私、小学生の頃、母親に

「弟はかわいいけど、“ほぬ”は生意気でかわいくないからいらない」と

夜、父に話しているところを聞いてしまったことがあるんです。


ずーっと、ずーっと引きずっていて、早く家を出たかった。

高校卒業して、家を出て短大に行って

そのまま東京で就職しました。


ところが、バブルがはじけて、就職した会社が危ない感じになり

ちょうどその頃付き合っていた彼が

大学卒業して地元で就職することになって

会社を辞めて、彼の地元に着いて行きたかったのだけど

両親に反対され、どうしようかと思っていたときに

母親が脳梗塞で倒れ、入院。

家事が何も出来ない父と、弟しかおらず、女手のいない家に

帰って来て欲しいと父に頼まれ、地元に帰りました。


幸い母親は1ヶ月ほどで退院できて、後遺症も残りませんでした。

それから数年たって、その頃の彼と結婚したのですが

実は、彼と結婚することで、早く家から出たかったんです。

遠距離恋愛だったので、遠くにお嫁に行くことになりました。


父親は、結婚に反対していました。

頑固な父親という訳ではなくて、相手が不満だとかいうのでもなくて

単に、かわいい娘を、遠くに嫁にやりたくないという反対。

結婚式の時は、大粒の涙を流して泣いてくれました。

結婚してからも

「お前の家はここだから、嫌になったらいつでも帰っておいで」と

いつも、言ってました。


本当ーーに、帰ってくることになりましたが。


父親はそうは言ってくれていたけれど

母親に嫌われているから、実家には帰りたくない・・・

そう思っていました。


離婚することになり、ダンナが出て行ったものの

自分は、どうしたらよいかわからず

一人アパートに残されたまま

親には、離婚するという報告をしました。


連絡したら、結婚して2年半一度も来た事のない母が

やって来ました。


普通、離婚するって言ったら、親は止めるものかと思いましたが

さっさと別れて帰ってきなさいと言って、勝手に荷造りを始めました。

私は泣きながら荷物を詰めましたが、母は、気丈でした。

そのときに、初めて、母親の愛を感じました。

帰ろう、と思いました。


それまで、子供なんて欲しくないと思っていました。

子供がいる人は不自由で、不幸だと思っていました。

前のダンナの子供が欲しいと思ったことは

一度もありませんでした。

生んだ子供を「かわいくないから、いらない」という母親の

トラウマがあったからだと思います。


皮肉なもので、離婚がきっかけになってなのか

母親とのわだかまりが解けたおかげなのか

急に、子供が欲しいと思うようになりました。


その後、知り合ったのが、ぷー君です。


今では、諸々の事情もあって

ぷー君と、私と、私の母親と3人暮らししています。

と言っても、生活時間がすれ違っているし

食事以外は2階で過ごしているので

ぷー君は、平日母親に顔を合わせない日も多いですが。


なかなか授からないことや

治療したことによって、より子供が欲しい

愛おしい気持ちが膨らんできました。

こういう気持ちになれたことは、感謝です。


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