司会『次はいよいよ100万$の問題です。残っているライフラインはテレフォンですね。それでは、100万$の問題に挑戦しますか?』
 
男「はい。挑戦します。」
 
司会『分かりました。それでは、参ります100万$をかけて。クイズミリオネア!
次のうち…(略)…したのはどれ?A…。B…。C…。D…。』
 
男「…。」
 
司会『100万$にふさわしい難しい問題ですね。どうですか?時間はたっぷりありますよ。』
 
男「あ、あの…」
 
司会『はい?なんでしょう?』
 
男「テ、テレフォン使ってもいいですか?」
 
司会『勿論!お相手は誰?』
 
男「父です…。」
 
司会『そうですか。分かりました。それでは電話をつなぎます。もしもし?』
 
父「もしもし?」
 
司会『はじめまして!お父さんですね?今、息子さんがテレフォンを使いました。挑んでいる問題は…なんと!100万$です!』
 
父「ほんとに!?HAHAHA!流石自慢の息子だ!」
 
司会『そうですか。これで100万$取ればさらに自慢になりますね。それではテレフォン参りましょう。制限時間は30秒。スタートの合図の後から話て下さい。それでは、スタート!』
 
男「やぁ父さん…実は、助けはいらないんだ。ただ…100万$持って帰ると伝えたくて…それじゃあまた後で…」
 
会場:ザワザワザワアップ
会場:パチパチパチアップ
会場:ヒューヒューアップ
会場:キャーキャーアップ
 
司会『おぉ…君みたいな解答者は初めてだよ…まさかそのためにテレフォンを最後まで残していたのかい?』
 
男「ええ。勿論。」
 
司会『なんと言うことだ。それでは話が早い。もう解答を聞いていいかい?』
 
男「ええ。かまいません。」
 
司会『では、答えは?』
 
男「Dの…です。」
 
司会『ファイナルアンサー?』
 
男「ファイナルアンサー(キリッ」
 
 
…。
 
 
…。
 
 
…
 
司会『残念。正解はBの…!』
 
男「Oh…。」
 
会場:オォゥ…ダウン
会場:ノーオォゥ…ダウン
会場:オーマイガッ…ダウン
 
司会『HAHAHA!シーユーネクストタイム!ババ~イ!』
 
ちゃ~ちゃ~ら♪
ちゃらららら~♪
 
今日家までの帰り道を歩いていると、数メートル前を母親とおそらく娘であろう少女(幼稚園くらい)が手をつないで歩いているのが目に入った。
幼稚園の帰りだろうか、母親は少女とは反対側にスーパーの買い物袋を持っている。まさに理想の帰り道といったところか、実に微笑ましい。

自分は比較的早歩きなので、はじめはその母娘をなんの気なしに抜き去ろうと思った。しかし、夕方の道は交通量もやや多く、早足で抜き去るのもなにか危ない気もしたので、少し歩幅を小さくし、歩くスピードを抑えた。

母娘との距離がだんだん縮まってくる。あまりに近いと怪しい人になってしまうので、適度な頃合いに歩幅を合わせた。

すると、はじめは車が行き交う音で聞こえなかったが、どうやら娘が歌を歌っているらしかった。
もう少し距離を縮めて、何の歌か聞いてみた。

『飲茶楼でめちゃうまかろう♪
飲茶楼でめちゃうまかろう♪
ジャスミンウーロンプーアル♪』

以下無限ループ。

テレビっ子だった自分はなんの歌かすぐに分かった。
正直驚いた。
懐かし過ぎる歌の選曲。間違えなく10年くらい前のお茶『飲茶楼』のCMで流れていた歌だ。

しかし少女はどう見ても4、5才。明らかにこの歌を生でテレビで見ていたとは思えない。ただ滑舌は良くないものの、音程やリズムはほぼ正確だ。

なぜこの歌を?

やりようのないモヤモヤが募る。母娘に声をかけて、少女に『どうしてその歌知ってるの?』とも聞けない。いや、聞いてもいいのだろうけどいきなり知らない男性に声を掛けられ、せっかくの楽しい帰り道を壊されたなんてことにもしたくない。ただただハテナマークだけが頭を埋めつくす。
そうこうしてる内に母娘は左の路地に入ってしまった。

ああ…
凄い気になる。

でも、ま。いっか。
思わずクスリと笑えるコピペ。
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70年代
『カレー食ってるときにウンコの話するなよ!』
王道。ウンコという下品なことばが公衆の場で笑いとして認められ始めた。お笑いが俗な文化として大衆に認識されてきた草創期。


80年代
『ウンコ食ってるときにカレーの話するなよ!』
あまねく広まったギャグをあえて誤用することにより、聴衆に「違うだろ!」と"つっこませる"。一人一人がボケであったりツッコミであったりする、お笑い文化の一般への浸透。


90年代
『ウンコ食ってるときにウンコの話するなよ!』
シュール・不条理による笑いの波及。ツッコミどころも見つからない、「意味が分からない」ことが笑いにつながってくる黎明期。


そして
2000年代
『カレー食ってるときにカレーの話するなよ!』
行き過ぎたシュール。もはや意味不明を通りすぎ、「だから何?」が受ける時代




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うーん。こういうの思いつく人って思いついた時どんな気分なんだろうか…思わずニヤリほくそ笑んだりするのかな?


まぁ、話は飛ぶが、
『笑う』って心に余裕がないとできないから、『笑える』って素晴らしいことだよね。
うん。

顔には笑みを
心には太陽を
笑いは心のビタミンですな。