田中美知太郎も池上彰も内田康夫も「右派市民」の「ヘイト論者」になる?
「左派市民」の“上から目線”の「右派市民」(批評)論はちょっとイマイチでした。参考にはなりましたが……。
[2026・4・20・月曜日]
1974年生まれの松谷満氏の『「右派市民」と日本政治 愛国・排外・反リベラルの論理』(朝日新書)を読みました。
ネットアンケートではなく郵送式のちゃんとした世論調査(一万人)で「右派市民」の実態に迫ったというのが著者の言い分です。著者自身は、「左派市民」を自認し「ゆるい左派市民」ではなく、「ガチ左派市民」だそうです。
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でも、学者さんですから、データの読み込み等々はあまり恣意的なものはなさそうで、それなりに面白くは読みましたが、左派系学者ならではの「上から目線」的な「知的限界」があるなと感じました。
松谷さんは「右派」をこう定義しています。
1国や伝統をことさら重視する考え方、そうした主張をする人物や団体を指します。
2「国」を重視するとは、過去のある時点における「日本」に対する強い愛着を意味します。その愛着は「強い国」を求めることにつながります。
3「伝統」を重視するとは、特定の伝統的(とされる)社会規範に対する強い愛着を意味します。特定の家族関係・セクシュアリティなどを自然状態とみなし、個人の権利の不平等は容認します。
4そこから派生して、国や伝統を軽視するような人たちへの強い反発も、右派の特徴といえます。
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まぁかなり上から目線というのか、こんな恣意的な定義に当てはまる「右派市民」があまりいないということが世論調査の分析から判明もするようですが、当然でしょうね。
私などは「(中道)右派」市民になるのかもしれませんが、「国や伝統をことさら重視する考え方」に染まっているとの自覚はありません。初詣もしない正月もありますから?(初詣をする人や親の三回忌などをする人は「伝統をことさら重視する考え方」に染まっている人かどうか聞きたいものです?)
「国」どころか「会社」の儀式をことさら重視する考え方もそんなにありませんでした。会社の歓送迎会も、禁煙酒場でなければ「行きません」と断ることもありましたし?
愛社精神はあっても、団体の習慣に己の価値観に反してまで同調することはなかったのです。
「強い国」を求める? 「国や伝統を軽視するような人たちへの強い反発」?
なんか、「右派市民」というのは、マッチョな無粋な人間と決め付けるかのような「定義」ですね。
強いていえば、本当の意味での「多様性」を尊重し、二枚舌をなるべく使わない論理的思考のできる人間にはなりたいと考え、もちろん民主主義国家を擁護したいと思っていますが、「左派市民」たちこそ、それに反する生き方をしているのではないでしょうか。自由のない、多様性を尊重しないかつてのソ連や中国や北朝鮮などを賛美していた惨めな過去があるのでは?
そういう方々への「反発」は「(中道)右派」市民には当然あるとは思いますよ。
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松谷さんは、たとえば「愛国主義者にはとくに自営・経営者層が多いことがわかりました。もちろん、私は歴史修正主義的な発想を許容できません。しかし、管理・指導的な立場にたって責任を持ち、組織を担っていかないといけない立場の人々が、その任を果たすために、何らかの理念や信念を頼りにするというのは、わからないでもありません。『国家』の物語はそうした人々にとって、相性がよいのでしょう」と指摘されています。
本書を読むと「歴史修正主義」というのは、南京大虐殺を否定したり、慰安婦の存在を否定したりする考えを指しているように思えます。河村名古屋市長が、「南京事件はなかった」とか、慰安婦像を表現したりする像を展示した「あいちトリエンナーレ」の企画展に負担金を支払わないとか表明したことを批判されていますから。
しかし、河村さんは、騒動になったあとの記者会見などで、「いわゆる南京事件というのはなかったのではないか」と話したのは、象徴的に30万人とされるような組織的な大虐殺はなかったのではないかという趣旨であったと説明しています。
その心は、アウシュビッツでナチスがやっていたような形で、日本軍が非武装の中国人を30万人も殺害したという事実はないと考えているのでしょう。
もちろん、市長は「遺憾なことが一人もなかったと言ったわけではない。戦闘行為に伴う残念なことはあった」としつつ、「非武装の市民を組織的に大量虐殺したことはない」と表明しています(以上、河村さんのコメント等々は、西村豪太氏の「東洋経済オンライン」(2012/02/27 19:11配信)を参照)。
それなら頷ける点も多々あります。兵士か市民かわからない者がいたりしたこともあって、捕虜とすべき人間を処断したりした過ちはあったかもしれません。しかし、アウシュビッツのナチスのような虐殺を日本軍が組織的にやったといわんばかりの中共やそれに迎合する日本の一部の進歩的学者の「南京大虐殺」論を批判するのは「歴史修正主義」でもなんでもなく、むしろ、アウシュビッツと南京を同一視する考えこそ「歴史捏造主義」「歴史誇張主義」とでもいうべきではないでしょうか。
慰安婦にしても、要は「強制連行された、奴隷扱いを受けた慰安婦」はほとんどいなかった。残念ながら、金による売春、ビジネスによる慰安婦が大多数であったのであり、強制連行したといわんばかりの吉田清治の「歴史捏造主義」的著作(『私の戦争犯罪』・三一書房、『朝鮮人慰安婦と日本人』・新人物往来社)を事実だとみなしてフェイクニュースを撒き散らした朝日新聞が知的敗北をしたのは衆知の事実でしょう。
一般論ですが、右派市民も右派系学者のほとんどは「慰安婦はいなかった」といってはいない。「強制連行された『従軍』慰安婦はいなかった」といっているだけなのに、あたかも右派系の方々が「慰安婦はいなかった」といっているかのように批判し、それを「歴史修正主義」というのは論理のすり替えでしかありません。
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また「あいちトリエンナーレ」への批判は、慰安婦の少女像の設置よりも、天皇に対する侮辱的な展示、昭和天皇の肖像を燃やすような動画が展示されていたためだったから批判された側面が強かったのも衆知の事実ですが、そうしたところにも、本書は触れていません。そのあたりの記述に関して、知的フェァに欠けているというしかないでしょう。
また、右派市民等々に関して、中国や韓国が嫌いかどうかが一つの基準になっているようですが、本来、「中国や北朝鮮」とすべきではなかったでしょうか。
そもそも1970年代、朴正煕政権の韓国を「嫌い」なのは「左派市民」の側でした。「右派市民」的な方々は、朴政権の独裁制には問題がありと思いつつも、韓国侵入のための地下秘密トンネルを建設したりする北朝鮮のほうを問題視していました。そうそう、朝鮮戦争に関しても、1970年代、「左派市民」は韓国や米国からの「侵攻」だと批判していたではないですか。それこそ、恐るべき「歴史修正主義」「歴史捏造主義」ではないですか。
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2023年に刊行された日本共産党中央委員会著の『日本共産党の百年 1922~2022』(新日本出版社)は、「一九五〇年六月二十五日、北朝鮮軍が三十八度線の全線にわたって、韓国への攻撃を開始し、朝鮮戦争が火をふきました」と書いています。いままで韓国や米国が北朝鮮に侵攻していたと書いていたのに、これって「歴史修正主義」なのでしょうか?
それにしても、いまだに「韓国への侵攻を開始し」とは書けないとは、情けない日本共産党修正主義(誤魔化し)史観だこと?
また、「左派市民」は、北朝鮮は地上の楽園とか、税金のない国だとか持て囃していたものです。
そのあたりの「岩波」の「世界」や「朝日新聞」などの非常識な捏造的な北朝鮮擁護、韓国批判の実態は、稲垣武氏の『朝日新聞血風録』『「悪魔祓い」の戦後史』(文藝春秋ほか)や西岡力氏の『日韓「歴史認識問題」の40年: 誰が元凶か、どう解決するか』(草思社)で詳述されています。
独裁のレベルがより強固だった北朝鮮には迎合し、より低レベルの独裁国家だった韓国にことさら嫌悪感を表明していた当時の「左派メディア」「左派市民」、彼らこそ「歴史修正主義」(正しくは「歴史捏造主義」)の立場だったのです。
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その韓国が、近年、左傾化して、常軌を逸した「歴史捏造主義」ともいうべき慰安婦や徴用工問題を強調したり、韓国海軍の駆逐艦「広開土大王」(クァンゲト・デワン、DDH-971)が海上自衛隊のP-1哨戒機に対し、攻撃を意図する火器管制レーダー(射撃指揮システムで使用されるレーダー)を照射したことがありました。
北朝鮮にいたっては、日本海(日本)に向けてミサイルを打ちっぱなしです。
中国も領海侵犯やり放題です(尖閣など)。
日本の自衛隊はそんな野蛮な挑発的なことはしていません。どっちが危険なナショナリズムなのか。子供でも分かる話です。
近隣諸国の「ヤクザ」な行為を見て、警戒感を抱かない「市民」とはなんでしょうか。スウェーデンやフィンランドでは「左派市民」「左派政党」含めてNATO入りをしました。常識ある国民の健全な反応でしょうね。
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そのほか、不法移民の取締りや犯罪を犯すものに対しては、自国民であろうと外国人であろうと厳しい目を向けるのは当然のことで、ヘイト、排外云々とは異なる事例も多々ある現実を見落としてはいけないと思います。
「大東亜戦争肯定論」云々に関しても、私のように「結果として、そういうアジア植民地解放に貢献した側面もあった」とみなすのは自尊史観とはいえないでしょう。百%悪意、百%善意の戦争であったわけもなし。
松谷さんの視点からしても、一般的に見ても、朝日新聞「声」欄によく投書をしていた内田康夫さんなどはリベラル、「左派市民」に該当するでしょう。しかし、内田さんの戦争認識に関して、私は共鳴するところも多々ありました。そんな内田さんはもしかして「右派市民」?
1934年生れの内田康夫氏の『軽井沢通信 浅見光彦からの手紙』(角川文庫)を読んでください(以下の記述は、すでにブログで書いたものの繰返しにもなります)。
名探偵浅見光彦の実際の活躍を聞いては小説化しているとして知られている内田康夫さんという作家がいるという「架空の設定」に基づいて、「内田センセと浅見さん」との往復書簡風で構成された一冊でした。
実際の冤罪事件などを浅見さんが取材しているような設定もあったり、昭和のユーモア的筆致で、お二人の会話が続くような対話型式のエッセイ本ともいえます。面白く読むことができました。文庫版は1998年11月の刊行です。
持論、時事ネタも出てきますが、世代的に内田さんは軍国主義がお嫌いとは聞いていましたが、それでも、その内田さんも先の大戦についてはこう述懐しています(文庫版239頁~240頁)。
「侵略を行なっていたのは先進各国すべてなのであって、日本より欧米の列国のほうがはるかに罪が深いのは、アフリカの現状を見ても明らかなことだ。日本の『侵略』によって、アジアにいたそれまでの侵略者どもが追われ、結果的に植民地の独立を促すきっかけとなったことも歴史的事実だと思う」
「いや、だからといって、侵略の事実を歪曲したり、戦争の正当性を主張したり、自己弁護したりするのはまずいが、謙虚に謝罪しながら、心の片隅で『日本も多少はいいこともしているんじゃないのかな』と思うくらいのことは許されてもいいと思う。そうでもなければ、戦争責任のないわれわれ以下の年代の人々は、あまりにも悲しいではないか」
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この「大東亜(太平洋)戦争」認識は、なんと私とほぼ同じです。
安倍首相の「侵略」をしたことを「謙虚に謝罪しながら」も、「心の片隅で『日本も多少はいいこともしているんじゃないのかな』と思うくらいのことを書いた」ともいえる「安倍談話」の趣旨とも合致するのではないでしょうか?
私は林房雄氏の『大東亜戦争肯定論』(番町書房ほか)をある程度の共感を持って一読したことがあります。とはいえ、大東亜の植民地を解放したのは「結果」としてであって、百%の善意が日本にあったわけでもないことは重々承知しているつもりです。
自虐史観も自尊史観もほどほどにした上で、客観的に太平洋戦争(大東亜戦争)前後を振り返ると、そのあたりが常識のラインではないでしょうか?
アフリカの難民が欧州に押し寄せているのは、ある意味で自業自得、因果応報でしょう。長年アフリカを搾取し続けてきた報いでしょう。
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その点、アジアのかつての植民地にされていた国々は、太平洋戦争(大東亜戦争)もあって、アフリカよりは早く独立することができ、また日本などの政府開発援助も効果的で、レッドチャイナや韓国はむろんのこと、帝国主義国家によって植民地になっていたインドや東南アジア諸国が、後進国(開発途上国)から中進国となり、いまや先進国入りする寸前まで来ていることも思えば、内田さんのコメントではありませんが、心の片隅で『戦前でも、日本も多少はいいこともしているんじゃないのかな』『戦後の日本はいいことをもっと沢山しているんじゃないのかな』と自認しても許されることでしょう。
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ありもしない極端な「右派市民」を探し求めて三千里の旅に出掛けても、そうそう出会えないことでしょう。「右派市民」こと「極右市民」とレッテル張りをして沈黙させようという魂胆のある運動家もいることでしょう。最近の本屋は「ヘイト書店」になったと嘆いてみせる本は相変わらず出版されているようです。
松谷さんは「左派の理性的な正義の追求よりも、感情的な要素を強く含む、なりふりかまわない右派の熱意のほうが優勢となる」ことへの懸念も表明されていますが、ご冗談もほどほどに?
寺尾五郎の『38度線の北』(新日本出版社)や『朝鮮 その北と南』(新日本出版社)などの著作によって、喧伝された北朝鮮地上の楽園的な神話論は「理性的な正義の追求」ではなく「感情的な要素を含む、なりふりかまわない左派の熱意」によるものであり、残念ながら、かつてはこちらの「熱意のほうが優勢となる」時代があったのです。そのために、地獄国家への帰国者運動の悲劇が生まれたのです。
寺尾五郎の北朝鮮ヨイショ本が出たすぐあとに、同じく北朝鮮を訪問し、こんな酷い国に自分たちの子供を返してはいけないと反北朝鮮論を展開した関貴星さんも「反共宣伝」に加担していると批判されたものです。「左派市民」から「右派市民」に転向した人でした。
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関貴星氏の『楽園の夢破れて』(全貌社ほか)や、関氏の長女(呉文子氏)の『パンソリに想い秘めるとき--ある在日家族のあゆみ』 (学生社)という本や、呉氏の夫の李氏の『海峡~ある在日史学者の半生』 (青丘文化社) や、金元祚氏の『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』 (亜紀書房)は、北朝鮮の実態を見抜き、ペンを曲げることなく、勇気をもって告発しています。でも、北朝鮮が大好きな「左派市民」から見たら「歴史修正主義」「北朝鮮ヘイト本」になるのではないでしょうか?
関さんの娘(呉)や娘婿(李)は、「左派市民」「左派団体」からある種、「弾圧」も受けています。『凍土の共和国』を推奨した週刊朝日には、大規模な組織的な抗議運動が起こされて、ある種の言論弾圧がなされました。この事実を見落としてはいけません。
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後年、北朝鮮礼讃派から転向した元日本共産党の萩原遼氏も、『北朝鮮に消えた友と私の物語』 (文藝春秋)や『本の話』などの中で、北にも南にも等しく自らの朝鮮体験の功罪を綴っています。見て見ぬフリはしていません。北朝鮮擁護側の人間だったにもかかわらず、いち早く北朝鮮の本質を見抜き批判派に転じた関貴星氏の『楽園の夢破れて』 (全貌社・1962年刊行)についても触れていました。
「わたし(萩原)はこの本を一九六三年に大阪外大で手にしているにもかかわらず、反共で売る全貌社の本なんかどうせロクでもない本だろうと読みもしなかった。しかし後年精読して自分のおろかさを愧じた。わたしもかかわっている『北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・関西支部』の手で九七年に復刻した(亜紀書房)。三十数年後の今日を見通しているかのようにすべては関氏の指摘どおりだった」[「本の話」(1997年7月号)の『「北朝鮮礼讃本」から金賢姫の自伝まで」より]。
関氏曰く――「もしこの真実に眼を掩い、従来通りの北朝鮮礼賛、帰国促進をつづけてゆけば、恐るべき人道上の誤りを冒す恐れがあること。私はそれを倦まず訴えつづけた」と。
萩原さんは「おろかさを愧じた」とまで告白していました。情報として、同時進行で存在していた「北朝鮮のもう一つの現実」を読みもしないで黙殺したり無視した点で、多くの左翼人や容共リベラル的な「左派市民」は「おろかさを愧じた」と告白謝罪すべきではないのでしょうか。
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「左派市民」が恐らく共鳴を覚えることのない田中美知太郎氏に『戦争と平和』(中公文庫)という本があります。
(こんな内容)→戦争は悪だ。しかし、悪であって、なお正義であり得るのはなぜか。そして、戦争を悪だと告発することがアリバイ証明と自己弁護、他を非難するための手段として利用されるのはなぜか。「道徳問題としての戦争と平和」ほか、ギリシャ哲学の碩学が戦中・戦後の政治的問題を考察した一七篇。文庫オリジナル。
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文庫オリジナルといえども、『敢えて言う』(中央公論社)などの何冊の本から抜粋したものを集めた評論集です。いまはパレスチナやウクライナやイランなどが「戦場」ですが、田中さんが「戦争と平和」を論じていた時は、ベトナムなどが主な戦場でした。
「例えばベトナム--あるいは他のどこかでもいいのであるが、そこ--に『平和を!』というようなことを言いさえすれば、他にどんな悪事をはたらいても、わたしたちはだれでもひとかどの道徳家になれるし、なにか高尚な気持になることもできるのであって、それは念仏をとなえることが、あらゆる罪からわれわれを救うのにも似ているといえるかもしれない」
「しかもわれわれの場合は、自分自身の罪の意識におののくというようなことは無用なのであって、ただ他を告発し、断罪すればいいのだから、なんとも気楽な話だと言わなければならない。しかしただ怒りをこめて、他を非難すれば、だれでも道徳的に高揚された気分になることができるというのは、いったいどういう道徳なのであろうか」
「多くの場合、道徳は自分だけのアリバイ証明と自己弁護、そしてただ他を非難するための手段として利用されるにすぎないのである。そしてもっとも多く断罪する者が、最大の道徳家ということになりかねないのである」(「中央公論」1966年1月号)
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おっしゃる通りです。昨今のイスラエルとハマスの戦闘……。どう考えても、最初に非人道的なテロ行為を行なったハマスがより多くの批判を受けて当然だと思いますが、ハマスが民衆を楯にしてゲリラ戦のような戦いを挑むことによって、なにかイスラエルのほうが「絶対悪」のように報じられるのを見るにつけ、何かヘンだなと思い、結果としてハマス擁護につながりかねない「反イスラエル」「反戦デモ」に賛成する気にもなれない我が身。かといって、イスラエル万歳三唱、もっとやれやれ……というわけにもいかないでしょうが……。
さほどの「道徳家」でもなく、「高揚」も「高尚」も無縁で、「平和を!」といった「念仏」を唱える気もさらさらない我なれど、もちろん「平和」を望む人間です。
でも、ハマスは単なるテロ組織と見るべきかもしれません。それはベトナム戦争の時、ベトコンがなにか民族解放のための純粋な集団と誤認して、結局は「北ベトナム」の傀儡でしかなかった事実を見落としていたのと同じ過ちを繰り返すだけのことになるのではないかと思ったりもしました。
「ベトコン」に味方をして、米軍を南ベトナムから追い出し、そしてサイゴン「陥落」(解放?)後、多数のボートピープルを生み出し、国内に強制収容所を作った北ベトナムの策略に迎合するだけの「反戦デモ」ほど虚しいものはなかったと思います。
その「現実」「事実」は、北ベトナム側の一員であったものの、のちに亡命したタイン・ティンの『ベトナム革命の内幕』『ベトナム革命の素顔』 (めこん)で明らかになっています。ベトナム共産党機関紙の幹部だった人による「裏切られた革命」の実態が赤裸々に書かれています。著者はフランスに亡命していますが、タイン・ティンの本に書かれている内容は、一部の人からするとケシカランといった「歴史修正主義」になるでしょうが、これは正しい「歴史修正主義」の本といえます。
それにしても、ベトコンの存在を信じ込み、南ベトナムの民衆の「反共」意識を無視し、「陥落」後の難民発生には見て見ぬフリをした「反知性主義」の面々は、小田実以下、多々存在していました。その実態は、稲垣武氏の『「悪魔祓い」の戦後史』で詳述されています。
ちなみに、田中さんはこうも言っています。
「スターリンや毛沢東に代表される現代マルクス主義の一傾向には、市民的な平和や自由の考えを冷笑して、ヒットラーと通じ合うような一面があると言わなければならない。戦後の日本には、一主婦の市民的な訴えから始まったはずの原水爆禁止運動が、結局は中共の核実験を指示するような運動になってしまう傾向が、他にもいろいろのところに見られる。
いわゆる進歩的インテリというものが、原理的に対立している考えの間にあって、きわめてあいまいな、ほとんど無考えな状態にあることが、それの対応現象である。日本の学問は、本当にこれまで何を学んできたのだろうか。いろいろな矛盾を本気になって考えたことがあるのだろうか。戦後二十年、わたしたちのしなければならないことは、むしろ今後にある」(「自由」1965年8月号)。
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1965年以降も、小田実など「進歩的インテリ」たちは北朝鮮を賛美するような本を書き続けていきます。小田さんの北朝鮮ヨイショ本(『私と朝鮮』筑摩書房、『「北朝鮮」の人びと』潮出版社)をごらんください。「無考えな状態」を続けていくのです。何しろベトコンの嘘に関しては、あの「左派市民」的な池上彰さんでさえ、ちゃんと認識しているのです。
「歴史修正主義」を考える上で、参考になるのが、池上彰さんの、以下のベトナム戦争をめぐるコラムです。
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ベトナム戦争終結40年 世界は騙されていた
(2015・10・5日経朝刊)
大学の夏休み中、私はベトナム取材に出かけました。東京工業大学での秋学期、私の講義のひとつは「現代史」です。ベトナム戦争後、大きく変化するベトナムの今を見て、講義に生かそうというわけです。
戦後、ベトナムは南北に分断され、南ベトナムでは南ベトナム政府と、反政府勢力の解放戦線(南ベトナム解放民族戦線)の内戦状態となり、米軍が政府軍を支援して介入。一方、解放戦線は北ベトナムが支援して、泥沼のベトナム戦争が続きました。
1973年、米軍が撤退すると、75年、北ベトナム軍が大攻勢をかけ、南ベトナム政府は崩壊。ベトナム戦争は終結し、南北ベトナムは統一されました。
ベトナム戦争当時、南ベトナムで政府軍や米軍と戦っていた解放戦線は、「南ベトナムの人民による武装勢力」と称していました。ところが、北ベトナム軍が南ベトナムに侵攻して勝利すると、解放戦線は姿を消してしまいました。
確かに初期の解放戦線は、南ベトナムの市民や農民などによって構成されていましたが、米軍との激しい戦闘で犠牲者が増えるとともに、密(ひそ)かに南下してきた北ベトナム正規軍が主力を担うように変化していたのです。
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当時、北ベトナム正規軍に所属して南ベトナムで戦っていた元兵士に、首都ハノイで話を聞くことができました。北ベトナム正規軍なのに、南ベトナムで戦っていたと認める元兵士。私はこう聞きました。
「当時、解放戦線は南ベトナム人民の武装勢力だと宣伝していましたが、実際は北ベトナム正規軍だったのですね?」 すると、元兵士、まったく悪びれることなく、「そうだ」と肯定。
「では、世界を騙(だま)していたのですね?」と私。
元兵士はニヤリと笑って、「南北ベトナムはジュネーブ条約で互いに相手を攻撃しないことになっていたから、合法性を装うために解放戦線を名乗ったんだ」と答えたのです。ジュネーブ条約に違反して、南ベトナムを攻撃したことを、あっけらかんと認めたのです。 これだから現代史は難しいですね。当時言われていたことが、その後の検証で覆される。そういう事態はしばしば起きます。ベトナム戦争も、そのひとつだったのです。これは、秋学期、学生たちに現地報告として伝えなければ。
今回、ハノイでは「ヒルトン・ハノイ・オペラ」というホテルに宿泊しました。オペラ座の前にあるので、この名前なのですが、私には感慨深い名前でした。
ベトナム戦争当時、米軍は北ベトナムを爆撃しました。このとき撃墜された米軍機のパイロットは、捕虜として収容所に入れられました。米軍兵士は、この捕虜収容所を“ハノイ・ヒルトン”と呼んだのです。
米国人が海外で宿泊するホテルの定番はヒルトン。そんな認識があった上での自虐的な呼び名でした。それが、いまや本当に“ハノイ・ヒルトン”が存在するからです。米国人も宿泊していました。ベトナム戦争は遠くなったのです。
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したがって、ベトナム「解放戦線」とやらは、南京大虐殺もあっと驚くかどうかは別にしても(?)「幻」だったのです。
朝日の論説主幹だった森恭三は、 「ヴェトコンには、現在の腐敗して非能率的な南ヴェトナム政権に対抗する、よき野党であり、将来よき政権担当者となりうるような可能性があるのではないだろうか?」 (「世界」1965年5月号)と指摘(予想?)していたのですが、大外れもいいところでした?
もっとも、そうした北ベトナムの嘘は、戦争中も指摘されていたのですが、幻を信じる人たちは否定していました。だからこそ、1975・4・30の夕刊で、朝日は一面トップにカギカッコなしの「解放軍」という見出しをつけたのです。
翌日の5月1日付けの朝日新聞社説は、「ベトナム戦争は、徹頭徹尾、民族解放の戦争であった。それが解放勢力の勝利に終わったことは、民族主義を大国が力で抑えつける時代は終わったことを示している」と書きました。恐るべき「歴史捏造」です。
でも、1976年5月24日付け毎日新聞「余祿」「余録」は、自社新聞に連載された北ベトナム人民軍参謀長バン・チェン・ズンの「ベトナム戦記」を読んで、以下のような驚きを記しています。池上さんと同じような感慨です(ただし、いまから半世紀前!)。
「戦記は、解放戦線が戦闘の主体であるとか、共産主義者ではないとかいう先ごろまでの日本での定説をくつがえした。つまり、ベトナム戦争の本質は、アメリカが主張していた通り、北ベトナム共産党に指導された北ベトナム軍対、南ベトナム軍・アメリカ軍の戦いであったことを、ハノイの軍事責任者が告白したものにほかならない。解放戦線に声援を送り続けてきた日本の”進歩派”の一部が、これだけの大きな事実認識の誤りについて、口をつぐんだままなのは不思議でたまらない」
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こういう「解放戦線」に対する「歴史修正主義」はどう考えても正しいというしかありません。ベトコンの存在を今なお肯定する人がいたら、その人は、極めて「反知性主義」的な人でしょう。毎日新聞の「余祿」氏が50年近く前に気づいていたのだから。
いや、半世紀以上前から気づいていた人もいましたが、そういう人には、「反共主義者」などというレッテルが貼られ、そんな反共主義者の言うことなど、「反共宣伝」「反共デマ」だと罵られることが多かったのです。
そのあたりのことを田中氏はこう指摘もしています。
「残虐は果してナチスだけのものだろうか。ソ連は革命後四十年を経たが、その間にどれだけの人間が、残虐な仕方で殺されているのか。また中共支配下において、どれだけの人間が悲惨な死をとげなければならなかったのか。何千万という数字が挙げられている。
ハンガリーやチベットの事件は、なおわれわれの記憶に新しい。無論、すべては秘密の帳に閉されていて、われわれはいわゆる反共宣伝なるものに警戒的であるため、共産主義諸国の政治については、かえって何の悪もない理想郷を想像しがちである」
「しかし報道を統制している秘密主義の国に対しては、むしろ採点を辛くする方が、正しい認識に近いだろう。中共治下の民衆が、現在飢饉に苦しんでおり、それは天災ではなくて、政治の失敗による人災らしいということは、昨今ようやく新聞雑誌に少しばかり報道されるようになったが、それらしい事実は石橋氏がかの地を訪問していた頃から、既にいろいろな資料と共に海外に伝えられていたのである。しかしかの地に招待されて行って、政府の有力者から御馳走されただけの人たちには、それら台所の事実が見えるはずもなく、その後の視察者たちからも、ただ人民公社のすばらしさというようなことを、土産話に聞かされるだけだったのである」
「しかしわたしはここで、共産主義国家の悪だけを強調しようなどと思っているのではない。ただ人間は、ナチスの治下や資本主義社会においてだけ不幸であって、社会主義の下では、何の悪もないというようなことを、そう簡単には信じ得ないのである」
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しかし、「簡単に信じる手合い」が昔も今も多々いるのです。ハマスが報道規制をしていると聞きますが、そうした事実をきちんと報じている様子もみられない。
イスラエルが理想社会を実現しているわけでもなく、「永遠年会費無料カード」のように「永遠永続虐待される悲劇の民族」とも思っていない我が身。かつて日本の「侵略」を受けた中国がいつまでも「戦争被害国」というわけもなし。
だから、イスラエル国内に、首相批判のデモが起こるのも当然だと思います。ただフシギなのは、ハマス治下で、反ハマスのデモなどが起きないのは奇妙だと思いませんか?
それは中共治下のところで「反中共」のデモが起こらないのと同じフシギさでしょう。
イランではまだまれに反政府デモが発生もしますが、武力による弾圧をすぐに受けます。平和的なデモであったとしても。
ベトナム戦争の時も、悪いのは米帝国主義と決めつけ、ベトコンはシンプルな集団と思い込んでヨイショばかりしていた一部の記者たち。現地で取材をして、ちょっとおかしい、そういう善悪では区分できないという立場を取ることになったのは、古森義久(当時毎日新聞記者)(『ベトナムの記憶 戦争と革命』PHP、『ベトナム報道1300日: ある社会の終焉』講談社)と徳岡孝夫(『ベトナム戦争は忘れていいのか―サイゴンカタストロフィ』みき書房)さんなど少数派でした。
毎日には、上記の「余録」さんなどもいましたが……。今の毎日新聞社には、そうした古森・徳岡さんのような客観的な分析の出来る敏腕記者がほとんどいなくなったようです?
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この田中本の文庫解説を猪木武紀さんが書いています。
文庫には入っていませんが、『敢えて言う』所収の「今日の政治的無関心」よりとして、有名な田中さんの一文を引用紹介しています。
「平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていれば、それで守られるというようなものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない」
こういった田中さんの言葉を改めて噛みしめておく必要がある時代になってきたのではないでしょうか。
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私の考えでは、こういう田中さんの言葉に共感を覚えるのが、私のような「(中道)右派市民」で、反感を覚えるのが「左派市民」でしょう。
松谷さんは世論調査の結果、「(日本の)右派市民に男性大卒層が多いというのは、欧米社会からすると、にわかに信じがたいことです。穏健保守層とは違って、極端な考え方は、反知性・無教養あるいは社会的・経済的な低さゆえのルサンチマンから発生するというのが定説だからです」と方向違いの指摘をしています。田中さんの本を読むのは、穏健だかどうかは別にして日本の「右派市民」にはよく見られる現象ではないでしょうか。
「反知性・無教養」なのは「容共リベラル」「左派市民」のほうでしょうか?
そもそも、欧米社会では、社会民主主義(民主社会主義)的な支持者(左派市民?)でさえ、普通は自国の国防軍や軍事同盟を肯定し、共産国家(かつてのソ連)などへの嫌悪感を表明するのは標準的な認識でした。
日本では、自衛隊や日米安保を肯定するだけで「右派市民」と決め付けられがちですが、それは日本の知的なレベルの異常・異様性を示すものでしかないでしょう。
ならば、「左派の理性的な正義の追求よりも、感情的な要素を強く含む、なりふりかまわない右派の熱意のほうが優勢となる」ことを懸念する松谷さんの考えは本末転倒であり、正しくは、「(田中美知太郎さん的な)右派の理性的な正義の追求よりも、(小田実・寺尾五郎的な)感情的な要素を強く含む、なりふりかまわない左派の熱意のほうが優勢となる」ことに懸念を表明するのが、より正しい認識といえるのではないでしょうか。「右傾化」万歳では?
9条の条文は一字一句変えてはならない、変えようとするのは日本人に非ずと言いたげな9条絶対護憲論者(空想的平和主義者)は「左派市民」というより「過激な極左市民」で、なにかあると9条違反だと叫びます。
それって、戦前、「統帥権」を絶対視し、なにかあると「統帥権侵犯だ」と騒いでいた空想的軍国主義者と親戚関係でもあるのではないかとさえ私には思えてなりません。私はどっちも嫌いです。蔑視します。
松谷さんの本を一読して、その思いを強くしました。問題なのは「左派市民」と彼らの言論のほうではないかと。松谷さんの本は、反面教師としてはとても役立つ本でしたが、それ以上のものではありませんでした。
では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。