私は自分自身をめんどくさい性格、意識高い系だけど口だけ達者のクズ野郎だと思っている。

多分間違ってはいない。

先日、大学で後輩たちの舞台の仕込みをしていた。

後輩から「この機材は足場が安定していないと吊れないんです」と言われた。

曰く事故が起こりかけたかららしい。

しかし、作業する姿を見ていて大きな機材がたくさん導入されているのに対して足場がなさすぎることに疑問を感じた。明らかに効率が悪いだろうと思い始めた。だから、私は教授になぜ高さの低い足場で作業を行ってはいけないのかをもう一度聞いてみた。教授は心底めんどくさそうな顔をして私を見る。


私は思った。新しい機材を沢山入れたのに足場がなさすぎて逆に作業効率が悪い、低い足場で安全に作業できるようにする方法を模索しようとはならないのだろうかと。

ロープを引っ掛けて上まであげたら比較的安全なのではないか。そう思った。

しかし、教授からは「そういうものだから」としか返ってこなかった。お前と話すのはめんどくさい、要領を得ない取り止めのない話ばかりすると言われた。

カッッチーーーンときてしまった。

納得できないことを聞いて理解しようとするのは悪いことではないだろう。寧ろ深く知った方が安全に行動できるではないか。私は正直他の人より理解が乏しい人間だ。だからこそ沢山の質問をし、沢山の不満を唱え、議論を求めている。

様々な見聞を聞き自分で判断し、可能性を明確にするのはどんな学問でもされてきたことだ。人文学、考古学、自然科学、哲学なんでもそうだ。私の理想が高すぎるのかと反省しかけた。でも、私が所属するここは芸術大学であり「高等教育機関」なのだ。要領を得ないことを議論し成長する場ではないのか。じゃあ大学って何のためにあるんだ?研究者って何のためにいるんだ?4年制の就職予備校かなにかだと思っているのか。

正直私は理想主義者だ。私の思っていた大学とはもっと多くの議論をして、一人一人が考え方を成長させる場であった。そう、文豪作家の描く大学とはそのようなものだったから。実際入って4年も過ごしてみたらどうだ。まるで就職予備校、与えられたものの使い方を学び、社会の考え方に従い、従順なものが好かれる組織。必要なものは考えじゃなくて行動。は?気持ち悪。


まあこんなことを言っていてはいはい承知しましたとできないから私は未だ内定がないのだろう。

意味がわからない世界で1人嘆いている。

なぜが多すぎて社会に対応できる気がしない。

早くして死んでしまうのが世間のためになりそうだ。こんな日本が気持ち悪い。行動しない自分も気持ち悪い。不満不安。誰か私の脳に直接麻薬を擦り付けてくれないか。洗脳して自分の考えなどなくしてしまいたい。そしたらきっとこの社会に対応できるから。