「なんだよ、魚は無いって言っただろう」

翔太は言い飽きるくらいにカモメに言い続けている。まったく鳥は学習機能がないのか。翔太にとってその行為が羊の数を数えるようなものだった。いつもこの言葉を呪文のように繰り返し眠りに就く。日も昇り、今日も青空が広がる。

久保翔太は高校を卒業し、働くことを選んだ。というよりも働くために、そういう高校を選んだのだ。勉学よりはましだろう、そんな意味での就職への意識は強いとは言えない。かといって不真面目な男ではなかったし、一生懸命だった。愛想も良く、出世もするであろう。しかし、顔、というよりもルックスは残念というより他はない。ほんのり乗った脂肪も拍車をかける。アイドルは好きだが女性にはまるっきり縁が無い。そんなことも相俟って職は船乗り。翔太が陸に留まる意味は見つからなかった。

翔太が働いている部署は交代制をとっていて、翔太はいわゆる夜勤である。夜十時から朝四時までの勤務だ。船の中のあらゆる機械等を点検、監視する仕事で、休憩時間は特に与えられないが、居眠りさえしなければなんとかできた。もちろん船内の機器に異常が見つかれば駆けつけて修理や交換しなければならない。技力も要するポストである。

翔太はそんな仕事を辛いと想ったことはない。なぜなら先輩の船乗りである毛帆一徹がいたからだ。彼は今年25歳になったばかりだが面倒見も良く、仕事への情熱もあり技術もかなりものだった。

毛帆が夜勤になったのはちょっとした裏事情がある。

日差しが強い日中、そしてそれが暑い日となると異臭を放つのだった。早い話が体臭。彼特有の情熱が発汗作用を刺激し、その汗が臭かった。仲間であり家族のように過ごす乗組員たちにはこれが耐えられず、苦肉の策をとられたのだ。

本人には「手薄な時間帯に有力者をあてたい」と告げられた。真っ直ぐな毛帆はこれに従った。実際に夜間勤務の前任者は居眠りなども多かったため、毛帆が疑う理由などない。余談だが彼はとも毛深い。

この職業は海上での生活を余儀なくされる。



女の子にはからっきし三級品扱いを受けている翔太にも、とある才能があった。

人になつく。

この特技があったからこそ、学力も低いなりに推薦で高校も進み、今に至る。

ひねくれ者には“媚び”に映るかもしれないが、この特技はある意味仕事においても非常に重要であるかもしれない。

何より、毛帆相手にも翔太は態度を変えなかった。

ただの媚びではここまでできないはずだ。天性の才能なのだ。

そして翔太は毛帆を実際に尊敬していた。慕うのもごく当然だ。



「翔太、お前彼女はいるのか?」

毛帆が重い口を開いた。

毎日顔を合わせているが、この手の質問は初めてだった。

「…いえ。いないです。僕なんか全然モテないし、今まで彼女がいたことなんてないですよ」

「毛帆さんは、いるんですか?彼女」

無口な毛帆との貴重な会話だ。会話とは言葉のキャッチボールだなんてありきたりなことを思い浮かべる。翔太は一球で終わらせるようなことはまずしない。

無口な毛帆には意外な展開で、少し動揺はしたが、すぐに元に戻り、言葉を出す。

「俺は…いない」

すぐに顔をそらした。

その理由が翔太には分からない。彼女がいないことも顔をすぐにそむけたことも。

それよりも普段はしない「私語」を嬉しく思い、会話を続けた。

「えー、そうなんですか。やっぱ船に乗ってると彼女は作れないんですかね?」

「いや、俺はそういうわけじゃない」

どういうわけか気になるところだろう。

しかし翔太は気にしない。

いつだって人の話を流すクセがある。

流していることを気付かせない。これも立派な特技だ。

「毛帆さんカッコイイのに」これもバリューセット。すぐに出てくる。ごく普通に、出る。

「まぁ…男と女は違うからな…」

否定も肯定もせず。毛帆もジャブで応戦する。

本当、女はわからないもんな------。

女、と言えばこの船にはおもしろいヤツが乗っている。

女みたいな男だ。

基本的に話をしているところをあまり見ない。

翔太に関しては業務も異なることもはたらいて、まったく口をきいたことがない。

でも存在は知っている。その理由はあきらかだった。

単純に有名なのだ。

人が目立つということは、やはり"異人"である必要がある。

偉大であるか、キチGuyか。そしてミステリアスな雰囲気があるとそれは加速する。

森恵(モリ メグミ)は"異人"であった。

用もなく(用はあるのかも知れないが)、ふらふらしている。

船上の夜は寒いこともある。そんな中、ロングカーディガンを羽織って徘徊してるのだ。

そしてその姿は男には到底見えない。

色白で髪も長く、線が細い。ちょっと絵になるところもあるが、明らかに浮いていた。

これだけでも恵は十分目立つのだが、ミステリアスな雰囲気は他にあった。

風呂に入らない。

もちろん風呂に入ってないはずがない。入ってるのを見た人間がいないのだ。

男たちは3日も風呂に入らず肉体を使うと、なんともパンチの利いたニオイを出すのは想像に難くないだろう。

恵はいつでも臭わない。

何種類もの香水を使いわけているのだろう、とにかく女性的な香りしかしない。

女性的、という表現を誰もが思うのはそれないに訳がある。

香水の発症の地、フランスでは体臭消しとしての使われ方が多かったのは歴史的に有名な話しだ。

風呂に入らない男。動物の皮でできた衣類。それとぶつかった香りはどういった類のものだろうか。

香水をつける男は他にもいるが、男の香水と女の香水はあきらかに質が異なる。

恵のは分類上、あきらかに女性的なのだった。

すれ違う時に振り向く男もいるくらいだ。

そんな恵が入浴をしないはずがなかった。




どうしてこんな男がこの界隈に…

そう噂されるのは時間はかからなかった。
男たちが集団で毎日を過ごす。

毎日が部活の合宿のようだった。

夜になると携帯ゲームの通信対戦で盛り上がる。

翔太も勤務開始前にちょくちょく「集会」と呼ばれる集いに参加していた。

ルームメイトは翔太を含め8人。内、ゲームをするのは5人。

4人用のゲームなので翔太ともう一人は出たり入ったりする形をとっていた。

「うわー!!ヒキョーくせー!!」が口癖のケンジ。

「ヤベー!勃起してきた!!」言動が正気の沙汰ではないアキオ。

「攻撃判定が4フレ以降に発生するから…」マニアックなストロークでアプローチしてくるトモヒサ。

「ゴメーン、また落ちた」翔太と入れ替わりで入る、ノゾム。

こんな日常を過ごしていた。

タイプ的に一番近いノゾムはゲームが決して得意ではない。

それでも嫌われたくない一心でゲームを勉強した。

娯楽を勉強する、というのも不思議な表現だが、勉強というものを「ストリックに精進するもの」ととらえると、ノゾムは正にストイックにゲームをする勉強家だった。

その健気さがルームメイト、いや、ゲームメイトに嫌われるはずもなく、何度も足を引っ張ってもみんな許していた。

タメ歳ながらカワイイやつ、と目に映ったことだろう。

翔太に関しては、それは共感とも言える感情だった。

「今日はセクシャル・ハラスをやろう」

ケンジがリクエストした。

セクシャル・ハラスとは風を使う悪魔で、かなりの強敵だ。

翔太は今日は乗り気じゃなかったので、同じ空間で溜まっていたマンガを読むことにした。

マンガが溜まる、というのは少年詩や少し大人向けの週刊誌など、一冊をみんなで楽しむ手法をとっていて、翔太のところに多種多様なマンガが積まれているのだった。

ゲームに参加するのは…

ケンジ、アキオ、トモヒサ、ノゾムとなる。

ゲームが始まるか始まらないかの内にアキオが口を開く。

「ヤベ…イキそう…」

やはりキている。

しかしメンバーも慣れたもので、圧倒的にスルー。

そして実際にイッたのはノゾムだった。

ノゾムのこのゲームのプレイ時間では装備も技術もこの敵の前では無力だったのだ。

何度やっても結果は同じ。時間だけが過ぎ、しばしの沈黙後…

「その装備じゃ駄目だって」

アキオが口を開く。

「ごめん、コイツ初めて見たしさ…」

ノゾムは謝ることしかできなかった。

「それでも属性とか教えたじゃん、何で雷でこないんだよ、ガードもしねぇし…」

「…金足りなくて作れなかった…」

「逃げるのも遅い」

翔太は部外者であることをいいことに沈黙を続けた。

事を荒立てる必要はないのだ。

「お、おい、言い過ぎじゃないか…?」

アキオが珍しくマトモなことを言う。たまにまともだからタチが悪い。

「とにかくごめん」

ノゾムは部屋を出た。

こういう場合、学園ドラマなんかでは屋上やトイレに行き、誰か慰めてくれるやつがいるのだろう。

しかしここは男しかいない。

ドラマティックな展開など起こるはずもなかった。
翌日の昼下がり

昨日のケンカまがいのコトが起こったせいか、翔太は早く起きた。早いと言ってもPM4:00なのだが。

気分が優れない日は甲板に出て、風を浴びる。

時にカモメがウザく、時カモメが心地よかった。

この日は幸いにも心地よく感じられた。

そんな気持ちのゆとりからか、ふとノゾムのことを思った。

「ノゾムは立ち直れただろうか。今思うと目に涙を浮かべていたようにも思える。」

そんな優しさとも同上とも言えぬ感情の中、翔太を呼ぶ声がした。

「翔太、翔太!」

そこにはノゾムが立っていた。

翔太は思い切り赤面してしまった。

誰でも頭の中で考えていた人物が突然目の前に現れたら慌ててしまい、妙な恥ずかしさを覚えたことがあるだろう。

「ど…どうしたの?」

翔太はドギマギと答えることしかできなかった。

「いや、ちょっとヤボ用でさ、人目につかない所に行きたいんだけどいいかな?」

ノゾムがうつむき加減でそう言った。

女の子で言うならば、コレが「上目使い」となるだろう。

少し甘えた口調に翔太の動揺は加速した。

断った方がいいか、快く受けた方がいいか。

キモいんだよ!バッサリ斬るべきか…。

少し迷うも、昨日の件もあるし、ノゾムが可愛そうだ。

自分にできそうなことなら引き受けよう。

「ん…俺にできることなら」

快諾、とまではいかないが、無難な解答であるに違いない。

二人は人目を避けるように廊下を進み、物入れとして使われている倉庫に入った。

体育館の倉庫のような独特の香りに包まれ、妙な鼓動の変化を感じていた。

さっきの赤面の件もあり、翔太は「こいつ、もしかして…ホモ!?」

なんてことを考え、狼狽した。

「…やらない?」

『やらない?』たしかにそう聞こえた。

ノゾムは翔太に「やらない?」と聞いてきたのだ。

その前に何か言ってたように思うけど…

クロ。間違いなくクロ。

待て待て待て…wait…wait…wait…!!

『お…俺はどっちだ…?受けか??』

『いや待て、受けはいやだ、いやいやいや、ノゾムのことだ、ノゾムが受けなはずだ!』

思考に思考が重なり、ノゾムの顔が見えない。

きっとノゾムは上目使いで見ているに違いない。

眉間にちょっとこう…しわなんて寄せちゃってるんだ。

「フルティン、駄目かい?」

「フル…ティン…??」

「フルティン。あいつ倒せてないからさ。」

フルティンとは雷を呼ぶ悪魔で、こいつを倒せばセクシャル・ハラスの弱点を突く武器を作ることができる。

ノゾムは一人では倒せないだろうから、翔太に協力してもらおうと思ったのだ。

昨日のメンバーにそれを頼もうとは思わなかった。

それはソゾムなりの小さな反抗であり、同時に「影なる努力」を認めてもらいたいと思ったからだ。

「あぁ、なんだ、そんなことか…」

翔太のトーンが落ちる。

「そんなに強いにやつには挑まないよ」

ノゾムがほほ笑む。ノゾムには翔太の警戒心がとれたように見えたのだろう。

予想より弱い敵だったのだな、自然に思った。

「あ…あぁ。それなら俺にもできるもんな」

翔太は明るく務めたが、何かをがっかりしている。

ホッとしたのが半分。残り半分はなんだか宙ぶらりんだ。

その夜、翔太を除くメンバーはセクシャル・ハラス討伐に成功した。

翔太はこの間、寝た振りせざるをえない状況におちていった…。