最近、かなり楽しく仕事ができています。
日々、役員や他社の幹部とミーティングをする中で、知的な気づきがいろいろとあるので、
「自分が人間として成長している」実感があります。
そして、そんな中でひとつ、気づいたことがあります。
それは・・・・・・
うまくいっている人、幸せそうな人は「ありがとうの世界」の人である
ということです。
※以降、長文になります。ご容赦くださいませ。
私は幼少期の経験から、
この世界には「ありがとうの世界」の人と「すみませんの世界」の人がいる
と実感するようになりました。
「ありがとうの世界」とは、思わぬ親切を受けたときや楽しみの後に「ありがとう」とお礼を言うのが普通、という人。
「すみませんの世界」とは、思わぬ親切を受けたときや楽しみの後に「すみませんでした」とお礼を言うのが普通、という人。
最初に強くそう実感したのは、小学生のとき。
普段は遊ばない友達と遊んだ翌日、その子に
「昨日はありがとう。楽しかったね」
とお礼を言いました。
するとその子は怒り出し、
「相手にお礼を言うときは“ありがとう”じゃなくて、“すみませんでした”と言うものなのよ」
と言うのです。
私にとってはそれまで、楽しかったイベントの後など、何かの際にお礼を言う場合は「ありがとう」と言うのが普通でしたので、相当に驚いたのです。
その子と同じエリアに住んでいる同級生も、
「相手にお礼を言うときは“すみませんでした”が普通」
と言うのです。
また、「○○さんのお陰で助かりました」と私が言うと、「○○さんのせいですみませんでした、でしょ」と、その子たちは言うのです。
当時の私は、お礼を言うときには「ありがとう」(目上の人には「ございます」を付けて)と言う環境にいたので、
「学区内でもエリアによって、マナーが違うのかなぁ」
と思い、何となく
「世の中には、『ありがとうの世界』の人と、『すみませんの世界』の人がいて、価値観が異なるのだ」
と知ったのでした。
自然と「すみませんの世界」の子たちとは疎遠になっていき、同級生でも「ありがとうの世界」の子たちとは今でも付き合いが続いています。
成人してから、「すみませんの世界」の子たちが住んでいたエリアが低所得者対象公営住宅であったことを知りました。同窓会関連でたまに「すみませんの世界」の人たちを見かけることはありますが、「すみませんの世界」の子は30過ぎても誰も定職に就かず、会っても不満や愚痴ばかりで大変そうです。
かたや、高校や大学では、お礼を言うときには「ありがとう」と言う人がほとんどで、とても過ごしやすかったのです。
彼らとの会話では、どんな状況も愚痴も、ポジティブな言葉になります。「忙しい」は「充実している」になり、「辛い時期」は「今は上昇する前」になり、「疲れた」は「がんばった」になります。
高校や大学での友人、いわば「ありがとうの世界」の人たちは今、ひとかどの仕事をし家庭にも恵まれています。いつも会うたびにハッピーなニュースを聞かせてくれ、触発してくれる人たちです
その後、社会人になってから、また
この世界には「ありがとうの世界の人」と「すみませんの世界の人」がいる
と実感することがありました。
それは、かつての勤務先で、仕事を一緒にした年上の女性。
彼女が30代半ばにさしかかっていた頃に
「私みたいに美容に気をつけて、お稽古している女が、なぜ仕事や彼氏に恵まれないの」
と、よく愚痴を聞かされました。
彼女のお仲間も同様だったので、当初は
「これだけ美容に気を遣っても、縁に恵まれない人がいるのかぁ」
と思っていました。
そのうち、彼女たちの共通点、というかある種の違和感に気付きました。
彼女たちも「すみませんの世界」の人だったのです。
例えば、大量の荷物を抱えていた同僚を見て、みんなで手伝ってあげたときのこと。同僚がお礼を言ってきたときに、「どういたしまして」とにこやかに返す人が多いなか、彼女だけが
「相手にお礼を言うときは“すみませんでした”でしょ。マナー知らずね」
とキレてしまったのです。
さらに、「“すみませんでした”と言われるまで、仕事しない」と言い出す始末・・・・・・。
その女性を見ていて、
「この人も、『ありがとうの世界』の人になれば、人生違うんじゃないかな」
と思い、価値観の違いを覚えました。
そして、
「彼女は『すみませんの世界』、私は『ありがとうの世界』にいるから、相容れないのだろう」
と悟り、転職を経て、「すみませんの世界」にいた彼女とは連絡を取らなくしました。
が、彼女やそのお仲間が、40歳目前にしても相変わらず仕事も恋愛もうまくいかないと愚痴っているのを、別の知人を通じて耳にしています
(実はその愚痴メールが転送されてきたのが発端です)
冒頭の話に戻りますが、今、仕事で会う方で、尊敬できる方々はいずれも、「ありがとうの世界」の人です。お礼を言うときにどんな相手でも必ず「ありがとう(ございます)」と仰います。
私見ですが、世の中にはきっと言霊というものが存在していて、「ありがとう」というポジティブな言葉を使う人には自然とハッピーなことがもたらされるような気がしています。
今住んでいる番町エリアは、「ありがとうの世界」。お年寄りや荷物を多く持った人を見かけると、自然と周りの人はお店のドアを開けたり荷物を持ってあげたりして、「ありがとう」「どういたしまして」というやりとりが、よく交わされます。「ありがとうの世界」が暮らしやすい私にとって番町エリアは、「ここに住んでいて良かった」と思える街です。
そんなこんなで改めて、これからも自分は「ありがとうの世界」の人でありたいな、と感じる今日この頃です。
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