十分幸せなのに、
それに気づかない事を、
不幸だと表現する人がいるけれど、
私は違うと思うの。

皆さん、ブログ読んで下さってて、
勘のいい人は、
違和感感じていらっしゃると思うのだけど、
そう、
私は、シングルマザーで、
そして子供と、
一緒に住んでいません。
私の病気の影響が子供に及ばないように、
私自身が病気の治療に専念出来るように、
子供は福祉施設に。

子供と離れて暮らすのは、
毎日毎日、苦しい。
側に居てやりたい。
教えたい事、分かち合いたいこと、
沢山あるのに、一緒に居てあげれない。
自分のせいなのに、自分でどうにも出来ずにいる、
そんな自分がどうしようもなく、悔しい。

お子さん連れを見ると、
胸が締め付けられる。

と、同時に、

彼らがとても幸せそうで、
心から、嬉しくなる。

そんなお子さん連れを見ていると、
大概、お母さんは、お子さん達に手を焼いて、叱っている。
時にはお子さんが大声を上げて泣いて座り込むのを、
お母さんも泣きそうな顔で、お子さんの手を引っ張って、
「いい加減にしなさい!」なんて言って、叱り飛ばしている。

幸せそうで、良いいなあと、思う。

私も、子供を良く叱ったなあ。
その時はこっちも真剣にイライラしたりして、
少しは大人しくしてくれないかな、
ホッと出来る自分の時間が欲しいな、
なんて、思ったりすることもあった。

そんなこと思ってたら、
PTSDの病気になって、
本当に毎日が1人になってしまった。
時間はたっぷりある。
待ち望んでいた、1人の時間。
それなのに、
ホッとなんて、全然出来ない事に気付いた。
子供が側に居ないのに、ホッとなんて出来ない。
今、どうしているのだろう。
何を食べているのだろう。
何を考えているのだろう。
1人になったら尚更、子供の事で頭がいっぱいで、
嬉しいことがあっても、
分かち合えない寂しさが残り、
心から、笑えない。
側に居たときは、ホッとしている自覚なんて無かったけど、
本当は、子供が側に居て、
怒ってやって、叱ってやって、そうやって出来る事が、
それが、安心出来る事だったんだと、気付いた。

お子さんを、叱っているお母さん。
やるせない顔で、顔を真っ赤にして叱っている。
幸せそう。
私も、前のように、
ああやって叱ってやりたい。
あのお母さんは、
今自分が、とても幸せそうに私の目に映ることを、
知らない。

私も、子供を自分の側で、
叱れる、という幸せに気付いていなかった。

気付いて無かったけど、幸せだったんだ。
あの今、叱っているお母さんも、幸せだ。
幸せに間違いない。
幸せなのに、幸せに気付かないのは、
不幸なんかじゃない、

気付いて無いけど幸せという、とっても贅沢な贅沢な、
幸せだ。

気付いてなくたって、幸せならそれでいいよね。

きっと私も、
他人から見たら、十分幸せねって言われそう。
私が気付いていない、私の幸せが、
きっときっとまだ沢山ある。

そうやって考えて行くと、
最終的には、
生きているだけで、十分幸せねってなるんだろう。
まだ、経験が足りないから、実感できてないだけで。

きっと、この世界の、
全ての人が、丸ごと、全員、
幸せなんだろう。

気付いてなくても、
実感できなくても、
幸せに気付かないという、
とてもとても贅沢な幸せの中に、
私達はいるから、

幸せなんだから、それでいい。