「美は自然のなかに存在し、きわめて多様なかたちで現実の中に姿をあらわしている。それに気づくや、美は芸術のものとなる。いやむしろ美を認識できる芸術家のものとなる。」
byギュスターヴ・クールベ
私がクールベの作品のなかでもっとも好きなのは(どの絵も好きなのだけれど)「田園の恋人たち」という、構図を真横から捉えた、恋人同士が手を取り合いダンスをしているように見えるとてもロマンティックな作品である。男性はクールベで、女性は数年にわたる恋人ジュスティーヌだといわれている。後援者のブリュイアスに宛てた手紙でこの作品に触れ、画家は「理想と絶対的愛の中にいる男の肖像」と語っている。はじめてこの絵画に出会ったのは約2年前、入院していた精神科病院のデイ・ルームであった。リハビリとして絵画を模写することになり、さまざまな画集を手当たり次第めくり、ようやくこの作品と出会えたとき、なぜだか運命を感じてしまった。画用紙に鉛筆で線を描いたあと、ブラウンの眉ペンシルで色を塗り、結果としてセピア色の絵になった。これを手紙とともに、今の主治医であるドクターにプレゼントした思い出の作品でもある。
フランス東部オルナンの地主の息子として誕生したクールベはブザンソンの王立高等中学校で古典主義者シャルル=アントワーズ・フラジューロから美術の手ほどきを受ける。20歳のときにパリへ上京して画家を目指す。クールベはヴィクトール・ユゴーの生家に部屋を借り、構図の技法や作品の構想における線の意味などをすばやく学んだ。パリに着いた直後、風俗画家ボンヴァンがリュクサンブール美術館、とりわけルーヴル美術館で巨匠の作品を模写するという最も神聖な儀式の手ほどきをした。クールベはルーヴルでボローニャ派とヴェネチア派の作品、17世紀および18世紀の北方バロック絵画、ベラスケス、スルバラン、ムリリョなどのスペイン絵画を発見した。
結局、画家が行き着いた好みのテーマは自画像だった。この自画像というジャンルは画家に集中力と長時間動かないでいる忍耐を要求する。
クールベは好んで著名な文化人の肖像も描いた。ベルリオーズとかボートレールとか。
強い自負心と並外れた野心を持つクールベは、スキャンダルとともに新しい芸術を登場させた。20代地方ブルジョワ、労働者、農民の庶民的な「時代の風俗」をあえて歴史画的の大きさで描き、独自の絵画世界を確立したが、これらの作品は激しい批評の的になった。1851年のサロンで酷評された「オルナンの埋葬」は7m近い大作である。
クールベの画題は水浴びをする裸婦や石割り職人、「オルナンの埋葬」に登場する郷里の人々など様々な階層を代表する無名の人物に集中する。こうした「時代の風俗」こそが彼が関心を寄せた「現実的な世界」であり、彼の心情を投影するものであった。写実主義という言葉は多義的であり、必ずしも歴史上の絵画の流派を表すものではない。写実主義の概念は絵画の虚偽性を際立たせる以外の意味はない。それはあらゆる模倣の美学に内在する欠陥であり、この点で19世紀のアカデミズムでも20世紀のハイパーリアリズムでも同じである。モデルとその再現の間の避けがたい対立が、芸術作品の本質をなす。多くの場合模倣は芸術の手段であって芸術の目標ではない。求めるものではあっても、いくつもあるなかのひとつでしかないし、けっしてそれだけで十分なものでさえない。美を模倣するというのは、絵葉書レベルの美にすぎない。芸術家は創造するのであって、模倣するのではない。模倣は手段にすぎない。クールベは1861年に「美は自然の中に存在し、きわめて多様な形で現実の中に姿を現している。それに気づくや、美は芸術のものとなる。いや、むしろ美を認識できる芸術家のものとなる」と書いた。美は芸術がもちうるさまざまな目的のひとつではある。だが、美だけでは芸術を定義するのに十分ではない。自然も芸術に劣らず、あるいは芸術よりもはるかに美しい。クールベにとって重要なのは、外的な現実と芸術作品の内的な真実の和解であることがあきらかである。