この記事 の中の専門家による分析の一文、『幼少期の虐待やネグレクトでアイデンティティーの形成が不十分』というのを読んで、親、特に母親の責任だと思う人は結構いるように推測する。
でもそこで思考が止まってほしくないなと心の底から願う。
起こってしまった事件に対して、責任の所在を明らかにして謎が解けたように一旦はスッキリするのかも知れないけど、でも根底では誰も救われていないと私は思う。
加害者の言った『(被害者が)非常に好きなので、彼女が直面した死の恐怖、苦しみ、痛みを味わい、共感してみたい』とか被害者家族に対しての謝罪に関して『苦しんでいることは想像できるが、共感はできないので、言える段階ではない』とか、ここに彼の『共感へのこだわり』が見える気がする。
マスコミは謝罪拒否と書いてるけど、拒否ではなく、納得していないからする必要も意味も見出せないし、できないんだと思う。
ただこの一言は被害者のご両親の心を深く深くエグる一言だろうなと思った。
この事件を通して、現在の子供達、まだ生まれていない未来の子供達に何ができるかと考えられる世の中になればいいなと思う。
私の記憶している学校での性教育は『仕組み』だけの授業で、親になることに対しての情報が欠落していたように記憶している。
親からの性教育は特に何もなく、思春期には汚らしい行為と教えられたのに、結婚したら早く子供を作れと矛盾した感じで、未だにそこは私の課題であると自認してるし酔拳にも話してある。
道徳の授業はいじめとか社会での弱者とかそういうのが多く、家庭内での話題は全くなかった。
今もあんな感じの無味乾燥な授業なんだろうか?
何と何がくっついたら妊娠するでしょうか?なんていうテストや、弱い者いじめはいけません、と一辺倒に掘り下げる事もなく『当たり前の事』として作文を書かせるような授業。
いっそのこと、性教育と道徳を組み合わせて、子供とのかかわりや社会とのかかわりとかそういう授業の方が子供も考えるのではないだろうか?
彼がしたことは許されることでも擁護されることでもない。
でもこの事件は子供の寂しい思いが歪んでそして増幅して起きた事件のように思う。
やっぱりIt takes a whole village to raise a kidと言うのを社会全体で考えないといけないなとしみじみ思った。
