こんにちは、ほっぷです。
今日は3月11日。
5年前の今日、東日本大震災が起こりました。
午後2時46分。先ほど黙とうをしました。
日本に住んでいる人の生活、運命を大きく変えてしまった日でした。
5年前の今日、ほっぷは千葉の松戸に住んでいました。
山の手線の大塚駅で事務の仕事をしていました。
お昼も過ぎて少し落ち着き、ほっぷもおかしを食べつつパソコンに向かっていました。
そんな中、地震が起こりました。
ほっぷの働いていたフロアはビルの7階、とても揺れました。
最初はすぐおさまるだろうと思っていた揺れがだんだん大きくなり、怖くなってもっていたお菓子を放り出し机の下にもぐりました。
それでもおさまらず、非常階段から外へ逃げることに。
非常階段へ向かうも揺れがすごくてうまく歩けず、そのまま座り込んでしまいました。
隣りを歩いていた先輩にしがみついたまま揺れがおさまるのを待ちました。
揺れがおさまってからも怖くて震えが止まらず、上着も持たずにみんな出てきたのでさらに寒かったのをよく覚えています。
近所の公園に一時的に避難をし、だんだんみんな落ち着いてきました。
まだ時々小さな揺れがあり、電線や電信柱が揺れているのが目でわかりました。
みんな手ブラで出てきてしまったのと仕事をそのままパソコンもつけたままで出てきてしまったのが気になり、一度7階のフロアまで戻り荷物をとり片づけをして1階のロビーで定時まで待機ということになりました。
当時私はまだスマホを持っていなくて会社にはテレビもなく、どういう地震か、なにが起こったのかということもまったくわかっていませんでした。
仲の良い会社の子と電車に乗って帰ろうと大塚駅に向かいました。
電車は動いていませんでした。
まぁ、大きい地震だったししょうがないかな。
すぐ動き出すのだろうと思い、近くの喫茶店でみんなで待つことにしました。
でも、電車は動きませんでした。当然ですよね。
でもその時はなぜかもわかりませんでした。
友達は家族が迎えにきたり泊まるところをみつけたり、だんだんと帰っていきました。
私もどこかへは行かないとと思い、路面電車が動いているのを見つけてそれに1時間並んで乗りました。
一番近くの駅まで乗ってそこから歩けばいいと思いました。
たまたま一緒の電車に乗っていた親子(お母さんと娘さん)が松戸市より少し先の野田市というところに帰るということで話をしました。
正直私は松戸に来たばかりだったので土地勘もあまりなく、とても心細かったのでとても心強かったです
。
同じ駅で路面電車を降り、一緒に歩こうと言ってくれました。
3人で千葉方面を目指してひたすら歩きました。
私はパンツにヒールという格好であまり歩くのに向いている装備ではありませんでした。
正直松戸までの距離感も全然わかっていなくて、すぐつくだろうと思っていました。
それがよかったのかもしれません。
路面電車で箕輪橋というところまで乗りました。
今思えば恐ろしい距離です。普通に歩いていたら夜明までに着いたかどうかわからない距離です。
途中にコンビニがあったので寄りました。
何かお菓子でも買って食べようと思いましたが、お菓子はほとんど残っていませんでした。
コンビニの棚がこんなにスカスカなのは初めてみました。
カップラーメンや飲み物などもほとんどありませんでした。
コンビニを出て少し歩き始めたとき、娘さんが足が痛いと言いました。
中学校帰りだったらしくローファーをはいていたのですが、あまり足に合っていないらしく痛くて歩くのが難しくなってしまったようでした。
お母さんの方が、先に行ってくださいと言ってくれました。
迷いましたが、先に行くことにしました。持っていたチョコレートを少し渡して、別れました。
とても心細く、涙が出てきました。
でも家に帰りたかった。ヒールをはいていたけど全然痛くありませんでした。
どんどん歩ける感じがして、少し小走りになりながらひたすら歩きました。
大きな道に出て、駅が見えました。西新井駅でした。
持っていたガラケーもとっくに電池が切れ、交番やコンビニで道を尋ねながら歩きました。
すると、当時付き合っていた彼氏から二人で買ったウィルコムに着信がありました。
ガラケーとは別にウィルコムを持っていてそっちは充電が少し残っていたのです。
車で今そちら方面に向かっていると電話がありました。
電波も悪く、いつ充電が切れるかヒヤヒヤしながら場所を伝え会うことができました。
結局、ほっぷが歩いたのは松戸までの道のりの五分の一にも満たない距離でした。
彼氏に一緒に歩いていた親子がいたことを伝えると車で拾えないかと戻って探してくれました。
でも見つけることができませんでした。
連絡先を聞いておけばよかったと後悔しました。あの親子は野田まで歩けたんだろうかと今でもたまに思い出してしまいます。
車にテレビがついていて、そこで初めてこんな大きな地震だったということを知りました。
津波があったこともその時知りました。たくさんの人が亡くなったことも。
本当に情報がなかったのです。
情報がないというのは本当に怖いことだとわかりました。
ほっぷの3.11はこんな一日でした。
今はスマホやパソコンに頼りきりで、勝手に情報が入ってくる。
ニュースのアプリを入れておけば、なにか起きたときすぐ通知してくれる。
今ではその通知が煩わしいと思ってしまうこともあるくらい。
でもそれがなくなったとき、情報がない、電気がない、交通手段がない、食べ物がない。
そうなったときに自分が何ができるかということはとても大切だと思いました。
自分からきいたり、助け合ったり、わけあったりすること。大切です。
教えてあげたり、教えてもらったり、助けたり、助けてもらったり。
普段からできるようにしておきたい。
食糧を確保しておいたり、備えは必要です。
それももちろんだけど家にいるとも限らない。外にいるかもしれない。
何ももっていない状況で何かが起こってしまったとき。
その状況を把握して、そこにいるみんなで助け合える力が必要だと思います。
だから普段から人を助けるようにし、同時に助けてもらうこともうまくならないといけない。
なんでも一人でやろうとしない。助けてもらうことも上手にならないといけない。
ピンチはいつ来るかわからない。
そう思います。
あれから5年が経ちましたが、被害にあった方の傷はまだまだ癒えていません。
仮設住宅での暮らしが続いている方もいます。
一日もはやくもとの生活に近い生活を取り戻してほしいです。
亡くなった人は戻ってこないけれど残された人は自分の人生を楽しんでほしい。
罪悪感なんて感じずに幸せになってほしい。
長々語ってしまいましたが、それだけです。
みんな幸せになってほしい。
それだけです。
では、
最後まで読んでくれてありがとうございました。