死にいたる病 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房



¥1,313

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▼ (本題の前に)、人間とは何か?の定義 (*以下訳注を参照しながら書いた。)

人間は精神である。(では精神とは何か?)精神とは自己である。(では自己とは何か?)自己とはひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。自己とは関係そのものではなく、関係がそれ自身に関係するということである。つまり二つの関係があったとして、第三者が自己である。

そして関係には例えば、無限性と有限性、時間的なものと永遠なもの、自由と必然など相反する二つの関係項があるが、その間に成り立つ固定した関係ではなく(=消極的な第三者的関係)、その関係項の相互関係の仕方のそれ自身に対する関係の仕方に応じて関係そのものにいろいろ違ったふうに成り立つことのできる動的な関係が(=積極的な第三者的関係)、真の自己である。言い換えれば、関係は「状態」ではなく、(それに対する)「態度」であり「行為」である。

「関係がそれ自身に関係する」とは、関係が自らを意識あるいは反省することであり、さらに言えば、関係が自らに対して一定の態度をとり、内面的な意味でみずからに対して一定の行動をとることである。すなわち「意志」、「決意」もしくは「決断」である。



以上のキルケゴールの「人間」の本質規定は、人間の理想像であり、人間の実現すべき課題、使命として示されている。つまり初めの問いは、人間とは何か?というよりも、「人間とはどうあるべきか?」という善を希求する命題だったと言えるだろう。

このように最初に明快なゴール(目標)が示されるのは、とても清々しいことであると感じた。その上このように人間に対する最高の要求を定義した上で、人間の絶望に対する考察を進めていく本書は、ある意味『最高にポジティヴ』だと言えると私は思う。絶望は、他の動物にはできない、崇高な人間の特権であるという人間の崇高さが前提となっているからである。(余談だが、これは奇妙な響きのする、人間の定義である。面白い。)



▼ 死にいたる病=絶望

さて本題の死にいたる病であるが、これは絶望のことであり、ただし普通の病と違ってかかっても死ぬことは無いため、永遠なものである。この文脈から言えば、「死」というものも肉体的な死のことではなく、仮に肉体的に死んでも永遠に続く「最後」のことであろう。

また、絶望は弁証法的にとらえるべきものである。絶望していないということは、それこそ絶望していることであり得る。気分がすぐれない(鬱)であるということが、ただちに絶望しているとは限らない。むしろ気分のすぐれなさをかつて感じたことが無い人は、それこそまさに絶望していると言える。これはまさに18歳、大学1年生までの自分である。当時は毎日がただ楽しく、人が苦悩しているドラマや小説に心底から共感することが無かった。ただ、面白いことにその自分の状態は「何かおかしい」と自ら気づいていた(手前味噌ながら自己を持っていたのだろう)。それもあってか、大学1年の終わりごろから徐々にいろいろと自分について悩み始めたが、そこで自分はようやく正しい人生行路を進んでいるという自覚と自信を持ったことは、うそではないと思う。

本書でキルケゴールも、「絶望は、病ではあるけれども、それにかかったことがないというのは最大の不幸(p.52)」と言っている。(ただし生涯を通して最も深い絶望にかかっていた、その本人の弁であることは留意しておく必要はあるだろう。まぁ私は全面的に彼の支持者であるが。)



▼ 絶望の諸形態(分析・分類)


絶望の諸形態は、抽象的には、総合としての自己を反省することで分類される(p.57)。たとえば自己の無限性と有限性の関係に対する関係という観点から。

しかしながらもっとも重要なのは、「自分が絶望していることを」意識しているのかあるいは無意識なのかであり、すなわち意識と無意識という規定から分類するのが望ましい、とキルケゴールは説く。



(続く)


さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)/山田 真哉
¥735
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会計の本。

20歳くらいに一度読んだけど、職場の先輩に借りて再読。ぜんぜん内容覚えてなかったけど、今回読んで思ったのは、大雑把ながら本質を突いたこと言ってるな、って感じ。全体を通してライトなタッチで、筆者の主張が自然に浮かび上がってくる良い本だとおもう。


▽さおだけ屋はなぜ潰れないか
この”妙”なタイトルも、当時話題になったと記憶している。タイトルに惹かれた人にはネタバレになってしまうが、要はさおだけ屋はさお「だけ」売ってるのではなく、副業として家の庭の修繕工事(利益率の高いサービス業)をやってるとか、じつは本業は町の金物屋さんが、配達業務のついでにさおを売っているというだけの話である。

同様の話で、「ベッドタウンに高級フレンチが存在している謎」のほうが面白い。高級フレンチが中流層の家の近くにあっても誰が行くか、という話だが、からくりは、この店は副業の料理教室で儲けているという点にある。
本業×副業の組み合わせは「学校や図書館×自動販売機」、「AV機器販売×音楽・映画事業(Sony)」などがあり、連結経営の基にある考え方だという。個人レベルでは、自分の職業あるいは趣味に関係した物のネット販売や小説なら、副業に(比較的簡単に)なりうるだろう。副業まで行かなくても、株の投資には役立つ。


▽塵は積もっても山にならない
節約したかったら、大きな買い物だけに集中しろ、と。
昔私自身、スーパーの卵の値段を1円でも安く買おうと遠くのスーパーまで車を出す母親をなじった経験もあったので共感して読めたが、たとえ毎週卵をコンビニで買うより50円安く買ったとしても、50×51週(1年間)=2550円の得にしかならない。しょうもない付き合いで参加する飲み会(2時間3,000円)を1年で1回減らせば優におつりが来る。

この話は、頭で納得できても、「お得感」に振り回されやすい日本人(現代人?)にはなかなか納得しがたいだろうが。ちなみに私もその一人です。日々節約して、ときどきその発散としてパーッと贅沢するっていうのは大概「収支はマイナス」って分かっているんだけど、やっちゃうんですね。


▽感情の問題。
この話は、会計というのがあくまで論理的な考え方で、人の心の動き(お得感)は無視した考え方であることを教えてくれる。だから、家計の考え方で会計学を導入するのは私はあまり賛成できない。

同様に、会計的考え方で言えば、「(奨学金など借金の)繰り上げ返済」もお勧めできないことになる。分割払いの利子なんてたかが知れてるわけだし、15年もかけてちびちび払ってよい負債を今払う必要がどこにあるかと説く。
でも、繰り上げ返済できるだけの貯金があるとしたら、私ならたぶん要らぬ贅沢をしてしまう。。。だから、感情的に言えばスパッと全額返済してしまって、贅沢を予防する方が、現実的だと思う。
クレジットカードという「後払い」ができる便利なもののおかげで(無駄な贅沢をして)その利子付き返済に追われている人がアメリカでは全人口の6割を占めるという話を聞いたことがあるが、これが現実ではなかろうか?

貯金を有意義に「投資」活動に使える人には全くもってチャンスロスな、みみっちい意見だとは思うけれど。


▽あと、為になった点いくつか。
・会計士の仕事の実際
「われわれ会計士は、監査といってもすべての会計資料に目を通してチェックしているわけではない。(中略)。大事な一部分を調べることで、まぁ全体としても大丈夫だろうと太鼓判を押すのが監査の仕事なのである。(中略)。金額的に大きいものは何か?他への影響が大きいものは何か?と大きいものにポイントを絞って見ている。」
木を見て森を推測するアプローチ。ただし、間違った木を選ぶと推測できない。木となるデータを選ぶセンスが、会計士としてのセンスということだろう。
(本書では、実生活に敷衍させた例として、魚の新鮮さを見るときに全体を眺めてもわからないので「目が濁っていないか、血走っていないか」という点で新鮮さを判断すると書いてあった。私も、初めて入るパン屋では定番商品であるクロワッサンやカレーパンを食べてみて、パン屋の質を評価する。仕事でもこの考え方は応用できないだろうか。)


・≪50人にひとり、全額キャッシュバックキャンペーン≫が意味するところ
広告主の立場からすれば、2%割引と同じこと。だが、2%割引よりインパクトが断然ある。数字の表現の仕方でお得感を演出できる好例。私もぜひ仕事のプレゼンとかで使ってみたい。

・ある特定の数字を定期的に抑えること;これが分析の極意
膨大な数字データにあたるとき、今の自分にとって大事な数字は何か?をじっくり考える。すべての数字を均等に見ようとするからわけがわからなくなる。これはマーケティング・データ分析の考え方にも通じるだろうな。
賢い主婦は、スーパーのチラシを毎日チェックしており「前日との比較」「他店との比較」を(自然に)行っているものだ。




この本は、身近な例がほんとうに豊富で、これがベストセラーになった大きな理由の一つだろうと思う。


正常と異常のはざま―境界線上の精神病理 (講談社現代新書)/森 省二
¥714
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▼ この鬱病の多い時代に。
精神科医の書いた本で、正常=健康、異常=不健康という定義の下、従来の精神的不健康(躁鬱病、神経症、分裂症)ほどではないが、まるきり健康でもない、すなわち『正常と異常のはざま』という精神病の概念を新たに提起する本である。
著者によれば、これは“境界線上”の病ということで、特に青春期(子ども→大人への境界線上)に見られるものを指す。そして現代では、この青春期は12歳(第二次性徴)から30歳(高学歴化・晩婚化に依る)まで広がってきているために、境界線上の病定義が重要であると説く。

▼ ケースL
患者の例をかなり多く取り上げている。たとえば事例L<不毛の性愛関係を繰り返す境界例>は、高校中退後、十数回職を変え、結婚が二度、同棲については数え切れないL子(25)の話である。

「職場と結婚生活は長くて5,6ヶ月、短いときは1ヶ月もたない。そして、淋しさを酒や睡眠薬、シンナーでまぎらわし、生活に破綻すると自殺を企て、過去に三回の自殺未遂がある。しかし彼女は決して大胆な非行や犯罪へと走るわけではない。ひたすら異性の愛情を求めながら、充たされない空虚な世界に漂っていた。『愛そうと思う瞬間は心が充実しているけれど、次の瞬間は虚しい。すべてがどうでもよくなってしまう。』まだ二十五歳だというのに、やつれて、生気に乏しく、投げやりな、そのくせ何かを必死に求め続けている様子が、彼女には認められた。」

→精神医学的には、父母からの愛情が幼少期に不足していた(と感じた)ことが原因だとしている。

▼ 我々は、精神科医を必要としていない。
多くの人はこの事例ほどではないにしても、何かしらの異常を持っている。その異常はときに世間を上手く渡っている人(cf. 大会社の社長など)に見られることは本書も認めるところである。天才とバカは紙一重という諺もある。

ケースLのように素因(原因)を分析することは、精神科医が治療をする際には役立つかもしれない。では、我々一般読者は、この事例や精神分析から何を得ることができるのか。あるいは治療を望んでいるのだろうか。素因が幼少期にある以上、『その根本的な解決は、精神面において、幼い子どもの段階からの「育てなおし」以外にない(p.230)』という。我々は本当に「育てなおされ」てまで、治療を欲しているのか。

もしそうでないならば、精神分析をして素因を知ったところで、害はあっても益になることはないと私は思う。素因は、幼少期の私に責任のある人達に、私の異常の責任を転嫁する根拠にしかならない。

「育てなおされる」ことを拒否し、自分の異常と共に生きることを選択できる程度の健康さ(正常さ)を持っている人にとっては、自分の病状(行動パターン)を自戒として知るという以上のものは本書からは得られないだろう。


◆ 必要なのは、文学だ。
長い間、私は自分の精神分析の助けになる本書のような本を読むのが好きだったが、これを機に一切やめようと思う。私に必要なのは、それぞれ異常な性癖を持ちながら、自分の道を生きていく主人公のある文学だ。

このエーリッヒ・フロムの著作は名著だが、私にはもはや必要ない。
愛するということ/Erich Fromm
¥1,325
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悪について/エーリッヒ・フロム
¥1,386
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異常な主人公のある文学
ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)/村上 春樹
¥680
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ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)/村上 春樹
¥680
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夜明けの街で (角川文庫)/東野 圭吾
¥660
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▼ 軽薄=実際的な庶民の有り様
5年ほど前に読んだ白夜行以来の東野圭吾。
普段読んでいる本が古典や純文学なので、どうしても軽薄な感じを受けてしまう。しかしその軽薄さというのが、実際の庶民感覚の的確な表現に由来しているのだから、悪い意味ばかりで言っているのではない。つまり、自分も頭では偉そうなことを考えていても、いざとなるとこの主人公のような軽薄な思考や行動に陥るのだろうな、ということだ。

現代社会に生きるごく平凡な人間<大衆>の心理描写について、実際的で過不足無いと感じた。たとえば村上春樹とかだと、平凡を超えた論理的思考力とやたら鋭い感性を持った人間が主人公である小説がほとんどと思うが(、今考えると私の読む作家の主人公はやはりいずれも平凡以上の人間が多い)、その分現実の自分との乖離が生じている。主人公の思考は理解できても、自分が同じ立場だったらおそらく考え付かないことも多い。対して、この作品の主人公からは、自分を高揚させてくれない分、親近感と多少の諦めを感じる。

▼ 掛け合わせ
不倫とミステリ。全然関係ない二つの事柄を(多少の強引さは感じたが)結びつけて話を展開させ、クライマックスに持っていくのは上手いなぁと。正直、話に感情移入はできなかったが話の構造美は少し感じた。
他の作品は読んでいないのでトンデモ仮説かもしれないが、東野圭吾の作品は、現代の様々な社会問題×ミステリの掛け合わせの妙が特色なのではないだろうか?そうであるならば、これだけ売れるのも納得できる。どちらも人気ジャンルだろうから。

◆ 同じ不倫でも・・・
村上春樹の不倫とは大違いですね。あらゆる点で。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫)/村上 春樹
¥540
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白夜行 (集英社文庫)/東野 圭吾
¥1,050
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マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)/塩野 七生
¥460
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▼ 誰がこんな書を世に出せようか?
身も蓋も無い、とはこのこと。現代を生きる人は、こんな身も蓋も無い著作は世に出せないはずだ。マキャヴェリ自身も、自身の就職活動のために書いたのであって、存命中に出版することを目的としたわけではなかった。そんな書が世に出たからこその価値なんだと思う。
ひとつひとつの思想は、そこまで論理的に練りに練られたものだとは思えない。粗っぽいものもある。しかしやはり、こんなことを真正面から言う本は他に存在しないのである。

▼ 25歳の現在、特に気になったものをいくつか。
君主は愛されるべきか、怖れられるべきか。
一方を選ぶしかない場合、後者を選ぶべきだ。なぜなら、人間には、怖れている者よりも愛している者のほうを、容赦なく傷つけるという性向があるからだ。恩義や愛情は、利害が絡むとなれば平然と断ち切られる一方、恐怖や復讐は怖ろしく、容易に断ち切れない。(『君主論』p.92)
人心を把握するには、厳格主義と温情主義のどちらが有効か。
どちらでも、その人の性格を反映したやり方なら有効だ。また、人間は変化を好む存在である以上、ときには、相手がまったく予想もしていなかった態度で臨むと、絶大な効果を生むことがある。ときに厳格な態度を示されれば、人は身が引き締まる想いになるものだし、厳格に慣れた者にたまに温情を示すと、とたんに軟化するものだからである。(『政略論』p.143)

古代のローマ人は、名誉を尊ぶ気持が非常に強い民族だったが、それでもなお、かつての部下に命令される立場になっても、不名誉なこととは少しも考えなかった。(『政略論』p.168)

民衆の賛同を得るには、どの方法だと容易で、どの方法だと困難か。
容易:彼らに向って、こうやればトクで、反対にこうやれば損になると、具体的に説得する。または、こうすれば勇敢に思われ、別の方法だと臆病者で卑劣と思われるだろうと説く。困難:どれほど有益な政策でも、表面上は損になりそうだったり、または外見がぱっとしなかったりする場合。(『政略論』p.185)

どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそものきっかけは立派なものであった。(『政略論』p.209)

運命について。(時代性との絡みで。)
人間というものは、名誉であろうと富であろうと、各自が目的と定めたことの実現に向って進むとき、種々さまざまな生き方をするものだ。慎重にやる者もいれば、大胆果敢にやる者もいる。力で押していく者もいれば、技を駆使する者もいる。忍耐に忍耐を重ねて実現する者もいれば、その反対をやって成功する者もいる。
運命は、変化するものである。それゆえ人間は、自分流のやり方をつづけても時勢に合っている間はうまくいうが、時代の流れにそわなくなれば失敗するしかない、ということである。
わたしは、はっきりと言う。慎重であるよりは、果敢であるほうがよいと、断言する。
なぜなら、運命の神は女神なのだから。彼女に対して主導権を得ようと思うなら、乱暴に扱うことが必要なのだ。運命は、冷たいほど冷静に対してくる者よりも、征服したいという欲望を露わにしてくる者のほうに、なびくようである。
要するに、運命は女に似て若者の友である。若者は、思慮に富んでいないがために後々のことなど考えず、より激しく、より大胆に、女を支配するからである。(『君主論』p.213-216)

名誉というものは、成功した者だけが得るとは限らない。
第一の方法は、失敗は他の原因によるのであって自分の責任ではないということを、実証できた場合。第二の方法は、失敗の直後に、前の失敗を帳消しにするような、素晴らしい成功を勝ち得ることである。(『政略論』p.259)

◆ マキャヴェリのすすめ及び正しい読み方。
語調が強いから、あられもない現実の見方に圧倒される場合も多くあると思う。けれど、中には根拠の示されない感想文的なものも多いし、(抜粋だからか)対立して読めるものも多いのだから、下手に自分の信念を曲げないように気をつけながら、取り入れる格言は取り入れる、というスタンスで読むと勉強になるのではないだろうか?


↓マキャヴェリ『君主論』実践書。ケース・スタディ。
よいこの君主論 (ちくま文庫)/架神 恭介
¥819
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ニーチェ―どうして同情してはいけないのか (シリーズ・哲学のエッセンス)/神崎 繁
¥1,050
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◆ ニーチェの思想の根底に「同情の禁止」があるという
このシリーズ・哲学のエッセンスは、100ページ強の入門書とのことだが、本書は難解だと思う。ニーチェだけでなく、他の哲学者・思想との関連で進んで行くので、予備知識がないことには、分かった気にしかならないだろう。


人生を考えるヒント―ニーチェの言葉から (新潮選書)/木原 武一
¥1,155
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◆ なぜこんなに名言(本)が多いのか
2010年はニーチェの名言抜粋本がベストセラーになったりしていたと思うが、本書もそんな時期に再版されており、値段が安いから買った。
ダメ本としてあえて紹介しておきたいが、ニーチェの著作から1,2行を「ニーチェの言葉」として抜粋し、それを著者が自分の思想や体験に(むりやり)結びつけて、いいように解釈・解説している本である。

言うまでもないが「言葉」には裏表があり、文脈の中で理解しないと全く逆の意味でとってしまうこともよくある。それを抜粋するだけならまだしも、著者の思想や体験を用いて正当化してくるのだから、実に余計なお世話だ。

『それなのになぜ、現代に生きるわれわれが、思想そのものでなく、たとえ研究者といえども第三者の映った鏡を眺めねばならないのでしょう。この種のフィルターを通すことなく、直接に思想に相対することこそ、たとえそれに反対であっても、よほど収穫の多いやり方ではないでしょうか。(「マキャヴェリ語録」塩野七生より)』

ニーチェではないが、「マキャヴェリ語録」はマキャヴェリの名言を、前後の文脈と共に抜粋してくれている本である。私はこの塩野七生のスタンスでないと、信用して本を読むことができない。
原著を読むには時間も気力も足りないが、下手な抜粋本・解説本に手を出して、原著を分かった気になるのはあまり意味が無いのである。第三者の意見があると、自分の頭で考える機会がその分少なくなるから。もっと言うと、自分の考える行為が妨げられてしまうのだから。

マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)/塩野 七生
¥460
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◆ ニーチェに関して良い抜粋本はないのか。
それか、せめて「ツァラトゥストラかく語りき」ぐらい原著に挑戦してみようか。

ツァラトストラかく語りき 上 (新潮文庫 ニ 1-1)/ニーチェ
¥540
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ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)/ニーチェ
¥693
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↑岩波文庫のは、一気に通読するのに適した訳だという評判です。
非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門 (ディスカヴァー携書)/飯間 浩明
¥1,050
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▼ 問題→結論→理由。この基礎だけを徹底的に解説した本。
このシンプルさが、この本の特長です。

筆者によれば、”文”には二種類しか存在しない。
それは、「日記文」「クイズ文」。前者は、事実+感想から成り、後者は、問題+結論+理由から成る。

また各々の特徴と効用をまとめると、
・日記文は、主観(感想)を含み、言いたいことを複数盛り込める。
・クイズ文は、主観を排し、一つの考えに絞って確実に伝えることができる。


▼ こんな文章を書けるようになる。

『公立の学校で朝食を全員に出すことは適切か。』

朝食を抜いて登校する子どもは少なくない。二〇〇五年度に行われた日本スポーツ振興センターの調査は、約八五%の小学五年生、約八十%の中学二年生しか朝食を毎日とっていないことを示している。<背景>
最近、朝食を抜く子どもを減らすため、学校で朝食を出す動きがある。岡山県美咲町の小学校では、一時間目が終わった後で、ヨーグルトやチーズなどを与えている。こうした「学校での朝食」は、朝食抜きへの対策として適切だろうか。<問題>
適切であると考える。<結論>
なぜなら、朝食をとることで、子どもは授業によく集中し、学習効果が上がるからだ。そして、子どもの学習効果を上げるために支援することは、学校の使命である。<理由>
『平成十九年版 食育白書』は、朝食をとる子どもほどテストの得点が高く、また、身体的な持久力も高い傾向があることを示している。朝食をとることと、子どもの知能及び身体の発達とは極めて高い相関関係にある。<理由の証拠>
学校で朝食が出るなら、朝食を家で食べて来ない子どもが増えるという反論があるだろう。たしかに、家で食べて来ない理由が親の怠惰にあるのならば、それを助長する恐れはある。しかし実際は、起床直後の食欲の無さ及び時間の無さが理由であり、九割以上の家庭で朝食は出されている(『平成十九年版 食育白書』)。したがって、反論は当たらない。また、家で朝食をとってくる子どもにメリットが無いと反論される方もあろうが、勿論デメリットもないことは認めるだろう。学習成果向上を公平に図ることが、公立学校の使命である。<想定される反論とそれに対する再反論>
早寝早起きによる家庭での習慣付けによる朝食抜きへの対策はもちろん奨励すべきだ。そのことと、学校が朝食を用意するという学校側からの対策とは両立する。<結論の確認>
(※ 金銭の問題は、議論を複雑化するので省いた。あと、本当は「公立学校」の使命なども見直さないと議論がまとまらない。ミッションを明確化せよ、とはドラッカーの言。)

◆ 突っ込みたいところは色々あると思います。
このあと、より論理の強い主張にしていくには、まぁ、要はディベートです。次は論理構成はそのままに、「適切で無い」の立場で文章を作り、両者を見比べ、どんどんシェイプアップしていけば良いです・・・はい、これが全ての本です。
でも、本当にシンプルだし、その分本当に丁寧に解説されているので、基礎の基礎の確認としては読み返したくなる本かもしれません。

ディベートの達人が教える説得する技術 ~なぜか主張が通る人の技術と習慣~/太田 龍樹
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春の雪 (新潮文庫―豊饒の海)/三島 由紀夫
¥660
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▼ 優雅、気品にあふれた物語
優雅。筆舌に尽くしがたいほどに。だから余り自分の余計な言葉はここにも書かないでおこう。

「『僕は聡子に恋している』いかなる見地からしても寸分も疑わしいところのないこんな感情を、彼が持ったのは生れてはじめてだった。『優雅というものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を』と彼は考えた。(中略)。彼が本当に自分にふさわしい役割を見つけ出すには、何と手間がかかったことだろう。『今こそ僕は聡子に恋している』この感情の正しさと確実さを証明するには、ただそれが絶対不可能なものになったというだけで十分だった。(中略)。彼は新たな人間になった。(P.218-219)」

▼ 恋に生きるという美学
惹かれた女に手を出せなくなってから本気の恋心が芽生える。もちろんそうした状況は多くの人が体験することだろう。しかし、手を出せない事情にもよるが、多くの場合“理性”によって諦めるという選択を採ると思われる。“感情”にまかせて恋を追いかけるのは、小説やドラマの世界だ。

だが、本主人公である清顕は“理性”に無関心であるばかりでなく、“感情”に流されるわけでもない。彼は“感情”のためだけに生きることを積極的に決断している。
彼自身の考えによれば、それは彼の義務であり、使命である。そこに美学がある。
(この美点は、スタンダール「パルムの僧院」に近いものがあるだろうと思う。)


◆ 浮世離れしすぎている・・
500ページ弱あるこの本は、いつの間にか24時間以内に読み終わっていました。
この後、続編では転生して恋人に会いに行くようですが、おそらくこのまま読んでいくと現実世界に戻ってこれません。
最高に美しいが、美しさの他は何も無い小説だと思います。次に読むときは、目先の利や結果ばかり気にして、感情の美しさを忘れた頃になるような気が致します。。


奔馬 (新潮文庫―豊饒の海)/三島 由紀夫
¥740
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暁の寺 (新潮文庫―豊饒の海)/三島 由紀夫
¥620
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天人五衰 (新潮文庫―豊饒の海)/三島 由紀夫
¥540
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パルムの僧院 (上) (新潮文庫)/スタンダール
¥540
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パルムの僧院〈下〉 (新潮文庫)/スタンダール
¥620
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西の魔女が死んだ (新潮文庫)/梨木 香歩
¥420
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▼ 数年ぶりに再読。
筋を知っているのにやっぱり感動してしまう。

今回は二回目だったので、「なんで」感動するんだろうか、多少分析的な視点で読んでみた・・けれど、これといった指摘ができそうにない。なぜならば本書の感動は、全体を貫く雰囲気にあるからだと思う。多くの本に関して私のやり方は、「この場面のこいつの台詞が印象的だ」といった感想を主として書いていくのだが、本書に関しては、全体を貫く瑞々しい情景そのものが最も印象に残ったと言いたい。

▼ きっと誰にでもある、人生の休憩時間。
一言で言ってしまえば、本書は「人生の休憩時間」のお話である。
早寝早起き、規則正しい生活を送り、ゆっくりと(生きる)意志の力を回復する。少し回復したら、「自分(の意志)で決める」練習をしていく。他人の雑音に惑わされない位になるまで。

『魔女は自分の直観を大事にしなければなりません。でも、その直観に取りつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。直観は直観として、心のどこかにしまっておき(それが正しかったのか間違っていたのか見守りなさい)。(中略。)そういう経験を幾度となくするうちに、本当の直観を受けたときの感じを体得するでしょう。(P.138)』

そして、生きている以上、やがて休憩を終え、再び外に出て行くことを「自分で決める」日がやって来る。

▼ お休みの後。
いまさらだが、主人公は中学に入ったばかりで登校拒否になった女の子である。その『いつも不安で自分のやっていることに自信がない』彼女が、二年間の魔女修行を経て、打たれ強い女性へと成長する。

本書には、中学三年生となった彼女の小話も併録されており、そこでその成長ぶりが伺える。この点は、明確に感動できるポイントだと指摘しておきたい。彼女の思考過程を表す地の文が、とてもたくましくなっている。現実を直視した上で、しっかりと自分の感情をコントロールできている。
そして何より、「人生を楽しんでいる」雰囲気がこの小話全体を貫いている。



◆ 梨木香歩の最新作(長編)
ピスタチオ、名作みたいです。

ピスタチオ/梨木 香歩
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家守綺譚 、最も人気が高いみたいです。

家守綺譚 (新潮文庫)/梨木 香歩
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若者よ、マルクスを読もう (20歳代の模索と情熱)/内田 樹
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▼ マルクスの現代における価値って?
マルクスの思想解説というより、マルクスその人の魅力が書かれた本です。
私は以前から彼に興味がありました。なぜなら彼は100年以上前に活躍した人物ながら、未だに政治や経済学(すなわち実学)の世界でしばしば影響力を持っているように見えたからです。本書の著者達は、彼の著作によって、“理論”だけではなく、ものごとを大胆に分析する“大志”や“勇気”が得られるからこそ何度も読み返すそうです。理論は古びても、彼の考え方・考える態度から我々は学ぶところがあると、私は解釈しました。

▼ 全てを疑え
二人の著者が口をそろえて言うマルクスの「スゴさ」は、当たり前とされている前提(枠組み)を徹底的に疑うことのようです。
マルクスの生きた時代は、絶対王政から市民が基本的人権を取り戻した結果、必然として興ったとされる資本主義社会の初期でした。まだ「人間が法の下に平等」という新しい社会への興奮さめやらず、次は人種や宗教の壁を越えた法的平等の実現こそが社会の目指すべき方向だという風潮だった中で、「政治的解放(法的平等)」が成っても「人間的解放(革命の大義/理想の社会)」にはさらなる革命が必要だと考え、ジャーナリスト(執筆)活動をしたのが20代のマルクス。
資本主義という社会の中に生きていると「利己的」、「自己責任」を当然のように、時には真理だとかこの世のルールのように考えてしまう(あるいはそう考えなければ生きていけないからと言って自分の信念に刷り込んでしまう)のが多くの一般人だと思いますが、自分の生きる社会の枠組み自体を疑い、しかもその疑いを生涯強く持ち続けて活動したマルクスはすごい。本書をきっかけに当時の状況を調べて、より強くそう思いました。資本主義の枠組みを前提としているとして、20代の時に名著アダム・スミス「国富論」をもバッサリ批判したそうです。

▼ 学者でなく、やはり革命家
もう一つ、本書から私が得たマルクスの「スゴさ」は、徹底的なリアリストであったことです。たとえば抽象的議論に持ち込む哲学者を批判し、「共産主義は、理想ではない。現在の状態を廃棄する現実的運動である」と主張した。
また、彼を革命運動へ駆り立てた直接の理由は、労働が労働者にとって苦痛となっている現状および利己的な人間の疎外感に対する強い共感と想像力であって、こういった憂いから20代の著作では「分業」を批判したそうです。後年の著作「資本論」では『分業は生産力の発展に不可欠』と真逆の主張をしたということから、慎重な理論家ではなく、情熱的な現実主義者の顔が読めました。さらに、『意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する』と言う実存主義者でもあったようです。

▼ 類的存在、人間的解放の完遂、理想社会
このように現実生活を直視し現実社会から問題提起するリアリストである(はずの)マルクスが、「自分の自然な欲求を満たす振る舞いが、そのまま公共の福利にかなっている」理想社会を目標としていたことに驚きました。これまで私はこの理想社会は幻想でしかないと思い、考えることすら放棄していましたが、その考え方はすでに資本主義社会という枠組みに囚われてしまっているのかもしれません。

◆ 思いの外、読みにくかったですが。
今回この本を読んだ理由は、特に副題が気に入ったからで、マルクスの著書を20代のものに限って紹介しています。同じ20代の(ある意味)ライバルが、多少夢見がちながらも“資本主義の次にある社会”という大それたことを考え、考えるだけでなく実際に運動を組織していたことに刺激を受けました。

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