安倍首相が「日米安保改定60年」で祖父自慢連発! ならば教えよう、岸信介がA級戦犯逃れるために米国の手先となった証拠

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2020.01.19 安倍が日米安保改定60年で祖父自慢連発!でも岸信介の正体は… リテラ

 

 

きょう、メディアがやたらお祝いモードで報じていた「日米安保条約改定60年」。当時、首相だった安倍首相の祖父・岸信介が国内の猛反対を力ずくで押し切り、ホワイトハウスでアイゼンハワー大統領とともに改定安保条約に署名してから、19日でちょうど60年経つらしい。

 

 外務省の飯倉公館では記念レセプションが開かれ、安倍晋三首相も出席。「いまや日米安保条約は、いつの時代にもまして不滅の柱」、「世界の平和を守り、繁栄を保証する不動の柱」「これからは宇宙やサイバースペースの安全、平和を守る柱として同盟を充実させる責任が私たちにはある」などとあいさつしたと報道されている。

 

 米国の言いなりになるだけの一方的な従属関係、不平等な日米地位協定を放置したままでいったい何を言っているのかという感じだが、さらに呆れたのは、またぞろこの坊ちゃん総理大臣が“おじいちゃんコンプレックス”を全開にしたことだ。

 

 米国大使やアイゼンハワー大統領の孫を前に、安倍首相はまず「メアリさん、私たちの祖父はゴルフで友情を育てました」と切り出し、岸から聞かされたという“日本の首相としてはじめてアメリカで大統領とゴルフをしたときの自慢話”をとうとうと語り始めたのだ。そのあげく、「わたしはもう4回、トランプ大統領とゴルフをした。これも日米同盟深化の証拠」などと“ゴルフ”に無理やり共通点を見出す始末。

 

 さらに、今後の日米同盟について触れる際にも、岸が安保改定のあいさつで「これから始まる新たな100年、両国にさらなる信頼と協力あれ」と念じたことを紹介し「当時の祖父と同じ年齢に達した私は同じ誓いをささげようと思う」となどと、また“おじいちゃん”を持ち出した。

 

 とにかく、安倍首相は安保改定を強行したおじいちゃんのことを自慢したくてしようがないらしいが、しかし、岸信介が60年前、日米安保条約の改定を強行したのは、日本の安全保障や両国の「信頼・協力の構築」のためなどではない。A級戦犯として拘留されていた岸はなぜか起訴を免れ釈放されるが、 “米国の手先”となる裏取引に応じたためといわれる。そして、総理大臣となって、米国の極東戦略のために日本を差し出すような条項が含まれた安保条約改定を押し切ったのだ。

 

 言っておくが、これは陰謀論などではない。岸と米国のただならぬ関係については、戦前の不可解な動き、獄中での裏取引、さらには戦後のCIAからの資金提供まで、さまざまな証言や資料が残されており、回顧録や評伝、国際問題の研究書などにも記されている。

 

 本サイトは、以前、こうした文献や出版物を紹介しながら、安倍首相の祖父である岸信介が戦後、何をやったのか、そして安倍首相がいまやっていることがいかに、“おじいちゃん”とつながっているか、さらに安倍首相のなかにある“2つのアメリカ”について指摘したことがある。

 

 政府や御用マスコミがから騒ぎしている「日米安保条約改定60年」にあわせ、その記事を再録するので、ぜひ読んでほしい。

(編集部)

 

⚫️安倍首相の「安保法制」妄執の背景に、敬愛する祖父・岸信介がA級戦犯を逃れるため米国と交わした裏取引きが!

 

 安倍晋三首相が愛してやまない祖父、岸信介は1945(昭和20)年915日にA級戦犯容疑で逮捕される。当時は誰もが岸は有罪とみていた。それはそうだろう。

 

 満州官僚時代に軍部と結託してアヘン取引に手を染め、アヘンを求めて中国領土を侵す軍をバックアップし続けた。取引で得た巨額の利益を戦費に回し、一部を政治資金として活用して軍国主義者の象徴といえる東条英機を首相にまで昇りつめさせた。さらには東条の片腕として商工大臣、軍需次官を務め、国家総動員体制、大東亜共栄圏の自給自足体制の確立を遂行するなど、戦時日本の寵児として辣腕を振るった。岸が戦争遂行の中枢にいたことは疑いようがない。そんな岸を戦勝国が犯罪者リストから外すわけがないのである。

 

 にもかかわらず、岸は満州時代の盟友・東条英機の絞首刑が執行された翌日の1948(昭和23)年1224日に不起訴処分で釈放された。東条の絞首刑と岸の生還、明暗を分けたというには余りにも落差の大き過ぎる結末だった。

 

 あるいは岸の満州時代の上司であり、東条内閣では内閣書記官長として共に支えてきた星野直樹は終身禁固刑に処せられた。満州では岸は星野よりはるかに手を汚し、閣僚として戦争遂行にかかわった度合いも、岸のほうが大きかったはずである。当然、研究者やジャーナリストにとってもこの処遇の違いは興味の対象となる。岸はなぜ、戦犯を逃れたのか。

 

 ひとつは、岸がもともと用意周到でなかなか尻尾がつかめない存在であることがあげられるだろう。有名な「濾過器発言」にその片鱗が垣間見られる。岸は1939(昭和14)年10月に満州を離任する際、数人の後輩たちを前にこう語っている。

 

「政治資金は濾過器を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過器が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、かかわりあいにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」

 

 要は、証拠を残すなということであり、嫌疑に対して敏感になれということでもある(実際、岸は東条内閣時代に書いた書類をすべて焼却してしまっている)。

 

だが、それだけでは訴追はまぬがれない。岸はアメリカに対して具体的な“工作”を行っていた。そのひとつは再びアヘン絡みの話だ。東海大学名誉教授、太田尚樹氏の著書『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』(講談社文庫)に元ハルピン特務機関員の田中光一のこんな証言が載っている。

 

「ま薬はどこの国でも最大の関心事でした。もちろん、アメリカだってそうです。戦後、GHQが克明に調査して関係者に尋問したのに、まったくと言っていいほど処罰の対象に指定しなかったのは、不思議だと思いませんか。あれは明らかに、情報提供の代償となったからです。甘粕はもうこの世にいませんでしたが、里見、岸なんかが無罪放免になったのは、そのためなんです。エッ、東条にはどうかって? 彼は直接戦争責任に結びつく訴因が多過ぎて、GHQは阿片の件で取り調べるだけの時間がなかったのです。アメリカは裁判を急いでいましたからね」

 

 証言に出てくる「里見」とは、里見甫のことだ。「アヘン王」と呼ばれた陸軍の特務機関員で、上海を拠点にアヘン取引を仲介していた。岸とアヘンの関わりを調べる中で繰り返し出てくる名前でもある。千葉県市川市にある里見の墓の墓碑銘を揮毫したのが岸だったことは前回、紹介した。その里見も戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されている。そして、田中の証言通り、不起訴者リストの中に「里見甫」の名前は載っていた。

 

 つまり、岸や里見はアメリカにアヘン情報を提供する見返りに戦犯訴追を免れたというわけだ。

 

 もうひとつ、岸には戦争責任逃れのための「東条英機裏切り」工作というのも指摘されている。満州の関東憲兵隊司令官だった東条英機が中央に戻り、陸軍次官、陸軍大臣、首相へと上り詰める原動力になったのが、岸がアヘン取引で得た豊富な資金だったことは前回書いた。岸は東条内閣を商工大臣、軍需次官として支え、戦争を主導した。ところが戦争末期にこの仲が決裂する。それどころか、岸VS東条の対立がもとで内閣が崩壊してしまったのだ。

 

 毎日新聞に掲載された「岸信介回顧録」(1977511日付)によれば、岸は〈サイパン陥落のあと「この戦争の状態をみると、もう東条内閣の力ではどうしようもない。だからこの際総理が辞められて、新しい挙国一致内閣をつくるべきだ」ということでがんばった〉という。

 

 そして、東条内閣は瓦解。下野した岸は郷里に帰り、防長尊攘同志会をつくって、引き続き「打倒東条」の政治活動を続けた。

 

 この一連の行動について毎日新聞記者だった岩見隆夫氏が非常に興味深い証言を採取している。証言の主は満州時代の岸の部下だった武藤富男だ。武藤は東条内閣が崩壊した直後の昭和197月、岸とともに満州を牛耳った「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、岸信介、鮎川義介、松岡洋右の語尾をとってこう言った)の一人、星野直樹(前出、A級戦犯)を訪ねた。

 

〈その折、星野は武藤にこんなつぶやきをもらしている。

「岸は先物を買った」

「どういう意味ですか」

「東条内閣を岸がつぶしたということだ」

 しかし、どうして先物買いになるかについて星野は語ろうとしなかった。

「戦後、再び星野さんに会ったとき、もう一度『先物を買ったというのは、岸さんが敗戦を予期していたということなのですか、それとも戦犯を免れるためという事まで考えて岸さんは東条内閣をつぶしたとあなたは見通したのですか』と問い質してみたのですが、相変わらず、星野さんは黙したまま答えてくれませんでした」

 と武藤はいった〉(岩見隆夫『昭和の妖怪 岸信介』中公文庫)