誠~honesty

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日々の生活とか、思ったことを書いています

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瞑想を教えてくれた彼が、亡くなった。
体調が悪いと言い始めて4ヶ月。病院に行ったときには既に手遅れで。

ヒーリングを受けていて、瞑想で自分の体を見てきたら
どうやらメインの病巣はヒーリングで良くなったようだ
余命宣告をされて、やろうとしていたことをずっと後回しにしていたのを
猛烈に後悔したから、これからはそっちに注力すると話していた。

その、2週間後の突然の死。

どうあがいても、命が無ければ結局旅立ってしまう。
そのことはよく知っていたが、実際に親しい人にそれが起こると
呆然としてしまう。


悲しみは、不意に襲うけれども
気づけば流れて消えていく。

悲しみが、どこから来るのか。
何を目的としているのか。
何を生み出すのか。

彼の死が、それを痛烈に教えてくれた。
だから、流せるんだろう。

彼は死んだ。
彼の肉体は既に無く、彼の感情も人格も記憶も既に解消された。

それでも

彼であったその存在そのものは、消えることは無い。
空に、風に、木々に、土に、空気に
全ての物に存在は満ちている。

彼だけでは無い。全ての存在が、そうやって満ちている。

最期まで、彼は教えてくれた。
それを学ぶことが出来た。そのことに感謝する。

自分には、師がいる。
それは、彼では無い。
ずっと彼を師だと思っていた。そうではなかった。
この世界の全てが、自分の全てが、師なのだ。
やっと気づけた。自分の道は、これからだ。

肉体という牢獄に捕らえられ、心という鎖を纏う自分にも
自らの存在が、世界と変わった物で無いことを体感する日が
いつか来るだろうか。

何も話す必要など無かったのだ。
彼も自分も存在であり、そこには何を話し、何を飾る必要性も無かった。
彼が世界に満ち、自分はその存在を常に感じている。

全ての物が、全ての存在が、沈黙の中でささやいている。
気づけ、祈れ、学べ・・

自分に出来ることは、ただそれを聞き
沈黙の中に身を置き、祈り、自らを学ぶことだけだ。


自分は、生きる。
彼の見たもの、聞いたものを、自分自身で確かめるために。

ありがとうございました。

ご紹介いただいた臨済録を読書中。


宗教にこだわりはなく、乱読派だが

それだけに専門用語には疎い。

そういったものは気にせず自由に読む。


未熟者故、まだ分からぬ場所も多々あるけれど

修行の糧となる書物である。


ちなみに

「仏に逢うては仏を殺し」は、まさにそのままの意味であった。

師の言わんとすることがひしひしと伝わってくる。


まだまだ、自分には覚悟が足りない。



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