数日経過してるけど…
先週でやっと1年が過ぎました。
とても長い長い1年に感じ、まだ1年しか経ってないの?と思います。

そう。

東日本大震災から、1年。
3.11の数日前から、震災の特集番組ばかりで。やっと1年経てから浪江町の請戸地区(故郷)もメディアに大々的に出るようになり、3.11までの数日間は不安定な状態で日々過ごしていました。

帰省しようかとも思ったけれども、祖父母の一周忌法要は事態が事態だけに当日は出来ないし、父が仕事だった為追悼式には行かないとのことだったので…家にいたらきっと私は感情を押さえきれず大変なことになると思ったので東京で過ごすことにしました。


と、言ってもちゃんと傍に居てくれた人は居たわけで…。

とても救われた。

多くを語らず、多くを聞かず、ただちょうどいい距離感で居てくれるため。私が私で居られた。

3月11日
いつもはダラダラ寝てるけど、その日ばかりは何も語らず一緒に起きてくれ。何を聞くわけでも、慰める訳でもなく、震災のドキュメンタリーや報道を見て。ただ時々、私が『あっ、この場所(浪江町請戸地区)かおりの家あったんだよ。』とか、『かおりが通ってた高校は、この町(大熊町)だよ』とか言うと、相づちをする程度。
けど、私は意見が欲しいんではなくただ聞いてほしいだけだから、それくらいが凄く居心地がよくて。


14時46分。 追悼式映像。
私は、目をつぶると堪えてたものが溢れ出ちゃうからグッと堪え映像を見てました。

黙祷が終わり、一言。
『ちゃんと黙祷したか?』
って、言われ声を振り絞って
『ちゃんとしたよ。』
と、言ったら…


それから、何も言わず頭を静かにポンって撫でて、いつものようにあれこれ動き始めて。

その『ポン』って撫でられて、1年前あの瞬間の事やあれから数日間の地獄見たいな感情の日々。日に日に色んな現状を知って絶望を味わったこと。

色んな事がグワッてフラッシュバックして、涙が止まらなくなった。

けど、泣くまいかって私が堪えてたのを解ってたのか。触れずテレビを静かに見てた彼。

なんの言葉もなく、ただその瞬間。傍に居てくれた彼に感謝します。

何も聞かず、地震があると大丈夫大丈夫って私の発作(?)(めまいや震えが止まらなくなって、体が硬直してしまう)をなだめ落ち着かせてくれる。

そこを抜いたら、甲斐性なしの王様みたいなヒドイ人だけど…
この事に関しては、ホントにデリケートな問題であって埋めようのない傷なのにその傷を埋めてくれる。

だから、今私は寝たりバイトしたり料理したり食べたり笑ったり出来てるんだと思う。


ありがとう。
助けてくれてありがとう。


1年経っても、福島県双葉郡は何一つ『復旧』も『復興』も出来ていない状態。
実家のあった場所は《津波警戒区域》という名目で建造物は建てることが出来なくなり、もう帰ってもどうしようも出来ないけれど。

福島県双葉郡浪江町と言うものが、戻ることを願ってる。
戻ってきてほしい。

一時帰宅して、じいちゃんとばあちゃんに花とお土産で気に入ってた生バウムクーハン買ってあげてこよう。


還ろう、浪江に

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