🌙 透析患者としての俳句
昨年の12月に東京の大学病院で人工透析のためのシャント手術をし、1月から週三回の透析のため地元の病院に通院しています。もう子供の頃から覚悟していた人工透析でしたが、透析患者が障害者であるということを痛感する日々です。費用だけの問題だけではなく、いろいろな制約があることがもう辛くなっています。「透析うつ」という症状もあるそうですが、よく分かります。特にシャント手術をした血液透析の二本の針を刺す腕では、重たいものが持てないという制約はとても不便です。左手で鍋を揺するのも気がかりで、料理も思うようにできません。仕方なく冷凍食品などを使うのですが、こうした加工食品が人工透析中のからだによくないことは明らかです。明らかだけれども、どうしようもない。まさに「うつ」になりそうです。
透析を受ける日は、正午前に病院が手配してくれるマイクロバスに乗り、20分ほどで病院に着きます。それから、病院の待合で透析のベッドが開くのを待つことになります。
透析の時間は私の場合いまは3時間ですが、いずれは4時間となるようです。仰向けに寝て、ただ真っ白な天井を見上げての3時間です。左を向くと私の血が宙に浮いていて、その血を通す管がピクピク動いています。これが何とも不思議な光景で、最初の頃はただニヤニヤ笑っていました。でも、3時間の天井との会話はやはりメンタルによくないなあと思い、最近はスマホに好きな音楽CDを入れてイヤホンで聴いています。当初はきっとジャズがいいのではないかとビル・エヴァンスやソニー・クラークを入れてベッドで聴いてみたのですが、これはダメでしたね。真っ白な天井とジャズが合わないんです。結局、一番いいのはクラシックだと分かりました。それも、ブルックナーやマーラーの交響曲がいいです。1時間以上ありますから。ワーグナーもいいんじゃないかと思ったりもしますが、オペラのCDは残念ながら持っていません。
凍玻璃やシャント肢の痕鈍く痛む 堀川朽葉
挨拶を交わす廊下や寒波来る
踊り場に立ち「運命」と手足荒る
安堵には沈黙がよし寒灯下
寒三日月慣れし靴履き餃子屋へ
春近しわが血液の濾過の紅
老い人のひとりであると明日の春
春隣見上ぐる月に香りあれ
寒の雲透析室の天井に
春待つや老いたる者の言葉数
耳奥にラヴェルの舞踏寒の川
立春になる前に詠んだ晩冬の駄句です。
透析室を出るのが午後5時過ぎ。5時45分頃に7人の透析患者を乗せマイクロバスは患者を家まで送ります。市街地を抜け、バスは川沿いを進みます。見慣れたはずの川なのですが、真っ暗な夜にその川をじっくり見たことはあまりありませんでした。とても神秘的です。川沿いに立つ家々の灯りが水面にも映ります。こんもりした木々の黒い影は何かを語りかけてきそうです。そして、夜空にははっきりと冬の月が輝いています。その冷たい光に網膜が洗われているような気になります。ふと言葉が生れ、五七五になる。家に帰ってから記憶を頼りにパソコンにその言葉を写し取る。もう少し上手い句が詠めないものかと溜息をつきつつ透析のない明日をどう過ごすかをぼんやり考える。そんな毎日になりました。
これは長い旅の始まりなんでしょうか? それとも最後の休憩所なんでしょうか?
〈今日のひとこと〉
”君”を救ひにする物語全部嫌 西陽 テラリウムに満ちてくる/睦月都