顔を真っ赤にして怒っているここの音楽院の教授であろう、審査員らしき男性にむかって、私は「志望理由書を書いてきたので、見ていただけませんか。」と書類を渡した。
志望理由書は提出が必要な書類ではなかった。
だが、音大卒業という出願条件を満たしていない私である。最後は交渉が必要になる可能性も考えて、欧米の通常の大学では要求される志望理由書を用意していたのである。
しかし、激昂していたその人は、その書類を受け取るや否や、「こんなもの!」と言って、空中にばーっとぶちまけたので、書類がヒラヒラと空中を舞った。
それは、バイリンガルの人に翻訳を頼んで200ユーロもかけて翻訳してもらった志望理由書だった。
親に好きだったピアノを無理矢理辞めさせられ、音楽の道を断たれたこと、父が亡くなった今になっても、父を許すことができず、親を相変わらず憎み続けていて苦しいこと、この苦しみから逃れるために心理学も学んだが、心の傷は癒えず、そういう方法ではこの傷を直すのは無理だと観念したこと、今からでも音楽をやり直し音大に行きたかった思いを遂げたいこと、そうすれば、音楽の道を断ったことで親を恨み続ける代わりに、音楽を始めさせてくれたことを親に感謝できるようになるのではないかと思っていること、が書かれていた。
しかし、空中を舞っているその書類を眺めながら、こうした努力も徒労だったと私はぼんやりと考えていた。
「ここは、あなたのような人が来るところではないのだ!あなたが何を弾けたとしても、ここには、音楽の専門教育を受けてきた人しか入れない!そして、あなたは音楽の専門教育を受けていない!」
私はそれに応答しようとしたが、その国の言語で話すことができなかった。英語からの類推で、相手が言っていることはだいたいわかるし、日常会話ぐらいならできるのだが、こみいった自分の意見をその言語で言うことは、難しい状態だったのである。
「すみません、英語で話してもよろしいでしょうか?」
「駄目だ!私は英語はわからない!
だいたい言葉もしゃべれないくせに、受験してくるなんて、一体どういうつもりなのだ!言葉がわからなくて、一体どうやって学ぶのだ!言語をまずマスターしてからくるのが筋だろう!それに、英語ができるのなら、この国の言葉だってそんなに難しくないはずだ!」
私の余計な一言は、彼の怒りを増幅させ、火に油を注いだ状態だった。
そのため、簡単な内容しか言えない私は、意見を言うのを諦め、その国の言葉で簡単な内容のことをたどたどしく言った。
「私はピアノコンクールで7回連続で優勝しています」
と経歴書を見せた。
「ふん!こんなローカルな子供のコンクール歴なんか、なんになる!」
その人は吐き捨てるように言った。
私は俯いて、床にバラバラに散らかっている志望理由書を見ながら、もはや万事休すだと思っていた。