郡山史郎(佐野史郎・館ひろし)主演の『マイ・インターン』、そして『マイ・カンパニー』こと『死ぬまで終わらない人』なんて映画が作れないものでしょうか?

[2026・5・4・月曜日・祝日]

 

 

 

以前、マイブログで、『マイ・インターン』という映画を紹介しました。こんな粗筋です。

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ニューヨークに拠点を置く人気ファッションサイトのCEOを務めるジュールス(女性)は、仕事と家庭を両立させるという誰もが羨むような人生を歩んでいた。

ところが彼女は仕事と家庭それぞれで問題が発生し、人生最大の試練に立ち向かっていた。

そんな折、会社の福祉事業で雇われたシニアインターンの40歳以上年上のベンが、ジュールスのアシスタントに就く。

 

70歳(古稀)のベンは妻を亡くして独身老人。

日々太極拳で心と体を整え、読書やゴルフなどを楽しみ充実した隠居生活を送っているものの、社会とつながっていたいとの思いからファッション通販会社の"シニア・インターン"募集に応募し、見事面接に合格したのです。その新職場の入っているビルは、彼が現役時代(電話帳制作)勤めていた会社のあったところでした)。

 

初めは年上のベンの言葉など聞き入れようとしなかったジュールズ。仕事のメッセージも出さない。指示待ちのベンは手持ち無沙汰の日々が続くのです……。ある日、社長専属の運転手の非行を見つけて、臨時運転手に。

人生の大先輩であるベンの言葉や行動から次第に一目置くようなり、彼女は心を通わせていく…。

可愛い娘と専業主夫の家族3人、仕事も私生活も幸せそのものに見えたのだが……。

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ロバート・デ・ニーロが演ずる古稀のシニア・インターンことベンがいい味を出している映画でした。インターン先で「再婚相手」も見つけるし? 妻を亡くして数年が経過していたものの、人生まだまだやれる?

私は前期高齢者になって三年目。古稀までまだ2年弱あります。ベンのように、また会社勤めをインターンであったとしてもする気はありませんが。

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世の中には、70歳まで働くどころか、80歳、いや90歳まで働くと豪語し、実践している方もいます。

 

1935年生まれの郡山史郎さんです。この人は、一橋大学経済学部卒業後、伊藤忠商事を経て、1959年にソニー入社し、その後、いったん退社しアメリカの会社(シンガー)に転社し、その日本支部の社長に就任しますが、紆余曲折を経て、81年ソニーに再入社、85年取締役、90年常務取締役、95年ソニーPCL社長、2000年同社会長、02年ソニー顧問を歴任しています。

そこを退職したあと、2004年に、プロ経営幹部を紹介する株式会社CEAFOMを設立し、代表取締役に就任しています。その設立前には、上述のロバート・デ・ニーロのように、某会社に一時「就職」もしていました。

 

著書に、『90歳まで働く! こうすれば実現できる』(ワック)、『定年前後の「やってはいけない」』『定年前後「これだけ」やればいい」』『転職の「やってはいけない」』『定年格差 70歳でも自分を活かせる人は何をやっているか』(青春出版社)などがあります。いずれも一読しました。

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今回、最新の著作(2026年2月刊行)である『君の仕事は誰のため? 90歳現役ビジネスマンが伝えたい「自分を活かす」働き方』(青春出版社・新書)を読みました。

 

『90歳まで働く! こうすれば実現できる』(ワック)でも少し書かれていましたが、大学を卒業してから還暦前後までのサラリーマン(前半)時代(伊藤忠→ソニー→シンガー→ソニー)、そしてソニー退職後のサラリーマン(後半)時代(ソニー退社後の再就職、CEAFOM設立など)を振り返りつつの仕事論。ソニー時代はコロンビア映画の買収交渉を担当もしています。

 

「自分のために働く」「家族のために働く」「仲間のために働く」「社会のために働く」「定年を超えて働く」等々、人生のそれぞれの節目というか岐路というか、それぞれの状況に於いて、最適の職場、職業を求めて、郡山さんは伊藤忠→ソニー→シンガー(米国企業)→ソニー→エトセトラ?)と転社転職します。

ソニー時代の上司(井深大氏など)との出会いのエピソードなども面白いものがありました。

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還暦ないし古希前後から90歳まで働く。20年から30年弱の「余生」?

いまも、郡山さんは早朝、ラッシュ前とはいえ、毎日電車通勤。都内在住とはいえ、ドアツードアーで一時間弱はかかるようです。大卒から数えて、70年近い、労働人生。

 

「定年後も働くことで得られる重要なメリットは、『社会とのつながり』を保ち続けられることだ。仕事をしていれば社会との接点を失うことはなく、かつ仕事は必ず世の役に立っているのだから『誰にも必要とされていない』などと感じることもない。加えて、仕事は体を必ず一定程度使うものであるから、健康維持・体調管理によい効果があり、日々決まった時間に仕事をすることで生活のスケジュールもきちんと立てられる。まさに一石二鳥、三鳥だ」

 

還暦以降の第二の人生では、「悠々自適」ではなく「悠々自労」で生きていくべしとの教えも、おっしゃる通りだと思いました。

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私も再就職するわけでもなく、起業するわけでもありませんが、「封筒貼り」を多少はしていますから、ある意味で、原則「晴耕雨読」を実践しており、「悠々自適」とまではいかなくとも「悠々自労」の生活をしているといえば、していると言えるのではないかと思いました。

「封筒貼り」の仕事のために、時々、都内に出て前の会社に立ち寄ることもありますから?

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「90歳まで働く」といえば、テレビでは田原総一朗さんを見かけますが、この前、亡くなった渡邉恒雄さんもいたかと。1926年〈大正15年〉5月30日 - 2024年〈令和6年〉12月19日)。享年98ですから!

 

渡邉さんは自動車通勤だったでしょうが、90歳で、早朝出社といえども、電車通勤は厳しくなってくるでしょうね。前期高齢者3年目の私でさえ、たまに乗る朝9時前後のJR東日本の満員電車には閉口します。まれに朝6時ごろ乗っても坐れることはありません(さすがに満員電車には非ず)。

乗車時間が片道20分程度で、通える会社ならベターでしょうが、渡邉さんのような自動車通勤ができる身分の高齢(高給?)サラリーマンはさすがに少数派でしょうね。

 

それでも、「仕事で『社会とのつながり』を持ち続けることは、『共存』の大前提だ。社会との接点を持ち続けるためという視点で選り好みせずに仕事をすることで、もらえるお金の多寡にかかわらず、高齢者は幸せになれるのだ」との郡山さんの指摘には頷くものがあります。

 

まぁ、「封筒貼り」、しばらくやりますか?

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余談ですが。

 

内館牧子氏の『終わった人』(講談社)を以前一読したことがあります。その映画版も拝見しました。

原作の内容は以下の通りです。

 

――衝撃的なこの一文から本書は始まる。大手銀行の出世コースから子会社に出向させられ、そのまま定年を迎えた主人公・田代壮介(舘ひろし)。仕事一筋だった彼は途方に暮れる。年下でまだ仕事(美容師)をしている妻は旅行などにも乗り気ではない。図書館通いやジムで体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。

どんな仕事でもいいから働きたいと職探しをしてみると、高学歴(東大卒)や立派な職歴(大手銀行出身)がかえって邪魔をしてうまくいかない。妻や娘は「恋でもしたら」などとけしかけるが、気になる女性がいたところで、そう思い通りになるものでもない。これからどうする? 惑い、あがき続ける田代に安息の時は訪れるのか? ジムでのある人物との出会いが、彼の運命の歯車を回す──。シニア世代の今日的問題であり、現役世代にとっても将来避けられない普遍的テーマを描いた話題沸騰必至の問題作--とのこと。

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冒頭書き出しは、63歳の役員定年で専務をやめてハイヤーに乗って自宅まで戻ることになる男(舘ひろし)の回想から始まります(映画も同じ)。

出向先であっても専務で退職するなんて恵まれているじゃないかと(映画では専務の席は「個室」ではなく、社員と同じ大部屋にあり、ちょっと仕切っているだけ)。しかし、東大法学部を出て、大手トップ銀行に入り、順調に出世街道を走っていたのに、50歳を前に社員30人程度の子会社に出向、そして転籍退職で、その子会社の専務止まりでサラリーマン人生を終える…というお膳立てです。

それでもまだ恵まれている? 退職するまで年収は1300万あったということですから……。

 

郡山史郎さんの会社人生は、「七転び八起き」的なところもあります。国内のみならず国外(米国市場)でも活躍していた点で国際ビジネスマンといっていいでしょう。

そして還暦以降も「終わった人」にならずに、しかし、マイペースで古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)を超えて90歳(卒寿)になっても働く日々。

 

佐野史郎さんや館ひろしさんが、還暦以降の郡山さんの役を演じて映画化すれば、面白い作品になるのではないでしょうか。『死ぬまで終わらない人』とか。

そんな映画が制作され公開されれば、映画館は中年・高年・老年世代で連日満員御礼となるのでは?

 

90歳(卒寿)を越えても働く人は『国宝』以上といってもいいと思いますから?

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮沢俊義ら「東大学派」に牛耳られた「戦後憲法学」の終焉

「多様な憲法学」、自衛隊合憲説から改憲論へ

[2026・5・3・日曜日・祝日・憲法記念日]

 

 

 

本日(2026・5・3)は憲法記念日だそうで……。ということで、鈴木敦氏・出口雄一氏編の『「戦後憲法学」の群像』(弘文堂)を昨日読了しました。

 

安保法制などが話題になった時、その法律は憲法違反だと見る憲法学者が圧倒的多数でした。自衛隊違憲説を唱える方も多々いたかと。日本の憲法学者というのは、イマイチだなと当時思ったものです。でも、まともというか、押し付け憲法故の憲法9条を現実的に解釈して自衛隊合憲説を唱える憲法学者や政治学者もそこそこいます。

 

私も一応、法学部出身で憲法は学部の講義で学びました。ただ、大学生だったのはもう半世紀弱昔のことです。本書の編者の鈴木さんは1981年生まれ、出口さんは1972年生まれ。そのほかに6人の執筆者がいますが、廣田直美氏は1956年生まれで、私より年上になりますが、それ以外の方々は、1975年~1985年生まれの間に生まれた方々です。ですので、お名前を見てもピンときませんが、それは私の勉強不足故のこと。ご容赦ください?

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「群像」とはいえ、左派系が多い憲法学者たち。この本の筆者たちが、そういう面々だったら、「まともな憲法学者」のことには触れていないのではないかと不安に思いつつ本書を手にしましたが、そんなことはありませんでした。

 

私が学んだ橋本公亘先生もちゃんと出てきました。大学在学中の時、橋本さんはちょうど本書『「戦後憲法学」の群像』でも指摘されているように自衛隊違憲説を改め「9条変遷論」から「自衛隊合憲説」に転進しました。1980年に刊行された『日本国憲法』(有斐閣)で、その見解を表明し、違憲説を展開していた旧版を絶版にしました。その解釈変更の理由等々を講義で直接うかがい、共感したものです。そのあたりの橋本先生の転進に関して、本書『「戦後憲法学」の群像』でも客観的に綴られています。

そのため、当時、大学構内に、左派系学生グループ(民青だったかな?)が「右折禁止の会」という名で「橋本教授よ、自衛隊合憲説を捨てろ」といった趣旨の立て看板を出していたのを記憶しています。余計なお世話です。「学問の自由」をないがしろにしかねない「圧迫」行為と思いました。

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一方、橋本先生と対比される形で、小林直樹さんの「自衛隊・違憲合法論」も本書『「戦後憲法学」の群像』で紹介されています。岩波新書『憲法第九条』でその考えを展開されていました。リアルタイムで一読した記憶があります。社会党の石橋政嗣委員長がこの考えに飛びついて異口同音に「自衛隊違憲合法論」を唱えるようになりましたが、当時の社会党左派や極左的な社会党支持者たちは、ソ連が平和勢力だと誤認し「非武装中立」がベストと思っていましたから、「自衛隊・違法合憲」論も右転落と思われていたようです。

 

橋本先生は、後日、この小林直樹さんへの反論を書いています。

『わが旧著「憲法」を絶版にした理由 石橋・小林流「自衛隊違憲合法論」を斬る』という論文(「諸君!」1984年12月号)を発表し、社会党や小林直樹氏の憲法論などを論破していました。42年前のことです。

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橋本先生と同じく中央大学の憲法の教授だった長尾一紘さんは、本書『「戦後憲法学」の群像』には登場されていないようですが、私の記憶では橋本さんと同じく「転進」をした方でした。とはいえ、半世紀近く昔のことですから間違っているかもしれませんが、大学の講義で、長尾先生が、ライシャワー路線を批判するものですから、それはきっとまともな考えに違いないと思い、講談社現代新書から出ていたライシャワーの『日本近代の新しい見方』を読んで、ふむふむ、こちらのほうが、進歩的文化人の歴史観よりまともだと感得した記憶かあります。

 

そのあと、長尾さんは外国人参政権付与にも賛成していました。ところが、『日本国憲法 全訂第4版』 (世界思想社)では、保守派に転向。外国人参政権付与に反対し、天皇制度にしても、日本は君主国家、天皇は元首であると見なすようになりました。皇位継承は男系主義であり、女系天皇の導入はこの伝統に反するがゆえに「違憲である」とまで認定していました。

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一方、『憲法守って国滅ぶ 私たちの憲法をなぜ改正してはいけないのか』(ベストセラーズ)や渡部昇一氏との対談本『そろそろ憲法を変えてみようか』(致知出版社)、平沢勝栄氏との対談本『憲法、危篤!』 (KKベストセラーズ)などを書いていた小林節(慶應大学教授)さんは、本書『「戦後憲法学」の群像』でも言及されていますが、橋本さんや長尾さんとは逆のコースを辿り、世間一般的には改憲派から護憲派に変わったような印象を受ける人が少なくないと思われます。

まぁ、「思想は発展します」から、20代、30代のころと還暦前後のころとは180度転進・転換しても、おかしくはないでしょうね。人それぞれ? 

 

それにしても……。

小林節氏の『タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか 護憲的改憲論という立場』(皓星社)を以前読みました。

 

20年以上前の「タカ派改憲論者」の時代の論文から始まり、最後には井沢元彦氏からもサンダーバードに対する理解力が乏しいという視点から論難された典型的な左派憲法学者の水島朝穂氏と意気投合するかのような対談で終っています。

ここに収録されている論文を読むと、やはりいささか「矛盾」めいたものを感じないでもないですね。とはいえ、私も「護憲的改憲論者」ですから、まだ許容範囲かなと思わないでもありませんでした。

 

とはいえ、小林さんも冒頭で「今にして思えば『赤面の至り』のようないわば『右翼・軍国主義者』そのものの主張を本気で展開していた若き日の自分がおりました」「私は学者であり」「日々考え、悩みながら変化することは当然で、それは成長なのですが、意外にそれを『変節』と呼ぶ人が多いことに驚かされます」と述懐しています。

民主党から自民党に移った(これも一種の「転進」「転向」?」)長島昭久氏(代議士)は、小林さんの教え子だったそうです。憲法、自衛隊をめぐって師弟対談などをすると面白いかもしれませんね。

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私が学生時代のころは、自衛隊合憲説や右派的な改憲論を主張する憲法・政治学者は圧倒的に少数派でした。

 

そんな数少ない学者の著作を求めて古本屋などを廻ったりもしたものです。

 

本書『「戦後憲法学」の群像』でも言及されている大石義雄・佐々木惣一さん(京大)、林修三さん、田上穣治さんや大西邦敏さんなど、懐かしいお名前も出てきますが、そういう方々の本もよく読んだものです。当時は、新進気鋭だった憲法・政治学者として手にしていたのが西修さん、百地章さんや小林昭三さんなど。尾吹善人さんなども。

 

小林直樹さんや宮沢俊義さんや長谷川正安さんや樋口陽一さんや長谷部恭男さんなど、左派系学者の本も、岩波新書レベルから若干の専門書なども一読したりもしました。

 

樋口陽一氏(聞き手・蜷川恒正氏)の『戦後憲法史と並走して 学問・大学・環海住還』(岩波書店)、宮沢俊義氏の『憲法講話』(岩波新書)や『憲法読本上下』 (憲法問題研究会編・岩波新書)や小林直樹氏の『憲法第九条』 (岩波新書)や長谷川正安氏の『日本の憲法』(岩波新書)や長谷部恭男氏の『憲法の良識 「国のかたち」を壊さない仕組み』 (朝日新書)など。

「スターリン憲法」がナイスだなんて書いていた憲法学者もどこかにいたかのような?

 

護憲派・改憲派双方の見解を読んで、個人的には中道右派系の学者(橋本さん・西さん等々)のほうに私は軍配をあげていました。2026年5月1日付け産経に百地章氏の正論エッセイ(「自衛隊明記」で実質的な「軍隊」を)が掲載されていましたが、最少限度の9条改正案を提案していました。軍国主義復活の恐れもないレベルの改正案です。衆参の良識ある議員ならこの案で賛成できるのではないかと思われますが……。

 

篠田英朗氏の『憲法学の病』 (新潮新書)は大変面白い本でした。憲法9条を金科玉条に考える護憲学者を小気味よく論破しています。東大法学部を頂点とする「ガラパゴス憲法学」の病理を、平和構築を専門とする国際政治学者が徹底批判した本でした。

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以下、学生時代から今日に至るまでの憲法関連書の購読リストを挙げると以下の通りです(左派系学者は省きます)。

 

西修氏『憲法一代記  世界195か国の憲法を研究した私の履歴書』(育鵬社)、『吾輩は後期高齢者の日本国憲法である』(産経新聞出版)、『防衛法』(自由国民社)、『国の防衛と法 防衛法要論』(学陽書房)『自衛権―奪われざる国民の生存権』(学陽書房)、『日本国憲法成立過程の研究』(成文社)、『日本国憲法を考える』(文春新書)、『憲法改正の論点』(文春新書)

 

八木秀次氏『日本国憲法とは何か』 (PHP新書)

田上穣治氏『日本国憲法原論』 (青林書院新社)

尾吹善人氏『憲法学者の空手チョップ』『憲法学者の大あくび』 (東京法経学院出版)、『寝ても覚めても憲法学者』 (フォラオ企画)、 『憲法徒然草』 (三嶺書房)。

 

兵頭二十八氏『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』 (草思社)

林修三氏『憲法の話』 (第一法規出版)

 

中川剛氏『憲法を読む』(講談社現代新書)、『日本国憲法への質問状』(PHP研究所)、勝田吉太郎氏『平和憲法を疑う』 (講談社)

菅野喜八郎氏&小針司氏『憲法思想研究回想』 (信山社)

入江通雅氏『最新国際関係概説』 (嵯峨野書院)

小山常実氏『「日本国憲法」無効論』 (草思社)。

高柳賢三氏『天皇・憲法第九条』 (有紀書房)

長尾一紘氏『世界一非常識な日本国憲法』 (扶桑社新書)、 『日本国憲法 全訂第4版』 (世界思想社)

竹花光範氏『憲法改正の法理と手続』『現代の憲法問題と改正論』(成文堂)

小林昭三氏『私の「憲法」イメージ』『私の「憲法」透視』『日本国憲法の条件』(成文堂)

 

奥原唯弘氏『憲法と政治・社会』『憲法の具体的展開』(啓正社)

百地章氏『憲法の常識 常識の憲法』(文春新書)、『日本国憲法 八つの欠陥』 (扶桑社新書)

大石義雄氏『日本国憲法概論』(青林書院新社)

井手成三氏『困った憲法困った解釈』 (時事通信社)

篠田英朗氏『憲法学の病』 (新潮新書) 、『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』 (ちくま新書)

竹花光範氏『憲法改正の法理と手続』『現代の憲法問題と改正論』(成文堂)

井上達夫『憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版)

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余談ですが、本書『「戦後憲法学」の群像』を読んで面白く感じた方は、未読でしたら、菅野喜八郎氏&小針司氏の『憲法思想研究回想』 (信山社)も読まれるといいと思います。

 

進歩的憲法学者を論破していて痛快なりといった記憶が残っています。アマゾンのレビューにこんなものがありました。

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5つ星のうち5.0 ものすごく面白い。

2018年1月1日に日本でレビュー済み

 

『国権の限界問題』その他で名高いケルゼニアン故菅野喜八郎先生が,小嶋和司門下の異才・防衛法制の専門家小針司先生を相手に対談形式で研究生活を回顧した書物です。

菅野先生が宮澤俊義学説(八月革命説,科学と実践の峻別論)理解を巡って樋口陽一さんを完膚なきまでに論破し,しかも,日頃もっともらしくリベラル顔している樋口さんがけっこう卑怯で知的に廉直でないことを暴露したのは80年代から90年代のことでしたが,知る人は知っているそのあたりの経緯のみならず,他方で,他人の批判の仕方が下品かつ激越でいただけなかった小林直樹さんが,実はなかなか廉直な人であったことなど,へえーってなエピソード満載でとにかく面白い。

尾吹先生との友情とか,小嶋先生を送った経緯などは涙ものですし,佐々木惣一先生の評価なんかもそうなんだーってなものでして。誰にでもお奨めというものでもないのですが,上記の固有名詞に関心のある人はどうかご一読を。

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私もそんな読後感を抱いたことを覚えています。「憲法」「憲法9条」「押し付け」「廃憲論」などを考える上で、上記の本は、それぞれ知的な刺激を与えてくれることと思います。

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「NHK」といえば、やはり「解体すべし」となるのでしょうか?

そのうち「受信料のおしらせ」ではなく「解体のおしらせ」が流れるようになるのでしょうか?

[2026・5・2・土曜日]

 

 

 

 

西村幸祐氏の『オールドメディアのラスボス NHK解体新書』(ワニブックス)を読みました。

本書は2014年に刊行された『NHK亡国論 公共放送の「罪と罰」、そして「再生」の道』(KKベストセラーズ)を大幅に加筆修正して改題したものです。

 

GHQによる占領時代のNHK支配・洗脳工作やこれまでの左翼的な番組(「Japanデビュー」等々)の問題点などの指摘がなされています。新聞雑誌の偏向報道は「活字」という証拠が残るので、後日の検証もしやすいのですが、テレビ番組は「映像」なので、「活字」と比べて以前は証拠が残りにくかったのですが、ビデオやネットの普及もあって、後日の検証もしやすくなった面はあります。

 

とはいえ、やはり検証は手間隙かかります。その点、こういう本によって、映像検証がなされると、なるほどと納得もできます。

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旧著に新たな章として加筆されているのが「序章」の「高市早苗政権発足をどう伝えたのか?」です。西村さんは、NHKにいろいろと問題を感じつつも、夜7時のNHKニュースは「基本的に毎日チェックするようにしている」とのこと。というのも「おしなべて事実を客観的に伝達することに努めているように見える」からとのことです。私も惰性ですが、見ることが多いですね。

 

すると、私の記憶にはないのですが、去年の10月22日のニュースでは発足した高市内閣のスタートについて報道されたのですが、「マイナスイメージ・プロパガンダの手法『ダッチ・アングル』が映像の演出としてふんだんに使われていた」ことに驚愕したそうです。

 

「ダッチ・アングル」というのは、高市首相の会見や表情の映像を水平ではなく、右肩上がりにして撮影・放送する手法とのこと。

 

そうすることによって、「日常的な風景に非日常感を与える」もしくは「緊張感、不安定な印象を深める」ことができるそうです。ドラマなんかで、そういう映像を見ることはしばしばあったかのように思います。右肩上がりというか、斜めにするとか、そうすることによって「日常的な風景に非日常感を与える」というのはいいとしても、「緊張感、不安定な印象を深める」というのはいささか問題ありというわけです。

 

まぁ、実際のニュースの映像を記憶していないと、ピンとこない指摘ですが、放送当時、著者が旧ツィートで指摘して、それなりに問題(話題)になったそうです。

 

政権発足前後でしたか、高市首相に関して、なにか写りの悪い写真を使ってやるとほざいた通信社のカメラマンがいたそうですか、それに似たマイナス効果が「ダッチ・アングル」での撮影・放送で得られるのかもしれません。

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そういった専門的な技術論はともかくとして、Japanデビューの「アジアの“一等国”」などの偏向番組の指摘等々もあり、あぁ、あれは酷かったなということを思い出したりもしました。

 

NHK内部に、左翼文献ばかり読んだりした現代史オタクがいて、偏向番組を作ったりしている傾向があるのは事実でしょう。また、「上から目線」というのか、尊大な視点から、さまざまな研究者の研究をつまみ食いをして、安易に番組作りをしている点もあるのではないでしょうか。そのあたり、実体験に基づく「被害」体験を綴っていたのが、有馬哲夫氏の『NHK解体新書 朝日より酷いメディアとの「我が闘争」』(ワック)でした。

 

どちらも『NHK解体新書』。NHKの民営化? 検討されるべきかもしれません。

ニュースなどの前に「NHK受信料のおしらせ」ではなく「NHK解体のおしらせ」が流れるようになるのでしょうか?

それもまたよしかもしれませんね。自業自得ならば?

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『世界自炊紀行』を読んで、なぜか、5キロ本体2980円のコメを「安い」と言ってはいけないと思いました? その心とは?

[2026・5・1・金曜日]

 

 

1992年生まれの「自炊評論家」の山口祐加氏の『世界自炊紀行』(晶文社)を読みました。

 

2024年の間に全世界12か国、38家庭を取材し、それぞれ各国から2家庭を厳選し、合計24組の自炊事情を12種の自炊レシピと共に紹介した本です。巻頭口絵では各国の料理する光景などがカラー写真で紹介されていますが、本文の中に出てくる料理の写真は白黒です。これはちょっと残念。ここもカラーだと尚いいのですが、そうすると本代が高くなるのでしょうか(本書は税込2750円。文中写真もカラーにすると3000円を突破する?)。

 

出てくる国は、台湾、韓国、スペイン、ポルトガル、フランス、イタリア、トルコ、メキシコ、ペルー、タイ、ベトナム、ラオスです。各国の普通の家庭に立ち寄り、いつもの食事をつくるところから取材をして味見もしていきます。

 

トルコの家庭では、「オスマンさん(夫)が家族を養い、エリフ(妻)さんは仕事もしつつ主に食事作りや家事を担当するという伝統的なムスリムの家族でありながらも、二人の間には思いやりがあり、互いのことを尊敬しているのが感じられた。私はこれまで、女性も男性も平等に働き、家事も分担することが理想的だとどこか思っている節があったのだが、彼らの姿を見て、こうした家族の在り方もまたとても素敵なのだと心から納得することができた」とのこと。けっこうなことですね。

 

我が家も、やはり料理を作るのは妻の仕事ですが、皿の準備やら片づけなどは近年私がやるようになりました。トルコの家庭もそのようですから、そういう役割分担でいいのでは?

なんでもかんでも「男女平等」を推進すればいいと思っているのは「多様化否定」にかえってなるでしょうね。

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そのほかに、著者の指摘でへぇと思ったのは、各国とも各国の自国の料理を「自炊」するのが多数派のようです。学校の給食にしても、自国料理を出すのが普通。日本のように和洋中その他…と多様化した自炊・食事スタイルは世界的に見ても珍しいようです。確かに、上記の12カ国の料理店は日本でもよく見かけます。私にとってなじみがないのは、ペルー、ラオスぐらい。

日本のスーパーで売られている食品は肉など衛生的に処理されている店ばかりですが、これも世界から見ると、普通ではないようです? まぁ、外国では肉にしても「剥き出し」で売られていますからね。

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余談ですが。

 

テレビジャーナリズムって、単細胞だなと思う時があります。昨日もある放送局のテレビニュースを見ていたら、お米が安いといって、どっかのスーパーが本体価格2980円(5キロ)で売りに出しているのを取り上げていました。

 

「お米が安くなって2000円台で売られています」というナレーションが聞こえて画面を見たのですが、要は本体価格が2980円で、税込だと3200円云々といった代物。言葉と価格は正確に言うべきです。ジャーナリズム失格でしょう。

 

ほんのこの前まで、ブレンド米でなくても特売なら税込1500円で購入していたことを記憶している私からすれば、まだまだ高価格。二倍以上じゃありませんか。

にもかかわらず、「安いわ」といった女性の声を拾っていましたが、ヤラセではないかと疑いました。

賢い消費者が、税込で3200円ぐらいするコメを安いなんていうわけがありません?

 

「コメは安くなってきている」との誤った見解を誘導するだけのテレビジャーナリズムの単細胞報道には呆れる次第です。

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

疲れても本が読みたい時は、「リポ本」(リポビタンD本)を手にしましょう!

[2026・4・30・木曜日]

 

 

朝から夕方まで「封筒貼り」の内職をすると(?)いささか疲れます。

ということで、アフター5の読書は気楽なエッセイ本になります。

 

まずは、1993年生まれの大島梢絵さんの『私たちの読書生活 11人の本棚と愛読書』(大和書房)を読みました。

 

ご自身を含めて、本好き11人の「本棚と愛読書」を披露した本でした。

 

こういう本としては、「有名作家の本棚と愛読書」という形でよく出ていますが、この本は、ペンネームでのご登場が多く、ブロガーというか、いわゆる有名作家ではないものの、本好きとしてはセミプロレベルの方々ばかりのようでした。本好きになったきっかけやら愛読書などを披露しています。

「自分を形成した特別な3冊」の披露なども各人がしています。私が読んだ本、「積ん読」本などもそこに登場することもあったりして、おやおやと思ったりもしました。

 

本書カバーの本棚や、文中に出てくる書棚は、整然と文庫本などが並べられています。若干、その隙間に本をヨコ積みにしている本棚も見かけましたが、見た目、本棚というのは、本来、こうでなくてはいけないと思いました。我が家の本棚は、破壊的、破滅的状況ですが……。

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引き続き読んだのが、1994年生まれの三宅香帆氏の『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』(新潮新書)

 

この本は、要は書評集かなと。三宅さんは文芸評論家ですから、ノンフィクションより小説などの紹介が多い。たまに読んだノンフィクション本で、推奨している中に、私も面白く読んだ本があって、なるほどと思ったりしたものの、こんな本を「著者の多大なる取材の労苦が滲む名著」とまで褒めているのは、いささか疑問に感じたりもしました。まぁ、こういう読後感は、人それぞれでしょうが……。

 

いろいろと参考になる本も出てきて、そこのところ以外は(?)面白く読みました。

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あとは、1962年生まれの穂村弘氏の『きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』(河出文庫)を読みました。

 

穂村さんはNHKラジオの深夜便で時々「お声」を拝聴。歌人ですから、本書で紹介される本も詩集や歌集などが多く、小説などが多数派ですが、たまに私の読んだ本なんかも出てきて、古本屋散策などもあり、退屈せずに読める本でした。

 

食事(ランチ)をしたあと、食卓の上で「封筒貼り」をしていると、ついつい居眠りがしたくなります。会社務めをしていた時は、ランチはカットしていたので、そういうことはあまりありませんでしたが、退職後は、晩飯をカットすることが多く、午後は睡魔に襲われがちです。周辺でそういうのを見ている人も自宅だといませんから。

 

「封筒貼り」のあとの気ままな読書で手にする、こういう三冊はいずれも「リポビタンD本」ですね、私にとっては。助かります。こんな本なら一日三冊読むことも可能ですが……。

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。