現在の東京都江東区で、江戸時代以降に幕府公認の遊郭があった地域。
大店は社交場としての機能もあった。
人身売買が行われており、遊女を逃がさないように、出入り口は「大門」のみとされていた。
土手通りと吉原の間には遊客が身なりを整える「衣紋坂」があり、
街道から遊郭を見せないようS字状になっている。
1911年には吉原大火がおき、関東大震災や東京大空襲でもほぼ全焼し多くの犠牲者を出したが、
そのたびに不死鳥のごとく復活した。
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まさに籠の中の鳥のように、遊女が檻のむこうにいる状態で、「顔見せ」をされている資料を見た時は、結構な衝撃を受けた。
こんな風に売り買いされる「物」だったんだなあ…。
「吉原」という地名に親しんだのはあるオペラがきっかけで、その中ではなんだか少し楽しげな存在だったのだけど、歴史をよく見てみると決して明るくはなくて、
でもどこか、女性が「虐げられた」というだけの場でもないような、なんだかそのなかでも明るさや笑いが確かにあったような、
そんな不思議な印象を受けた。
女性の髷や衣装がそこから流行したり、歌舞伎や浄瑠璃も相互に発展して、文化発祥の地としても江戸で有名だったというのも理由の一つかも。
もちろん悲惨な境遇の遊女がたくさんいて、ものすごい苦しみが渦巻いてもいた地域。
今の私が当時を現実のものとして実感することはできなくて、断片的に想像するしかないのだけど。
今でもあるんだもんなあ。そういうお店。