今日はいろんなことがありすぎた。
昼間は病気になった父親の手術があった。
急に病気を告白され2週間ほど、軽い気持ちで今日に臨んだのだが、やはりだめだった。
人並みに緊張し、不安になったり、ネガティブになった。
父はそれ以上だったろう。
あっけらかんとした人だけど、やはり今日はいつもと違った。
死を連想させる病なのだからそれも仕方ない。
手術室に見送った時、なんとなく、「後は頼んだ」と言われた気もした。
おばさん二人、僕、妹。待合室で4時間以上待たされた。
普段ほとんど関わりのないおばさんといろいろ話せたのも、病気のおかげか。
予定時間は過ぎたが、手術は無事終了。
父は胃を3分の2失った。
僕と妹が面会を許された。
管を何本も通され、麻酔がさめきっていない父は、とても弱弱しかった。
もちろん、そんな父は初めて見た。
どもりながらも、いくつか会話をしていたが、やはり心細かったのだろう。
妹が差し出した手を、父は握った。
もちろんそんな妹は、初めて見た。
父は、デリカシーはないし、常識もない。いつもヘラヘラしている。
病気が発覚したときだって、「30分で立ち直った」とか言っていた。
このヘラヘラが、本心なのかそうでないのか、僕は判断しかねていた。
けれど、やっぱり、あの明るさは、作られたものだった。
本当は不安だったのだ。怖かったのだ。
そもそも、病気に対して楽観的でいられるほど強い人じゃないのだ。
けれど周りの人を心配させまいと、父は気を遣っていた。
おばさんによれば、昔からそういうとこがあったのだという。
それは長男としての矜持であるとも思う。
そこらへんの父の心の動きは、僕にしかわからない部分もある気がする。
そしてあれだけ守銭奴っぽかった妹は、実は優しい奴だった。
父を本気で想っていた。
まさか父の手を握るなんて思いもしなかった。
帰り際、手を握った時泣きそうだったと、妹は言っていた。
泣きそうだったのは僕の方だ。
父という絶対的だと思っていたものがあんなにも弱弱しくなってしまったこと、
父から娘への、娘から父への愛情に触れたこと。
直視したら泣きそうで、僕は何度も目をそらした。
手術が予定時間を過ぎ、おばさん達が慌てだした時も、
実はすごく不安だったのに、僕までうろたえてはみんなが不安になると思い、
平気な顔をしていた。
父が手術室行きのエレベーターに乗って行った時だって・・・。
それは僕なりの矜持なのだ。
そして、現実から目をそらさず、見られるものはすべて見ようとしたことも。
家族の支えになる決意をしていることも。
矜持だ。長男としての。
どうやら妹はそこらへんをわかってくれたようで。
ねぎらいの言葉をくれた。
正直言って、嬉しかった。
そして父もきっと、わかってくれているだろう。
やっぱり人間である限り、利害関係や、記号で表せることが全てじゃない。
真実のようなものは、心にある。
父の胃は3分の2なくなったけど、
その代わりに、たくさんの絆を確認することができた。
それに比べたら、夜起きたことなんて・・・屁でもない。
よって、書く気もない。
ま、とりあえず、なんだって無駄なことなどないのだ。
この苦しみだって。
そんな日だった。