音楽院の受験を出願してからしばらくして、2次審査の日程の連絡がきた。
指定された日は、およそ3週間後で、その音楽院に直接出向いて演奏せよ、とのことである。
外国に在住の場合は、音源を送ればいいのだが、私が既にその街に住んでいることが住所からわかったため、直接来なさいということになったのだろう。
予想した通り、この国の事務処理は雑だったらしい。書類の内容を精査せず、卒業証明書という形式要件が整っていたので、機械的に2次審査に進めたようだった。
もっとも見落としであることは確かなのだから、そのまま今後も順調に進むかどうかは不透明だった。
が、とりあえず2次試験会場に行かせてもらえることになったのである。
私は実技のピアノの練習を始めた。
2次審査までたった3週間、準備できる期間はあまりに短い。しかも久しくグランドピアノには触れておらず、電子ピアノのみで本場ヨーロッパの音楽院の実技の入学試験に臨むのだ。生きた心地がしなかったが、仕方がない。プレッシャーと緊張で、食事が取れなくなり、スポーツ飲料水のみで、栄養分を摂る生活が3週間続いた。
曲は、今自分が弾いているような曲ではダメだ、もっと難しい曲を弾かなくてはと思い、と慌てて用意した曲。レッスンは近所のピアニストの人にお願いして準備した。
いよいよ試験の当日がやってきた。
音楽院の指定された場所に行くと、何やら50代ぐらいの男性が女性を大声で怒り、罵っている光景に出くわした。頭ごなしですごい剣幕である。
よく聞いてみると「よく見ろ、○○大学だ!○○大学が音大か⁈」とこの男性は私の母校の名前を何度も連呼して、女性を罵っているのである。
私の提出した卒業証明書をよく見ずに2次審査に進めたために、この女性が怒られているのだとピンときた。
思ったより大変な事態になっている。しかしもう仕方がない。
「すみません」私は2人に声をかけた。「14時に呼ばれました新名香織です。」
私のほうに向き直った男性が物凄い剣幕で私を睨みつけた。
「帰れ!あなたも知っての通り、あなたには受験資格がない!音大卒業が受験の条件だ!あなたは条件を満たしていない!帰れ!」
芸術家らしい、大変な気性の激しさに私はすっかり圧倒された。