前回 高校教員の平均的な1日を紹介した
でも これは嘘だ 大袈裟だというように感じられた方も多いと思う

しかし 高校教員に与えられた業務を誠実かつ着実に行おうとするならば あのような生活にならざるをえない
それほど教員の業務量は膨大なのである


ところが 実際には全ての教員があのよう毎日を送っているわけではない
そうであれば 教育はとっくに崩壊してしまっている
ならどうして 長らえているのか
それは 教員の業務が二極化しているからにほかならない


救命病棟24時の江口洋介のように 何でもこなす教員がいるとしよう
その人は教育に対する情熱もあり 仕事をバリバリこなす
すると どうなるか
多くの教員がその江口先生を頼りにする
そして多くの業務がその江口先生にしかできないと思われてしまう
結果 江口先生の業務は膨大になり 周りの教員の業務量が減る
しかし 江口先生は教育に熱心な先生なので与えられた業務を必死にこなしていく
周りの教員も生徒も保護者も江口先生を応援することがあっても 江口先生には無理とは誰も言わない
江口先生は素晴らしい先生という名誉と引き換えに膨大な業務を任されてしまう

これが 教員業務の二極化である
給料に見合うだけの業務だけをこなす教員も存在する
しかし そうするためには 仕事ができない教員 仕事をしない教員というレッテルに耐えなければいけない
給料並みの仕事をしていない人がそう言われるのは仕方ないだろう
しかし給料に見合った仕事だけをしようと思っても 教員はその屈辱に耐えなければならない
その屈辱は何も一生懸命働いている同僚教員からのみ浴びせられるものではない
一旦 不熱心という烙印を押されると 生徒も言うことを聞かなくなってくる

それでも 自分の心と体を守るためには そうするしかない
そうしなければ ゴールのないマラソンをひたすら走らされる

教員の仕事は今 そのような状態なのである

スーパー教員はひたすら頑張る
普通の教員は仕事ができないと言われてもいいので給料並みの仕事だけする
本当はスーパー教員ではないのに 仕事ができないと言われたくない教員はどうなるか



必ず倒れる


下手をすると命を失う


そうするしか逃れられない過酷さがここにあるのである
高校教員の平均的な毎日を紹介しよう


朝7時に学校に到着する
クラブの朝練習に付き合うためだ
朝練習をしないと 勝つための努力が足りないと周りから評価される
だから 朝練習に効果があるかどうかは関係ない
朝早く来てまで練習しているという姿勢を見せることが大事なのだ
しかし 練習中に万一の事故があってはいけない
教員は生徒よりも早く登校し朝練習の準備をしなくてはならない

8時25分
職員打ち合わせ
その日必要な連絡が行われる
臨時の職員会議になることもある

8時40分
授業開始
本県では 教員一人あたり週18コマの授業を持つように人員が配置されている
だいたい毎日3~4コマの授業を担当する


よく誤解されているが 授業がなければ教員は暇というわけではない
授業は教員のメインの仕事ではないのだ
教員の仕事に占める授業の割合はせいぜい3割程度である
では何をしているかというと
①担当教科の業務
授業の準備や学習状態のチェック(ノート点検など)
②担任業務
③分掌業務
④クラブの業務
⑤対外的な業務
(研究会や各種の校外での会議参加など)
などである
(それぞれの業務の詳細は後に述べたい)

12時10分
昼休憩
お昼くらいゆっくりと食事をしたいものだが そうはいかない
生徒と時間をとって話ができる貴重な時間なのだ
僕はたいてい生徒の相談に応じたり 個人レッスンをしたりしている
教員にとって昼休みは休み時間ではない

15時40分
授業終了
本校ではこのあと清掃時間となる

16時
委員会活動やクラブ活動がはじまる
終了時間はクラブによって様々であるが たいていは18時か19時には終わる
遅いクラブは20時以降もしていることがある

クラブを終えたらやっと残った業務に取りかかれる
したがってたいていの教員が学校を出られるのは20時以降となる
子どもさんがいたりして 18時には帰宅する教員もいるが それは業務を家庭に持ち帰っているだけで たいていの教員はこうした生活スタイルとなる

また休日はクラブ活動で学校に終日出てこなくてはならない

僕自身 学校に行かない日は年間に10日ほどでしかないのだ


このように 教員はその生活のほとんどを学校に拘束されてしまうのである

昨日が最終回だった

当初 江口洋介さんの骨折などバタバタと始まったけど 現代の救命医療の問題点を浮き彫りにする意欲的な作品になっていた
現代の救命医療を支えているのが 医師たちの忍耐と犠牲であり 早急に手を打たないと救命医療は崩壊するという主張であった


これを見ていて 僕は公教育にも同じことが言えると思った


教育も教員の忍耐と犠牲によって成り立っている
公教育もそのうち崩壊する



どうも政権というものは 公務員をいじめると支持率があがると思っているらしい
そして 様々な報道も公務員がいかに私服を肥やしているか 民間が苦しんでいるのに公務員は安泰だという報道を盛んに行なっている
果たして本当にそうなのだろうか

公務員はその大多数が国民市民のために自らを犠牲にして頑張っている
少なくとも僕はそう信じている

新政権になって これから公務員をどう処遇するのかは不明だが 「脱官僚」が公務員叩きに終わらないことを祈っている

勝手な言い分に思われるかもしれないが 官僚が叩かれるのは仕方がない
何故なら官僚の意志によって現在の政策が行われているからだ
政策についての批判を官僚が受けるのは当然だ
しかし 教育は違う
教育の内容は教員が決めているのではない
全て文部官僚が決めているのだ
したがってその責任は文部官僚が問われるべきで 教員にその責任を問うのはお門違いというものである

これからしばらくの間 いかに教員が崩壊に向かっているか そして教員が崩壊を防ぐためいかに忍耐と犠牲を強いられているか 述べていきたい