。ノアの大洪水は、今の時代を生きる私たちにとって、最大の実物教育であることを忘れないようにしましょう。
日本の教会は、このことから始めるべきだと思うのです。ノアの大洪水が、全地球的なものであったことを信じない牧師が結構いて、嘆かわしいと私は思っています。
さばきと救いの計画を備えた創造主と、それに応えたノアの責任、そしてそこに入った人々の
決断と行為という関係です。雨が降り始めてあわてても、もう間に合わないときがやって来ます。
イエス・キリストは天国に入るためのドアだと、ご自身で言われました。くどいようですが、ドアが閉まったら、もう、入れません。まだ信じていない人は、今のうちに、天国への門であるイエス・キリストを信じましょう。聖書のみことが真実だと信じるなら、ノアの大洪水の大事件も、その通りの事実です。そして、主の再臨のとき、まったく同じようなことが起こるということも信じることができます。ノアの大洪水のことを訴えていることの意味はそこにあります。そして、実物大のノアの箱船を建設したいのも、そのことの切実さを必死に伝えたいからなのです。
創造主の計画と、人間の側の責任。伝えなければならないのが牧師の使命です。クリスチャンは入るための決断と「救ってください」という祈りが必要です。
なんとか、ノアの箱船を建設したい。日本の心あるクリスチャンの賛同と行動を期待したいものです。