原宿魅騎麻有珠☆宮本潤一郎

原宿魅騎麻有珠☆宮本潤一郎

80年代~90年代の青春を語るブログW

東京下町硬派魂~東京原宿ロックンローラー~極真魂押忍の精神

志写真の真ん中がオレです高校入学直後の丁度この写真の頃の話です🤩

高校の入ると最強や最恐の高校の情報は即入り、国士館高校は中学時代から悪名が轟いていたけど、その国士館と抗争している高校が日体荏原高校でした、当時、他に噂に上がったのは目黒高校、中央商業、この辺が強いと、それととにかく仲間がやられたと云う話が多かった、京北商業(ここは超ワル高校で有名)、ちなみに京北商業は俺には無害だったから別に何とも思わなかったけど、一度、西武線内で停学中にK商業とケンカに為った事が有る、オレはその時は私服で、K商業の方は制服でした、結局、向こうから謝ってきて収まりましたが🤩

 

ある日、同じクラスの荒川の不良が彼女が出来たから俺に紹介すると云う事で、お茶の水駅まで、俺と荒川の不良のSと土曜日の午後にお茶の水まで歩いて行きました、するとお茶の水駅前に、二人のズベ公(当時はスケ番は既に死語で、ツッパリネイちゃんはずっと先の銀蝿の造語でしょう、当時はみんなズベ公でした)これがマスメディアが創ったズベ公像そのままの格好で、アフロとソバージュが混ざった様はパーマのデカい髪型で、真っ茶色に染めてある、くるぶしまであるプリーツのロングスカート、カバンはペッタンコの挑戦バッグでした、上着は確か赤い線が入ったセーラー服だったと思います、そしたらSが「宮本、あの二人をナンパしてくれ!」と云われました、これからSの彼女と合流するのにナンパもなにもないだろうと???Sはただ俺の度胸を試したかったのでしょう、(Sとは外見は身長175以上あり、かなりがっちりした体格で髪型はアイパーのサイドバックでした)

俺はいわれるがままその2人に話掛けました、話たら驚きの連続でした、オレが話かけたそのズベ公、凄い美形だったのです、

髪型がアフロのデカいパーマだったから横から見た時には顔がよく見えなかったのです、

次に驚いたのは赤羽商業の3年だと云っていて、これが噂の超ワルズベ公高校の赤羽商業か!と、もっと驚いたのは、この美人のズベ公さん、笑顔で凄く感じが良くて、口調も凄く優しい、超ワルズベ公の外見とは正反対でした、この美形の寧さんは慎重も163~164センチぐらいですらっとしていてスタイルも良かったです、横にいたもう一人は身長が158センチぐらいで小柄でしたがこちらもアフロにロングスカートでしたが、始めに超美形と話したからもう一人はフツーに見えました、

とにかくズベ公であんな正統派美人は後にも先にも見た事が無い程の美形でした、

お互い、それぞれの連れと待ち合わせしているから感じ良くそのまま別れましたが。

その御、Sの彼女と合流してオレとSとSの彼女と3人でお茶の水の喫茶店に行きました🌌

 

 

 

高校1年の2学期の写真、この時もひと悶着ありました笑

 

16才、原宿☆彡

 

 

下の写真、2枚目は高校卒業して即購入した当時のオレが所有していたセリカです☆彡~この時は、湾岸走っていたらPCに止められて、

お巡りさんに「車高が低いだろう?」と云われたけど、「いや、落としてません、目の錯覚でしょう」と言い訳していたら「そうだね、そんなに低くないね」と去って行きましたww止まったついでに記念写真を撮りました🤩

今では400万円~500万円するから買えませんが、2・2Lにボアアップしていつか乗れればと淡い期待してます🤩

 

これは最終型では無く初期のセリカLBですね

 

14才の夏に時に地元で初めて見た2枚のハコスカを思い出す🤩

 

高校の頃、原宿はセリカLBが多く、横浜は白いハコスカだらけでした、

東京の族車はダーク系か、パープルなどの派手めで、横浜は圧倒的に白色の族車が多かったですね、

族単車にも同じ傾向が見られました、

東京はニュートラでパンチパーマで、横浜はラフなスタイルにアフロやパーマ、単車も車もファションも横浜はオシャレでした🌌

10代の頃は横浜の不良が羨ましかったですね🤩

 

あの完全にKOされた方の不良高校生のその後がきに鳴り毎日、読売新聞の朝刊を見ていたら1週間経過しても事件に鳴っていないから至んでは無いのだろうと、

しかしコンクリートの上で頭から投げ落とすとかなりヤバいのだと理解しました、

バックドロップは柔道には無いプロレスの技であれは床にスプリングが入っているリング上でやっているから至なないだけで、バックドロップとは実際にはかなり危険な荒業だと、柔道ならサイドを取った時点でを相手の両足を後ろから払い後方に投げる、

まあバックドロップは最後に切り札でしょう、あの小さい工業高校の不良は正に「柔よく剛を制す」でしたね。

KOされた方の不良も身長180センチ超えでガタイも良くかなり強そうな男でしたが。

 

前にも書いたけど当時は国士舘高校+国士館大学生の乱闘記事が毎週の様に読売新聞で報道されていましたが、

同じ日に東京都内の各工業高校(確か俺の地元の都立葛西工業もいたかと)と俺の通っていた私立の底辺男子高を同じ日に同じ会場内に集めるなど、高校の教育委員会は何を考えていたのでしょうか?( ゚Д゚)??

 

(2年に進級直後の写真)

 

 


 

 

 

あれは1年の時だったか、2年の時だったかが思い出せない、2年の時だったら後輩の不良連中がいたはずでも後輩がいた記憶が無く、1年の時なら3年の番・帝王がいたはずだけど帝王がいた記憶も無い、

その日は晴海の国際展示場で開催された「国際見本市」というイベントに高校の行事で参加しました、オレは地元の駅から4人(何故かこの時は少なかった)位で電車に乗ったらやたらと途中から学ラン着たツッパリが乗ってくる、錦糸町駅に着くころには車内はツッパリだらけ、駅前ロータリーに着いた頃にはガラの悪いツッパリが200~300人はいた、

彼らの正体は都立の工業高校生だった、なので全員位が幅広のズンドウに中ラン、パーマのリーゼントか、アイパーのリーゼントだった、当時の私立高校のツッパリはほぼ全員が短髪アイパーのサイドバックに、細身のズンドウ、普通の学ラン、又は、ブレザーだったから外見からして私立のツッパリとは違う、

錦糸町駅前に行くと、1コ上の先輩が1人で立っていたから合流すると、暫くして1コ上の番も合流した、俺達は6人位で都バスに乗り晴海の国際展示場迄行ったのだけど、バスの車内の他校の学ラン着たツッパリだらけで、これは乱闘でも起きるのでは?と会場に着いてからはツッパリだけで40人位でまとまっていた、でも他校生のツッパリは好戦的では無く、ガンの飛ばし合いも無くこちらも調子抜けしました、

これが都立工業高校の不良と、私立の底辺高校の文化の違いなのか?と思いました、

俺は会場内も見たかったから一人で見学していると、中学からの親友が「宮本、タバコあるから吸おうぜ」と来たから、

建物と建物の細い道に入り2人でタバコ吸っていた、オレがもう少し中を見学したいと云うと、親友は「いや、おれは興味無いからいいよ」と俺に告げ、そこで別れてまた俺は1人で会場内も見学していた、

そうこうしている内に飽きてきたから仲間と合流しようと広場と歩いていたら、165センチぐらいの不良と、182位の不良がケンカしていて、小さい方がデカい不良をバックドロップで投げるとキレイに決まり、やられた方のデカい不良が失神してピクリとも動かない、勝った方の不良が「な~んだ、俺の方が強いじゃん」と云っていて、高校名がバレバレだから逃げもせず、

その場にとどまっていた、暫くすると救急車とパトカーがほぼ同時に着て、

そのやられた方が担架に乗せられて救急車で去り、勝った方の不良はパトカーに乗せられて去って行きました。

続く

真ん中のアイパーのサイドバックがオレです🤩

クー●スのライブはこれまで行った事が無く、一度行って見ようかと明日予定していたけど、Google口コミで検索すると、

そこのライブハウスは禁煙でも分煙でも無く、煙が充満していてタバコの煙苦手な人にはつらいとの口コミがあったから行くの止めた、

 

タバコは19才の夏に止めて、その後、22才の夏の3ヵ月だけタバコ復活したけど、再び止めてからは一度も吸ってません、

19才の時に止めた時には他の人が吸っているタバコの煙は平気だったけど、22才の時に2度目の禁煙した時からタバコの煙が全くダメに鳴りました、

 

ライブハウスってその殆どが禁煙では無く、且つ、タバコ吸う人が多いから近年、誰のライブでも行くのは止めました

前は色んなシンガーのライブに良く行ったもんだけど、

 

時代の流れで今はタバコ吸わない人の方が多いし、大体の店は禁煙に鳴っています、時代に逆行しているのがタバコの煙もくもくのライブハウスです、

 

一番、参戦している横浜銀蠅はメジャーだから大きなコンサート会場借りてやっているから当然、禁煙ですが、昔の様に小箱のライブハウスでやるなら禁煙にして欲しいですね、

タバコ=不良なんで時代遅れ🤩

2025年11月

 

 

停電は幼児の頃にしか経験した事が無いのだけど、夢の中では夜に停電したので直ぐに懐中電灯で光を確保をした、(因みにリアルでも懐中電灯は複数置いている)次に携帯ラジオを着けた、光と音を確保した後に霊的な攻撃を受けたので、俺も霊的な力で対抗した、昔、まだ霊的な力が弱かった頃によく攻撃を受けたが、その都度、ブチキレて対抗していた、今ではパワーが凄い事に成っているから、攻撃そのものを受ける事は無くなったけど、夢の中で久しぶりに攻撃を受けた、そして昔の様に対抗した。

リアルでは再度、霊的な防御と、停電への備えを整えます✨

勿論、相手の武器にもよりますが、部屋の中だとヌンチャクの威力は半減します、トンファーなら部屋の中でもほぼ威力を発揮出来ます。大山総裁の言いつで極真では二つ以上の武器術をやります、ヌンチャクを本格的に始めたのは13歳、中学1年でした、その道場は剛柔流系でした。ヌンチャク、トンファー以外では木刀です、木刀は武道具屋で一番、重く長いものを選びました、剣道は高校で週一回、一年間だけだったけど、今になりその剣道の週一の授業が役に立ってます。

武器術で最強なのは三節棍です、三節棍のまともな使い手が来たら、ほぼ太刀打ちは無理です

あ、いや、手裏剣なら対抗出来そうです、手裏剣は20代の頃に夜の公園で修練していました⚡️

極真魂押忍☀

武器術は更なる研究と発展が必要です

体験でいったら、「武道されていますか?」と、聞かれたから、極真空手と中国拳法をやっています、と答えると、極真よりも中国拳法に興味有るらしく中国拳法について色々と聞かれました。体験で出来る矢は3本で、一、二本目は中心を外したけど、3本目にほぼ中心に当たりました。

他の体験者を見てみると、中心に当たる処か、直径30センチ位の的にさえ当たらず、的の外の畳の部分に矢が刺さったりしていた。

弓道も面白くやってみたく鳴ったけど、極真と中国拳法で時間も費用も一杯だから弓道はやらないだろうな、10代の頃からやりたかった居合もやらずに終わるでしょう。しかし、極真空手を選んだ事には全く後悔していなく、逆に極真空手やって極真の大会に出ていなかったら生涯の後悔だったでしょうね、極真空手には心身共に鍛えてもらいました☀

極真魂押忍☀


昔、東京から横浜に移住するのが大幅に遅れた、もっと早い時期に本牧に移住したかった、実家のゴタゴタで狂わされた。

俺にとっては本牧は10代の頃から天国の様な土地で今もそれは変わらない。

因みに東京の地元は極楽で人生のラストは東京の地元か横浜のどちらか、

東京下町に家を買って、東京と横浜の二拠点生活するのが今後の目標、俺は世間の同世代の様に死ぬ事など1ミリも考えていないし、病気も無い、

不老不死が人生の楽しみでその為に、極真支部道場に所属しながら毎日、極真空手の修練を継続しています。極真魂押忍☀

極真魂押忍☀