反共ニクソンが中国に歩みよって、さらに「ウォーターゲート」「ペンタゴン・ペーパーズ」事件で辞任したように、反ネオコン(&ディープステート)のトランプが転向したために「MAGA派」から三行半を突きつけられて「エプスタイン文書」スキャンダルで任期途中で辞任することがありうるでしょうか?

[2026・4・3・金曜日]

 

 

 

ジェイソン・モーガンさんの『「エプスタイン文書」解読』(ビジネス社)を読みました。

 

「エプスタイン文書」とは?

米富豪ジェフリー・エプスタインを巡るセックススキャンダル事件を捜査した資料を指しています。

 

この人、米国では金融コンサルタントとして、世界の富裕層と人脈を築いたようで、自ら所有する島(エブスタイン島)などに政財界の有力者(トランプ大統領やクリントン元大統領など)を招いて交友を重ねたようです。そうした人たちへの性的慰安サービスとして、十代の女性をかき集めていたとも指摘されています。

 エプスタインは、売春斡旋などの罪で有罪判決を受けて拘置所に収容されていたのですが、2019年に「自殺」をしたとのこと。

 

「死人に口なし」となってしまったわけですが、残された「エプスタイン文書」(捜査資料等々)にスキャンダラスなことをしでかしていたことが判明した一部関係者(元駐米英国大使マンデルソンや英国元アンドリュー王子など)が逮捕されたり、要職を辞任したりする騒動になっています。クリントンは先日、議会に呼ばれて「証言」もさせられました。日本人関係者も取り沙汰されています。

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そうした『エプスタイン文書』を文字通り、解読したのが本書です。

 

本書を一読して思ったのは、これって、ジャニー喜多川のような人が「エブスタイン島」に何十人、何百人も集って、酒池肉林の世界を構築したようなものかなと。

 

そういうところに、トランプも交際相手として名前は出てくるし、一方、最左派のチョムスキーも登場します。ホワイトハウスでオーラルセックスを研修生と楽しんだクリントンさんも出てきます。こういう方々が、エプスタイン島でも快楽を楽しんだのかどうかはまだ不明?

 

モーガンさんはこう指摘しています。

「ここ数年、グローバリズムに対する批判が日本国内でも、世界でも力を増している。エプスタイン文書の開示によって、グローバリズムとは、抽象的な概念ではなく、自称エリートが築いた世界的な闇のネットワークだとわかるようになった。グローバリズムの幕の裏に具体的に誰が潜んできたかを知りたいと思ったら、エプスタイン文書を読めばその一部が見えてくる」

 

「日本ではエプスタイン文書に関する報道が割と少ないが、エプスタイン文書が暴くのは、日本を取り巻くグローバル的なネットワークの悪質さだ。それから、伊藤譲一など、エプスタイン側近の日本人などによって日本国内でも「エプスタイン暴風」が吹き出し、悪影響を避けられなくなっている」

 

「日本経済、日本人の日常的な生活に影響を及ぼしているさまざまな人物の、陰に潜んでいたエプスタインとの関係が暴露され続けている。エプスタイン文書と日本、あるいは自分自身は無関係と考えておられる方は、大きく間違っているかもしれない」

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そうしたエプスタイン文書騒動から目をそらすためにトランプがイラン攻撃を始めたのではないかとの指摘も左派からではなく一般の報道でもありました。

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FNNプライムオンライン(3/2(月) 14:51配信)によると、こういう分析です。

 

【急転】「国民の目をそらすために」トランプ大統領のイラン攻撃を予測していた峯村健司氏語る…『エプスタイン文書』とトランプ氏の“焦り”

 

(前略)『サン!シャイン』は、攻撃が開始される前日の27日に、トランプ氏がエプスタイン文書への関心から国民の目をそらすために、「軍事行動に出る可能性がある」と懸念していた、峯村健司氏に改めて詳しく話を聞きました。

(中略)

 

――峯村さんは以前から、この話を煙に巻くために、トランプ氏がイランを攻撃するのではないかと仰っていましたが、それが現実となりましたね

 

峯村健司氏:

なぜ私がこれをかなり断言…、「やる」といったかというと、実はクリントン氏の例があったからなんです。

クリントン元大統領も、1998年に秘書の方とホワイトハウス内で不倫をしたということがありまして、あのときに下院から弾劾裁判という形で「出てこい」という決定が出た翌日に、実はイラクにクリントン氏は攻撃をしているんです。そういう意味ではクリントン氏だけでなく、歴代の大統領はスキャンダルや“まずい話”が出てくると、外に注意を向ける、戦争をやったりという傾向があったので。おそらくトランプ氏もそういう可能性が高いと。

 

――それだけ政権基盤が揺るがされるものだとトランプ氏も認識している?

 

峯村健司氏

そうですね、当時のクリントン氏の事件というのも相当追い込まれていたので。そのくらいトランプ氏も追い込まれていると見ています。

今回、イランへ攻撃を行ったのは、自身のエプスタイン問題がまずいから、国民の“目をそらす”と。

(中略)

MAGA派の人たちの意見を聞くと、黒塗りがあまりにも多すぎると。何が都合が悪いんだというのと。さらに、どうもなくなっているページが50Pくらいあって、その中にトランプ氏が出ているのではないかという疑惑が出ていると。

特に、(辞職した)グリーン下院議員は、かなりトランプ氏の“コア”な、一番中心で支えていた人なんです。やはりこの人が離反した最大の理由が、エプスタイン文書にトランプ氏が関わってきたということになっていますので、トランプ氏がイランを攻撃したり、ベネズエラを攻撃したりするひとつの動揺の原因が、一番自分を支えてくれたコアな支持者が逃げていることに対する焦りの裏返しだと見ています。

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朝日の論説委員や左派論客ならともかく、朝日にあって「はきだめにツル」と言われた峯村さんの指摘ですから、なるほどと思います?

 

モーガンさんの見立ても同じようなものがあります。エプスタインはモサド(イスラエルの諜報機関)との関係もあったようです。それゆえに人脈の形成が進んだというわけです。もしかしたら、モサド、イスラエルに弱みを握られて、トランプがイラン攻撃に踏み切ったなんていうこともあるのかもしれません。

 

世論調査でもトランプ支持率は低下傾向。岩盤支持層であった「MAGA派」の“トランプ離れ”も加速しているとの報道もあります。

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モーガンさんの本を一読して、ニクソン大統領時代のウォーターゲート事件やペンタゴン・ペーパーズ事件を想起もさせられました。あのときも、ニクソン大統領をはじめ、発言が右往左往して隠蔽やら欺瞞やら謀略などいろいろとあったかと。

 

ウォーターゲート事件やペンタゴン・ペーパーズ事件のあった1970年初期といえば、私はまだ小学生(中学一年生)ぐらいの時ですから、リアルタイムでの記憶も少し残っていますが、同じこと(トランプの在職中の辞任?)がこれから先、起こらないとはいえないでしょう。

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ジェイソン・モーガンさんは、2025年8月に『ディープステートに寝返ったトランプ! 搾取するアメリカは「底なし沼」に落ちる』(ビジネス社)という本を出しています。こちらも読了しています。「本当ですか?」という思いが消せないまま一読しましたが、トランプが解任した「ネオコン」(?)のボルトンは、かつてこう主張していました。

 

2015年3月に、ニューヨーク・タイムズに「イランの爆弾を止めるために、イランに爆弾を落とせ」という刺激的なオピニオン記事を寄稿しています。

 

「避けることのできない結論は、イランが交渉で核計画を諦めることはないということであり、経済制裁でこれほど広範かつ深く根を張った兵器インフラの建設を止めることはできないということである。不都合な真実とは、イスラエルが一九八一年にイラクでサダム・フセインのオシラク原発を破壊したり、二〇〇七年に北朝鮮が支援したシリアの原子炉を破壊したような軍事行動以外に、必要とされていることを達成することはできないということである。残された時間はわずかであるが、軍事攻撃はまだ成功する可能性がある」と指摘。

 

さらにボルトンは、イスラエルと米国による共同の軍事作戦を提案し、「そのような行動はテヘランにおける体制転換を狙ったイラン反体制派に対する米国の強力な支援をともなうべきである」と指摘し、軍事的にイランの核施設を大々的に破壊するだけでなく、同時にイラン国内の反体制派を支援して現体制を崩壊させることまで提案していたとのこと[このボルトンの指摘は、2020年刊行の菅原出氏の『米国とイランはなぜ戦うのか?』(並木書房)の95頁~97頁を参照にしてほぼ引用しています]。

 

ネオコン・ボルトンの主張と同じことを、ボルトンを解任した反ネオコン、反ディープステートであったはずのトランプが、忠実にいま推進していることをどう評価すべきなのでしょうか?

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モーガンさん曰く。

「エプスタイン文書問題は、トランプ主義の理念に深く影響した。運動の核心は、エリートは腐敗しており、制度は信用できず、事実は体制に反抗することで明らかになる、という物語である。文書は当初、これを具現化する機会とみなされた。しかし内容の曖昧さとトランプ自身の転換は、期待が裏切られた場合の対応を再評価させた」

「このパターン--大胆な公開約束と、その後の否認--は、現代政治の広範な特徴を反映することが指摘されているが、指導者は有害報道から注意を逸らすために他の争点を強調する戦略を採用する」

 

このあたり、高市首相以下、日本の政治家や経営者たちも「他山の石」とすべきでしょうね。

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それにしても、国際政治はむろんのこと、世の中、なにが起こるかわかりません。一寸先は闇。米中関係の劇的な転換、ニクソンショックやドルショック等々に比べると、トランプ関税強要や国際紛争を解決するための武力行使など、トランプショックはまだまだ序の口かもしれません。

さらにはトランプより怖い(?)「習近平ショック」も起こりうる可能性もあります。小説『油断』的には、第三国のテロ集団が日本の石油備蓄施設を攻撃し、一気に「石油ショック」が日本に起こるかもしれません。

 

「そんなことが起こるわけがない」なんて思わず、あらゆる準備、心構えをしておく必要がありそうです。

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余談ですが。

ということで、トランプ政権の重要閣僚には、靖国神社参拝などを含めて、前倒し的(?)に、対日政策の変換をすすめていただきたいものです。トランプさんが任期中に辞任しても、バンス副大統領が昇格しますから、あと3年弱は共和党政権は続くでしょう。その間に、「戦後の総決算」を終えておきたいものです。

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引き続き、ビジネス社から、時をほぼ同じくして刊行された大高未貴氏の『世界経済を操る“黒い貴族”の正体』を読みました。大高さんも、モーガンさんと同じく「エプスタイン文書」を詳しく分析しつつ、論をすすめています。

 

【戦争、AI、医療、金融で儲ける怪物たち】9.11、ウクライナ戦争、パレスチナ戦争──“戦争屋”が次に仕掛けるのは「台湾有事」だ!日本が謀略を阻止するための方策とは!!トランプ大統領もイスラエルに支配されている?これが“戦争屋”のやり方だ!日本が彼らの“駒”にされないための警告の書!--というふれこみです。

 

「本書は、単なる怒りの告発や人物名の羅列に終わるものではない。私が問いたかったことは、特定の誰かの悪ではなく、なぜ私たち自身が、知らぬ間にその装置の一部として組み込まれてきたのかという構造そのものだ。狂気を帯びた目的のために設計されたシステムは、恐怖や欲望、同調圧力や無関心を通じて、静かに人間を従属させる。

 

もし私たちが、その「枠組み(フレーム)」に気づかぬまま、目の前のスキャンダルにだけ憤り、象徴的人物を断罪することで溜飲を下げるならば、サタンの構造は姿を変えて再生するだろう。名前が入れ替わるだけで、同じ装置は何度でも稼働する。

 

だからこそ本書は、人物の暴露というより、構造の可視化を目的としたい。怒りの先にある覚醒を目指して。私たちが歯車であることをやめ、主体として立ち上がるための視座を取り戻すこと、そんな新しい時代の始まりによせて」(「はじめに」より)

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大高さんの本はデビューしてから、だいたい定期的に読んできました。中東にもよく出かけ現地取材をされています。おおむね、イスラエル贔屓のところがあったかと思いますが、本書では、こう述べています。

 

「もともと私はどちらかといえば親イスラエル派だった。ガザでPLO幹部の腐敗や汚職の構造を日本のサヨクメディアが何故報道しないのか? 疑問視する立場でガザなども取材していたからだ」

 

そんな大高さんの親イスラエル認識も変化しつつあるようです。

また朝鮮戦争、イラク戦争、9・11テロなど、過去の戦争等々の発生の原因などへの異説を検証したりもしています。下手すると陰謀論と片づけられがちなテーマも追っています。いずれも興味深いものばかりです。その真偽に関しては、なんともいえませんが、知的刺激を読む側に与えてくれます。

 

マイブログでは、トランプさんに関して、レーガンほど評価はできないけど…という限定条件を付けつつ、言われるほど酷くはない、クリントン(女)やバイデンとの比較ならば、アメリカ人だったら、トランプに入れたかもという態度を表明していました。まぁ、そんな感じですかね。

 

日本人としては?  サッチャーさんが全盛のころ、日本の首相になってもらえばいいなんて意見もあったかと記憶しています。トランプさんが日本の首相になれば……とまでは思いませんね。石原慎太郎さんなら、都知事のあと、首相になってたら面白かったとは思いますが?

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大工日記』か『工場日記』か、どっちを読むべきか?

[2026・4・2・木曜日]

 

 

 

1987年生まれの中村季節氏の『大工日記』(素粒社)を読みました。

 

実家の稼業は「大工」。全然違う世界を目指してあれやこれやと過ごしていたものの、30代半ばになって稼業を継ぐというか、大工仕事に邁進することになります。その日々を日記風に綴ったものです。大工に対するちょっとクールな蔑視などを体験しながら、外国人研修生の事故を気にしたり……。

 

ちょっとドタバタ風のコミカルな自画像を描くのに主力が置かれていて、肝心の大工仕事についての記述が物足りない感じもしました。

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同じ女性の日記で、シモーヌ・ヴェイユの『工場日記』(講談社文庫ほか)という本もありますね。「積ん読」してもう何十年かな?

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

「本屋小説」は読まないことに?

[2026・4・1・水曜日]

 

1974年生まれの伊野尾宏之氏の『本屋の人生』(本の雑誌社)を読み終えて、次に手にしたのがキタハラさんの『ぼくの本屋ができるまで』(エクスナレッジ)です。

 

親の代から続いた本屋を一端閉店にする一方で、キタハラさんは新たに本屋を開いたんだと思ったのですが、こちらは「小説」でした。

 

【あらすじ】

祖父が遺した商店街に戻った三角詠太郎(みすみ・えいたろう)は、

かつて本屋だった空き店舗を前に、ひとつの決意をする。

「地元で本屋、やることにします」。

棚づくり、仕入れ、販売方法、SNS施策、売れ行きを見守りながらの判断……。

表には見えない書店の日々の試行錯誤を追いかけながら、「本屋ができるまで」のすべてがリアルに描かれる新感覚の書店小説です--とのふれこみでした。

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私は読むものはノンフィクション系が多くて、小説はたまにしか読みません。時代小説はまず読まないし、SF小説も推理小説もほとんど読まなくなりました。恋愛小説はまだ少し読みますが。本がらみの小説も若干読むことがある程度。

 

ということで、ううむ、小説か……。バラバラとめくりました。ところどころ、書店がらみの専門語の注解やら、コラム風のコーナーなどもあり、面白そうですが……。とりあえず「積ん読」ということで?

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

オーウェルだけでなく志水速雄もアーレントも怒るぞ?

[2026・3・31・火曜日]

 

 

久野量一氏&千葉敏之氏&真島一郎氏編の『生を見つめる翻訳 世界の深部をひらいた150年』(東京外国語大学出版会)を読みました。

 

海外の優れた著作を日本語に引き受ける営み――翻訳は、この150年余りの間、私たちの公共圏にはたして何をもたらしたのだろうか。当代第一線の翻訳家・研究者総勢37名が坦懐に明かす、翻訳をめぐる体験と考察。

翻訳は、いつも事件だった! 33のエッセイ/論考と4つのインタビューを収めた、白熱の翻訳論集――といったふれたみの一冊です。

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要は、高級な(?)思想書などを翻訳する上での苦労話めいたものが綴られている本でした。

 

レーニンやスターリンや『神曲』など、「積ん読」していたり、また「積ん読」もしていない本も多々出てきます。

かろうじて手にしたことがある本が、アーレントの『人間の条件』ぐらい。訳者は志水速雄さん。

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岩崎稔さんが、『志水速雄訳『人間の条件』--ハンナ・アーレントの翻訳をめぐる一つの事情』というエッセイを書いているのが目にとまりました。

志水さんが『人間の条件』(中央公論社)のほかにもアーレントの『革命について』(合同出版)、『過去と未来の間に』(合同出版)の三部作を訳出していることを指摘しながら論を進めています。

 

アーレントの「反共」性(ナチとスターリン体制を同一視)を薄く解釈しての再評価が広がっている昨今、志水さんのような人が、合同出版などからアーレントの作品を先駆的に訳出した点への評価がちょっと乏しいような感じもしました。

 

この本『生を見つめる翻訳 世界の深部をひらいた150年』は「速読」したので(?)見落としているかもしれませんが、エリック・ホッファーの訳者などへの言及はなかったかと。ホッファーに関しては、その「反共リベラル」性を黙殺、無視することは普通はできません。アーレント同様、近年「改訳」が出たり、新しく訳出される本も出ています(その訳者あとがきで、ホッファーの「反共リベラル性」をあえて「無視」(?)「歪曲」(?)「黙殺」(?)しようとする訳者もいて爆笑した記憶があります)。

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志水さんと、ほぼ「同志」ではなかったかと思われる高根正昭さんが訳出したホッファーの『大衆運動』(紀伊國屋書店出版部)も出てこない? お二人の「同志」でもあった香山健一さんもいまにして思えば若くして亡くなっています。

 

高根さんは享年51。1931年6月1日 - 1982年9月2日。

志水さんは享年49。1935年9月15日 - 1985年3月24日。

お二人よりは長生きした香山健一さんとて享年64。1933年1月17日 - 1997年3月21日。

 

1934年12月21日生まれの佐瀬昌盛さんが先日、2026年2月24年、享年91で亡くなったことを思えば、ほぼ佐瀬さんと「同年」生まれの「同世代」だった髙根さんや志水さんや香山さんとて、夭逝することなく令和の時代まで言論人として活躍されていたのではないかと推察も可能です。

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余談ですが。

 

岩崎さんは、志水さんの著作(『日本人はなぜソ連が嫌いか』『日本人のロシア・コンプレックス』『戦後日本に教育はまったく見出せなかった』など)をこの論文を書くために、最近になって初めて読まれたそうです。

1956年生まれですから、私より少し年上ですが、私が40年以上前に読んでいた著作をいまごろになって初めて読み、それらの著作から「アーレントにはっきりと結びつく手掛かりはみつけられなかった」「率直にいってそこにも私には惹きつけられるものはなかった」そうです。

「諸君!」に載った論文「ジョージ・オーウェルが怒るぞ!」を通読しても「アーレントの政治哲学に届くような省察はないと感じた」そうです。そして落胆とともにふと一つのことに気がついたとして、こう書いています。

 

「こうした右派知識人の看板とともに書かれた著作に載る略歴欄には、かれがアーレントの三部作の訳者であることがまったく表示されていないのである。それは、日本の右派言論の担い手としての役回りの側からすると、結局アーレントはおよそ接点を持ち得ない存在だということなのだろうか」

 

まぁ、ちょっと失礼な? 志水さんが怒りますよ?

 

岩崎さんはウィキペディアによると「日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する、<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人」だそうです。そういう「左派知識人」の岩崎さんには、志水さんの著作からアーレントの政治哲学に届くというか共通する通底するものに結びつく手掛かりを発見するだけの力がなかったのではないでしょうか?

 

また、著作略歴は、本の奥付の狭い箇所に掲載されるもの。大学の先生で、老齢であろうと若手の学者であろうと、自著があまりない人は、訳書(共訳含めて)や、訳した論文や、紀要などに載った論文を麗々しく紹介しないとスペースを埋めることができませんが、多作家だと、日本語の自著紹介だけでかなりのスペースをとり、訳書まで紹介するのが困難なことがありがちです。

 

いわんや、ロシア専門家として登場している志水さんなら、ロシア関連書の略歴に、書名的に直接ソ連などを想起させない訳書などを略するのは、担当編集者ならすることもあるでしょう。それだけの話ではないでしょうか。

 

「右派知識人」を(愛読する方々を)お馬鹿にするのもホドホドに?

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アーレントにもホッファーにもオーウェルにも最初に注目したのは右派知識人。その時は三者の「反共リベラル」性を黙殺したり批判していた左派知識人たちが、時代の変化にあわせて、つまみ食いをしたりして、自分たちの陣営に引きこもうとして見苦しい歪曲的な解釈を試みたりしたりしているのではないでしょうか。

 

「真実」を見つめる翻訳を期待したいものですね。

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化の危機 (1970年) (過去と未来の間に〈2〉)

 

新英才論

 

昭和さすらい派の論理 「私」評論のこころみ

 

革命について (1968年)

 

1930年代 (1967年)

 

花は半開 (1982年)

 

大衆運動

 

強制収容所における人間行動 (岩波現代叢書)

 

創造の方法学 (講談社現代新書 553)

 

日本の政治エリート: 近代化の数量分析 (中公新書 429)

 

波止場日記――労働と思索 (始まりの本)

 

大衆運動 新訳版

 

エリック・ホッファー自伝: 構想された真実

 

現代という時代の気質 (ちくま学芸文庫 ホ 19-1)

 

エリック・ホッファー 自分を愛する100の言葉 「働く哲学者」の人生論

 

エリック・ホッファー・ブック――情熱的な精神の軌跡

 

安息日の前に

 

 

ジャズ喫茶店・街中のレコード店は「存立危機事態」に陥っている?

「町の本屋」が消えるのを嘆く前に、「町のレコード店」「町のジャズ喫茶店」が消えるのを嘆く必要もあるのでは? 町中華店は不滅だけど、町中書店やレコード店は?

[2026・3・30・月曜日]

 

 

ジーナ・アーノルドほか編の『レコード店の文化史 グローバル・ヒストリー--コミュニティ、都市、文化が交差する場所』(DU BOOKS)を読みました。

 

レコード店は「音楽を買う場所」を超え、共同体、記憶、文化が交錯する<社会空間>である。本書は、世界各地のレコード店をめぐりながら、そこに生まれる関係性や階級、ジェンダー、サブカルチャー、そして地域文化を多角的に分析--とのふれこみの一冊でした。

 

加藤賢氏(目白大学メディア学部専任講師/ポピュラー音楽研究者)は、「レコード店は、音楽を売るだけの場所ではない。本書はニューオーリンズからカーディフ、テヘランからラゴスまで、世界各地の店を舞台に、文化が生まれ、抗い、生き延びてきた軌跡を描く。日本の輸入盤文化も、その壮大な物語の一部だ。グローバルな視点から音楽文化と〈場所〉の関係を捉え直す、知的興奮に満ちた一冊」との推奨のコメントを本書に寄せています。おっしゃる通りの一冊です。

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レコード店で働く女性従業員から見た「レコード店」論などは、男性顧客の嫌らしい視線を感じながら仕事をしていたことがあったと報告しています。

また、ルーマニアなど共産圏時代のレード店は自由世界とは異なる空間があったようです(クラウデュウ・オアンチャの『社会主義末期から現在までのルーマニア店のレコード店』)。

 

「レコードを消費者製品と見なす資本主義社会と異なり、国家社会主義はレコードを、文化革命のモダンな提供者とみなしていた。レコードが主にレコード店経由で接するものとされていなかったのはこれが理由だ」

「社会主義国家は文化宮殿と呼ばれる、文化施設のネットワークを構築していた。少なくとも社会主義の初期段階では、ここが文化活動の主要な領域のひとつとされていた」

「同様に音楽の提供者としてのレコードを一般化する際には、労働者のクラブ、青年団体、学校が、全国的なラジオのネットワークとともに重要な役割を果たしていた」

「レコード・プレーヤーはまだ、大都会に暮らすアッパー・ミドルクラスの人々にしか手が届かない消費者製品だった」

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何せ、ルーマニアなんて、1980年代になってもタイプライターを個々人が持つのも困難で、持っていても、それを印字したものを当局に提供し、反体制派文書などが地下出版で流されたとき、どこの誰のタイプライターが使われたかを追及することも可能な管理体制が敷かれていたと昔聞いたことがありますから(手動タイプライターだと「文字の癖」を見分けることも可能なので)。

 

そういえば、中学~高校時代はFMラジオでせっせとカセットテープに録音していたものです。ラジカセはもっていたので、FM雑誌を買ったりして、FMで近日放送される「曲名」をチェック。小さなレコードプレーヤーを買ってもらったのは高校生になってから。そのころからレコードを買うようになりました。それまではエアチェックしたのをカセットで聴くばかり。

 

それがいまや、私はやったことはありませんが、世界中でストリーミング配信などが増えて、CDやレコードで音楽を再生するというのは少数派になっているようです。

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私にとって「レコード店」といえば、田舎にあった「レコード店」になります。昭和50年前後、高校生のころ地元にありました(もう何十年も前に廃業)。好きな女性歌手や洋曲のLPレコードなどをそこでよく買っていました。LPは2500円前後だったでしょうか。シングルは500円~600円ぐらい。女性歌手のLPだと、ポスターなどが付録でついていて、それを壁にペタペタ貼っていたものです。

 

その当時購入したLPレコードはいまも自宅に十数枚残っています。最近はブックオフなどにも中古レコードが多々置かれています。MDプレーヤーやビデオ機器などはなくなり、MDやビデオを再生することは(ほぼ)できなくなったのに、レコードやカセットテープはまだ使えます。対応できる機種が発売されているからです。

 

MDが再生できる機器と文書作成に特化した「ワープロ」(親指シフト対応)の機種復活がなぜ出来ないのか。

 

傘寿を過ぎた逢坂剛さんも「〈書院〉よ、永遠に」と題して、ワープロ(書院)への郷愁を綴っています。

それによると、1980年代から博報堂勤務ということもあって、ワープロをいち早く使用開始。液晶表示一行で33万円もする時代に購入。

その後、今も愛用しているというシャープの「書院」は、ほとんど故障がなく「漢字変換や編集機能の劣るパソコンへの移行など、とても考えられるものではない」「わたしもすでに傘寿を過ぎたが、これらの愛機がわたしより長寿を保つことは、確実だと信じている。願わくは、生きているうちに文章作成と編集、送受信の機能だけに特化した、ワープロ専用機が発売されないものだろうか」とのことです(『オール読物』2025年1月&2月号)。

同感です(さらに、親指シフトでお願いします?)。

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一時、ジャズを聞き出して、神保町周辺の中古ジャズ店などを徘徊したりしたこともありましたが、近年立ち寄ることもほぼなくなりました。新刊書店に行くことが減ったのと同じです。レンタル屋で借りたり、図書館で借りたりしてMDやUSBにせっせと録音したので、いまはそれらを適宜アトランダムに朝起きた時から家にいるときは終日、BGMとして流しています。

 

新譜は不要? 図書館でたまに借りて聴いたりもしますが……。文京区の図書館はCDなどはわりと蒐集しています。いまだにLPも借りて聴くことが可能な図書館ですから。

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引き続き、フィリップ・アーニールの『Tokyo Jazz Joints 消えゆく文化遺産 ジャズ喫茶を巡る』(青幻舎)を読みました。エッセイもありますが、写真集がメインの本です。

日本独特の文化地点 「ジャズ喫茶」を北アイルランドの写真家が記録した写真集です。海外で発行されており、その日本語版が本書。

 

「東京」だけでなく「日本」各地の「ジャズ喫茶」店、「Joint」を回遊しています。岩手のBASIEや京都のjazz spot YAMATOYA、東京のジャズ喫茶 いーぐる、直立猿人、そして神奈川のダウンビートなど。

 

私はいずれの店も立ち寄ったこともありません。というのも?

タバコが苦手なので、ジャズ喫茶店はほぼ喫煙可能店ですからね。この写真集を見ていても、あちこちに「灰皿」があるのに気づきます。2020年4月1日以前の撮影?

個人経営で狭い店なら、いまだに喫煙可能店ということもありえます?(法律の抜け穴は塞いでいただきたいものです)。

 

2015年から撮影を開始しているようですから、もしかしたら、今は灰皿もなくなっているのかもしれませんが……。店そのものが廃業になったのもあるようです。

 

ピーター・バラカンさんの「コーヒー一杯のお金があれば高級オーディオで聞き放題、日本ならではのジャズ喫茶は素朴に贅沢なもの。その文化が衰退する今こそ記録することに大きな意義があると思います」との推薦のコメントが寄せられてもいます。

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レコード集めは、古本とおなじく一定の需要・供給体制ができています。そのあたりは、若杉実氏の『東京レコ屋ヒストリー』 (シンコーミュージック・エンタテイメント)を読んだことがあります。

 

(内容紹介)→最古の輸入レコード店から21世紀のネット通販まで、東京の音楽文化を担った〝レコ屋〟の歴史をつぶさに追った史上初のドキュメンタリー!

2014年に刊行されて好評を博した「渋谷系」の著者・若杉実が、そこで掘り下げた渋谷のレコード文化からさらに視野を広げて、戦前(1930年代)からの東京のレコード店(=レコ屋)の歴史を、当事者や関係者への取材、各種文献の確認などを踏まえて総括する一冊。アナログ盤の見直しやRECORD STORE DAYの浸透、HMVの新たな店舗HMV record shopの展開など、レコード文化に対する興味が再燃している現在、音楽ファンやカルチャー好きが知りたいこと満載のバイブルとなるでしょう--というフレコミの一冊でした。

 

あちこちの「中古レコード屋」が登場します。こちらも、本と同様、万引き、盗人との闘いもあるようです。昔古本・レコード、今ポケモンカードといったように本一冊、レコード一枚、カード一枚で数万円から数十万円、いや百万円という世界のようですから。

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そのほか、レコードがらみの本といえば、懐かしのレコードが喫茶店やバーなどで流れていた時代を回顧した、「私(音楽)小説」といったおもむきの片岡義男氏(1940年生まれ)の『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。1960-1973』 (光文社)もあります。

 

田口史人氏の『日本のポータブル・レコード・プレイヤー』 (立東舎)も。書名通りに、さまざまなユニークな形態のポータブル・レコード・プレイヤーがカラー写真と共に紹介されています。

この人の本は、ほかにも『レコードと暮らし』 (夏葉社)があります。

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要は古本屋で古本を蒐集するような「暮らし」をしてきた田口氏のコレクションをまとめた一冊でした。古レコードやソノシートなどを中古レコード屋などで入手し蒐集し拝聴する。自費出版の本のように自主制作のレコードなども多々あります。高校の卒業式の記念盤や会社の宣伝盤やら政治的メッセージを込めた盤やらいろいろと。

 

ソノシートなどは、そういえば、私の青春時代(70年代)にはまだありましたね。英会話や学習雑誌の「付録」にもあったのではなかったでしょうか? それがやがて「カセットテープ」になり、「CD」になっていきました‥‥。私の講義録といった本に、その私淑の師の講義のソノシートがあったりして聴いたりもしたものです。

 

そんな珍しいレコードやソノシートなどのジャケットが、カラー写真と共に紹介されています。有名人歌手が、依頼されて私家版のような歌詞作曲の歌をレコードに吹き込んだりも。そんな一枚一枚のレコードにまつわる「歴史」を読み解いてもいるわけで、読みごたえのある一冊でした。

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さらには、シュート・アロー(日本人)の『消えゆく文化遺産 ジャズ喫茶を巡るが僕を歩かせる 現役ジャズ・スポットをめぐる旅』 (DU BOOKS)もあります。マイク・モラスキーさんの本(『ジャズ喫茶論 戦後の日本文化を歩く』 筑摩書房)と同じようなジャズ喫茶店めぐりの本などへの言及もありました。

 

紹介されている、カレーが美味いという神田古書会館の近くのジャズバーも、数年前に私も土曜日の午後に出掛けたことがあります。たしか、土曜日は、カレーはなかったか? また、少なくとも夜は禁煙ではないようでした(当時)。一度でかけたきり。いまも営業しているでしょうか?

 

著者はジャズ喫茶店の定義として「談話禁止」とか「喫煙可」とか挙げていますが、まぁ、「喫煙可」ゆえに私はいまだかつてジャズ喫茶やジャズバーに立ち寄った体験はゼロです。

 

ここに出てくるジャズ喫茶店も、いまは禁煙になったのでしょうか?   個人経営だと喫煙はまだ可?

 

十年以上前に、コットンクラブ(東京駅チカ)やブルーノート(表参道)に一度出かけたことがありました。会場内は一応「禁煙」になっていましたが、喫煙可能スペースの設置の感覚が昭和以前(廊下のすみっこに青空喫煙所を設置)のような時代錯誤的だったコットンクラブには抗議した記憶があります。

いまは完全禁煙ないし、喫煙ルームの設置になったのでしょうか。ブルーノートは、その点、まだマシだったかと。紫煙をくゆらしながらジャズを聴きたければ、自宅でどうぞ?と言いたくなります?(窓は閉めて)。

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岡田則夫氏(1946年生まれ)の『SPレコード蒐集奇談』 (ミュージック・マガジン)も面白い本です。音楽雑誌に連載していた蒐集日記的な文章を集約して一冊の本にしています。もっぱら90年代から2000年頃にかけて全国各地の骨董市や古道具屋を回って蒐集した体験が綴られていました(全都道府県に足を運んだとのこと)。

無愛想な店主に出くわした時の悲劇や、骨董市などではまだ夜明け前から会場に駆けつけると掘り出し物を我先に入手しようという猛者(自分も含めて!)ばかりだったりしたこともあったそうです。

 

デパートの古本市などで午前10時開店に向けて、どの入口から入れば会場に早く付くか、一階正門か、地下のエレベータらか、階段かエスカレーター、どちらを利用したらいいのかなど、真剣に検討されていた時代があったといいますが(いまも?)、それと同様の競争劇がSPレコード蒐集マニア内でもあったのです。趣味の世界は奥が深い?

 

著者は会社員で(いまは定年退職) 、携帯やネットなどがまだ普及していなかった時期、現地に着いては職業別電話帳を見ながら公衆電話を駆使して、古道具屋に古いレコードの有無を聞きながら、目ぼしい店をピックアップして走破していったとのことです。足で稼ぐしかなかった時代です。

 

本書では1990年代~2000年頃の蒐集記録が収録されていましたが、1946年生まれだから、当時は50歳前後。まだまだ若い(?)とはいえ、真夏の行脚など大変だったようです。

田舎でタクシーも拾えない、バス便もめったにないような岐阜の古民芸店でレコードを買ったりした帰り道、「ずいぶん重そうですね。どちらまで行かれるのですか」と声をかけられたこともあったとのこと。

 

その時「自分を歳を取ったなあ、あと何年レコード探しの度を続けることができるのだろうかとしみじみ思った」とのことです。1994年のことのようですから、まだ50歳前…。

 

著者が述懐しているように「スポーツが大嫌いで、体を鍛えることをしなかった」。「風で吹き飛ばされそうな貧弱な体型」ではないが、著者は「猫背の背中を前屈みにして、とぼとぼ歩いているのを見て、哀れみを感じてくれた」ので、乗用車の人が声をかけてくれたんだろうと綴っています。

さらに、すごいのは、このあとにこんな実話があるのです。

 

親切な方の車に乗せてもらった時、SPレコード蒐集のためにここに来たというと、その運転手が半年前にある道具屋に持っていたコレクションを全部売ったというのを聞くのです。

すると著者は駅に戻ると、すぐにその道具屋の電話番号を調べて電話。留守電だったのでもう一泊して店に行き、掘り出し物を見つけて40枚ぐらい買ったそうです。

 

「あのとき無線でタクシーを呼んですうっと帰っていたら、この盤は手に入ってなかった」とも述懐されています。人生、まさしく奇遇、偶然の出会いもあるものです。神の導きだったのではないでしょうか。

 

偶然のなせるわざだとしても、ここまでの蒐集意欲、いやはや立派すぎて言葉もありません。

とにもかくにも、自分の足で歩き、蒐集するのが楽しいかどうか(楽しいに決まっています! そこまで行く間の汽車旅もいいし、駅蕎麦の類でも美味く感じられるものですから)。単なる蒐集だけなら、いまやネットでもかなりの程度可能ですが。全ての本がネットに網羅されているわけではありません。全国各地の古本屋の軒先の50円コーナーで、長年探していた古本を見つけることもあるでしょう。ネットでヒットしない本がまだまだあるように、レコード蒐集も同じことがいえるのでしょう。

 

余談ですが。『ナショナル ジオグラフィック日本版』(2026年4月号・日経ナショナル・ジオグラフィック)も、日本のジャズ喫茶の特集をしています。

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。