TOKYO、ほんのすすめ

『単純な脳、複雑な「私」』 池谷裕二 著



 脳トレという言葉が、流行ってから随分経ちますが、やはり脳はいつの時代でも、皆の関心を集める対象なのかもしれません。その背景には、脳を鍛えれば、なんか人生うまくいくのではないかという本能的なものがあるような気が致します。事実、右脳教育といったものに代表されるように、脳の潜在的な能力を次々と開発していくプロセスは楽しいものがあります。しかし、この脳の研究者によって書かれた一冊は、脳というのは、いかに単純で、ミスを連発しているのかがよくわかります。つまり、私たちが事実だと思っている事柄が、いかに事実と異なっているかということです。

 実際に、今、目の前に見えている物事が全てであると、無意識的に感じていますが、視神経は勘違い連発の脳へと繋がっていますから、あなたが今ご覧になられている映像も、勘違いです。心は私という存在の気持ちを正直に映し出してくれているものだという意見もあるかもしれませんが、心もやはり脳と関係が深いため、あなたの今の気持ち、勘違いかもしれません(笑)

 現代人は、見えているものが全て、よく思考されたものが全て、自分が一番大切にしている気持ちが全てと考える傾向にありますが、これらは全て勘違い多発の脳から生まれたものです。今、見えているものが全てではないかもしれない、考えも及ばないものがあるかもしれない、今の感情が絶対ではないかもしれないとわかりつつ、この愛おしい脳と一緒に、素敵な勘違いをしながら、生きて生きたいものですね。



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『列子』 小林勝人 著


 老荘思想という言葉があるところから考えても、老子や荘子と較べると、やはり列子は知名度が落ちるかもしれません。晋代の偽書という説もある列子でございますが、老子・荘子に劣らず、含蓄に富んだストーリーが散りばめられています。むしろ、わたくし個人としましては、老子・荘子よりも読んでいただきたい一冊です。

 老荘思想は、「無為」を尊び、「作為」を非常に嫌う思想でございますが、老子や荘子を妄信してしまい、無為というよりも、停止されてしまう方々も少なくないようです。その点、列子ですと、老荘に負けず劣らずの内容であるにも関わらず、偽書である説もあるので、疑って読めるのです。これは非常に大切なことで、どんなに素晴らしい思想でも、疑うことが大切です。疑うことなしで辿り着いた無為など、停止と同じことだと感じております。

 しかし、蝉になりきったり、魚になりきったりと、己というものを忘れ、天命にさからわない生き方をされている方にお会いしたいものです。ただ、無為の者や無為の組織が存在したとしても、わたくしの目に映るかどうかは、はなはだ疑問ではございますが。


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『期待と回想』 鶴見俊輔 著


 演算による定式化には、ある種の美しさが常に伴います。例えば、小学生のときに苦労した「つるかめ算」が、中学生になるとx、yという関数を用いることによって、綺麗な方程式ができ、容易に鶴と亀の数がわかるときの美しさです。このような10代前半の学問においても、美しいのですから、大人が定式化の美しさを求めていくことも、想像に難くないでしょう。

 鶴見先生は、記号論理学のような定式化の美しさを認められているものの、そこから創造的な仕事はできないと感じていらしたようです。理論言語学の世界においても、1995年にChomskyがMinimalist Programを発表してから、言語をmergeによる美しい二股の統語構造で扱うことが主流となり、それにより美しさも難解さも共に、異常なレベルへと向かってしまいました。勉強不足の言い訳をさせていただけば、Chomskyの行っているものは、もはや聖域化し過ぎてしまって、誰もついていけないレベルまでになっているのかもしれません。美しすぎて、誰もそれに触れられず、そこに美が残るだけです。

 言葉や関数に頼っているうちは、独創的な人生を歩むことは難しいでしょう。独創的な人生とは、おそらく言葉や関数の外から降ってくるものなのですから。


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『うつろ舟』 澁澤龍彦 著



 緑の優しい文字に包まれながら、『宝物集』にある、

   諸行無常

   是生滅法

   生滅滅已

   寂滅爲樂

の声で、別々の時代に起こった三つのエピソードが繋がっていきます。お話の中にも出ておりますが、諸行無常は天上にのぼる知恵の階なり。是生滅法は愛欲の河をわたる船なり。生滅滅已は剣の山をこゆる車なり。寂滅爲樂は浄土に生まれむと思う八相成道の証果なり。と言われているそうです。

 唐突ですが、私はこの『うつろ舟』を読む度に、以前、埼玉のお茶室で伺った次のようなお話を連想してしまいます。昔、非常に優秀なお坊様が幾つもお寺を建立されたのだけれども、百年も経つと、お寺は時代の流れの中でなくなってしまい、誰もそのお坊様の名前も覚えていなかったというお話ではなかったかと思います。今のご時世、何かを無理やり生み出そうという傾向が強くなり過ぎてしまったあまり、何とも言えぬ不自然さが目立つようになってまいりました。緑の優しい字に包まれながら、自然に残っていくものの香りをこの作品から感じてみられてはいかがでしょうか。


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『埋火』 立原正秋 著



 立原正秋が生前に出した最後の作品集。表題作の他に、「仮の宿」「吾亦紅」「一夜の宿」「山水図」「山居記」「水仙」の七編が収まっています。

 西風一陣来。

 風は仏教で慈悲心を表すそうでございますが、まさに「仮の宿」における「風に晒されている」一冊ではないでしょうか。「水仙」の中に、「さっき、気楽でいいといったのは、あの水仙のことだよ。あの水仙には作為がない」という一節にもあるように、この本の中には、ある種の押しつけが一切なく、極限まで枝葉を切り取った美しい木の香りが漂ってきます。

 甘苦い珈琲と一緒に、カフェで読書でもいかがでしょうか。言葉を惜しみ、削れるだけ削らなくては、いい小説はできないという立原正秋の言葉に肌で触れられる時間が、広がっていきます。ひとつひとつと捨てていって、最後に残ったひとつが真理と呼ばれているものなのかもしれませんね。



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『白川静』 松岡正剛 著



 文字は神であった。

 という斬新な視点で、上質な漢字の世界観を世に示した文化勲章受賞者、白川静。その白川静に雑誌『遊』編集長&web「千夜千冊」の松岡正剛が挑んだ一冊。

 例えば、「ごんべん(言)」の「口」は、文字通り口を表していると考えられがちですが、白川静はサイという「言霊の入れ物」を意味していると主張されています。そして、「言」の上の部分は、「辛」というもので、大きな針を示していました。つまり、「言」という文字は、神に祈って何かを誓うときの神聖な言葉を意味していたのです。もし、その言葉に偽りがあるときは、鋭い針で入れ墨の刑を受けました。

 オダギリジョー主演の映画「ゆれる」という作品がございますが、現代人の心や言葉はなんと揺れ動きやすいものなのでしょう。人が言葉を無駄に使うのではなく、言葉が人を揺り動かしていた時代を少し覗いてみませんか。

 はじめに言葉ありきです。


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『いまなぜ青山二郎なのか』 白州正子 著


 青山二郎は、眼を頭から切り離すことによって、眼に映ったものを純粋に捉えるという独自の「眼の哲学」を実践された方で、18歳のときにすでに骨董屋の店主が舌を巻くほどの眼力を持っていたそうです。小林秀雄や白州正子の骨董の師匠でした。交流があった多くの文学者に、青山二郎という人間を言葉にすることは難しいと言わしめた人物を、白州正子が著した一冊。

 人生とは借り物であり、親もまた借り物であるという考え方が、至極当然のように思われていた情景が目の前に広がる頁がございます。日本語はナル型言語と呼ばれ、英語とは異なり、誰が我々に人生を貸しているのかといった情報は、いちいち言語化しませんが、なにか宇宙的な存在を感じさせる本ではないでしょうか。なんでも本というのは、元々宇宙という意味だったらしいですよ。

 人生とは借り物である。故に、今世界が経験している不景気という名の貧乏、今この記事を眼に映して下さっているあなたの身体はもちろんのこと、自分というものも本来はなく、ただ一時的に拝借しているだけなのだと感じさせてくれます。高級な本の香りを頂戴してはいかがでしょうか。


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『観音力』 玄侑宗久 著


観音様という漢字をよく見ると、面白い組み合わせだと思いませんか?「音を観る」のですからね。さて、我々は普段一体何を観て過ごしているのでしょうか。少し考えてみますと、普段目に入っているものというのは、意外と重要かもしれません。最近では、一点集中と拡散集中なるものが注目を浴びているそうでして、一点をひたすら見つめて集中するよりも、視界を広くして集中している状態の方が、クオリティーが高いそうなのです。たしかに、そう言われますと、多くの情報が入ってきて、色々なことを感じることができる気がしてきます。

 さて、『観音力』も視界が広がる一冊です。例えば、多重人格者の方っていらっしゃいますよね? これは実際にあったお話なのですが、主な人格は、老眼を患っていらっしゃる初老であるにも関わらず、もうひとつの人格である十代の男性が現れたときは、老眼ではないそうです。つまり、同じ肉体であるのに、人格によって、眼の善し悪しが変化するのです。人間とは一体なんなのでしょうか? この一冊が、あなたの魂に迫ります。


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『天使と悪魔』 ダン・ブラウン 著

 

千手観音として有名な観音様でございますが、二十四面の観音様がいらっしゃることはあまり知られておりません。色々な人が観音様にお願いするものですから、観音様もお忙しいのではないかと、手が増えたそうでございます。また、私の方にも顔を向けてよねということで、顔も増えていきました。観音様がたくさんのお顔を持っていらっしゃるのですから、人間も天使と悪魔の顔、2つくらいは、きちんと持っているのかもしれませんね。

お釈迦様は、中道という言葉で、「バランスをとりながら生きなさいね」とおっしゃったそうです。でも、そのバランスって、色々な世界を経験していないと、自分が真ん中にいるってわからないじゃないですか?この本は、狭くなってしまった私たちの視野を広げてくれるものだと思います。ひとつのことに没入し過ぎて、うじうじ過ごすより、鷹の目のような視野の広い目で、色々なものを拝見して、生きていきたいものですね♪

『ダヴィンチコード』の作者が再び贈るノンストップ小説。徹夜者続出の一冊でございます。翌日が休日のときに是非♪(笑)