音楽院に出願してみるかどうか、心は揺れた。
子供の頃、コンクールや試験は怖いものだった。「お前なんか井の中の蛙だ」といつも父に言われており、「井の中」のコンクールで1位が取れなくなったら、ピアノをやめさせると言われていた。そして事実、中学2年生で初めて2位になった途端、父の日頃の口癖通り、父によって知らぬ間に手続きが取られて、附属音楽教室を辞めさせられていたのだった。
こうした背景もあって、コンクールや試験というのは、私にとって、その成績がどうかという以前に、一位でなくなった途端、大好きなピアノそのものを辞めさせられる、という恐怖のイベントだったのである。
音楽教室を辞めさせられてからの私は、もともと人前で弾くことが嫌いで苦手だったために、人前では殆ど全くと言っていいほど、ピアノを弾いたことがなかった。
だから、いろいろな意味で、音楽院出願は、井の中の蛙の私が井の中を出て、現実をつきつけられる、天地がひっくり返るほどのイベントでもあったわけだ。
だから「ちょっとやってみよう。」と言う軽い冷やかしの気持ちで臨めるわけではなかった。清水の舞台から飛び降りるぐらいの決死の覚悟が必要だったのである。
しかし、つらつら考えてみるに、ピアノに関しては、井の中に居たまま辞めてしまい、失敗を恐れて、そのまま何のチャレンジもしてこなかった。
「でも、チャレンジしてこなかったことで、何か得たものがあっただろうか?」と私は改めて考えた。
傷つくのを恐れて、チャレンジしなかったために、結局、チャレンジして失敗したのと全く同じ結果になっていたのだった。
つまり、何も残っていない、という結果である。
「やらなかった後悔」と「やってみて失敗した後悔」では、「やらなかった後悔」のほうが断然大きくて引きずる、ということは心理学の授業で学んで知っていた。「だから、学歴が多くの人の後悔になるのはそのためなのです。」と教授は言っていた。それを聞いてから、「それは、まさに私のことだ。」と思ってもいた。
そうした心理学の知識を頼りに、
「やってみて失敗」でもいいんだ。「やらなかった後悔」をするよりは。だって、こんな歳になって、チャレンジしたって、だれも私のチャレンジを知らない訳だし、恥をかくわけでもないだろう。しかし、ここでチャレンジしなかったら、私自身が一生後悔するだろう。
と考えられるようになるには、時間がかかった。
とりあえず、ダメで元々、落ちて当たり前なのだから、書類だけでも勇気を振り絞って、音楽院に出願してみることにした。音大ではない母校から卒業証明書を取り寄せて、出願してみることにしたのである。