2024年度春季号 その12
7月6日の「ホメーロス研究会」の様子です。今回は『イーリアス』第二歌276行目から300行目までです。
オデュッセウスは脅したとおりテルシーテースを打擲し黙らせました。一般兵士達は(恐らくは内心帰還の可能性が遠のいたことを)「悲しみながらも ἀχνύμενοί περ」(270)、オデュッセウスの行為を「大いによいこと μέγ᾽ ἄριστον」(274)と賞賛していました。
そこでオデュッセウスは皆に向かって演説します。
ἦ μὴν καὶ πόνος ἐστὶν ἀνιηθέντα νέεσθαι:
καὶ γάρ τίς θ᾽ ἕνα μῆνα μένων ἀπὸ ἧς ἀλόχοιο
ἀσχαλάᾳ σὺν νηῒ πολυζύγῳ, ὅν περ ἄελλαι
χειμέριαι εἰλέωσιν ὀρινομένη τε θάλασσα:
ἡμῖν δ᾽ εἴνατός ἐστι περιτροπέων ἐνιαυτὸς
ἐνθάδε μιμνόντεσσι: τὼ οὐ νεμεσίζομ᾽ Ἀχαιοὺς
ἀσχαλάαν παρὰ νηυσὶ κορωνίσιν: ・・・ (2-291~7)
(現況は)心くじけて帰りたくなるような苦難ではある
というのも誰でもその妻から離れて一ヶ月でも留まったなら
うんざりするだろう、櫂座多き船で(留まったなら)、彼を
冬の風と波立つ海が閉じ込める(としたら)
ところが我々にとって巡る年は九年目である
ここで留まっている(我々にとって)、だから私はアカイア人をけしからんとは思わない
空ろな船の傍で苛立つことを ・・・
本心では帰郷を望んでいたであろう一般兵士に対し、オデュッセウスはその心情への理解をまず示しています。
291行目の ἀνιηθέντα は ἀνιάω(苦しめる、悩ます)のアオリスト受動分詞です。
その詩行
ἦ μὴν καὶ πόνος ἐστὶν ἀνιηθέντα νέεσθαι:
は解釈が分かれます。Willcock は a difficult line とした上でこう解説しています。
We may take it as if there was a ὡστε before ἀνιηθέντα; ‘indeed, there is trouble enough to make a man return home in despair’. Alternatively, and perhaps more simply, we could translate ‘but surely to return home in despair is also troublesome’.
上記試訳では前者を採りました。現状の厳しさへの理解を示す前者の方が、続く詩行(292~)との繋がりが自然に思われますので。
言葉を継いでオデュッセウスは言います。
・・・ ἀλλὰ καὶ ἔμπης
αἰσχρόν τοι δηρόν τε μένειν κενεόν τε νέεσθαι.
τλῆτε φίλοι, καὶ μείνατ᾽ ἐπὶ χρόνον ὄφρα δαῶμεν
ἢ ἐτεὸν Κάλχας μαντεύεται ἦε καὶ οὐκί. (2-297~300)
・・・ だがしかし
恥だ、長い間留まり成すことなく帰ることは
耐えよ友たち、今しばし留まれ、知るために
カルカースが正しく予言したのか、あるいはそうでないのか
298行目の「恥だ、長い間留まり成すことなく帰ることは αἰσχρόν τοι δηρόν τε μένειν κενεόν τε νέεσθαι」は格言風です。このような口調の良さも説得に一役買っていそうです。
帰郷を望む一般兵士に対し、前の一節で「けしからんとは思わない οὐ νεμεσίζομ(αι)(296)」とその心情に寄り添った上で、「だがしかし ἀλλὰ καὶ ἔμπης(297)」と続け、「耐えよ友たち τλῆτε φίλοι(299)」と留まるよう説得していきます。この呼びかけの φίλοι にも、そして同行の δαῶμεν の一人称複数にも皆に寄り添う姿勢が一貫しています。ἀγανοῖς ἐπέεσσιν での巧みな説得です。πολύμητις Ὀδυσσεύς の面目躍如です。
また、ここのオデュッセウスの一般兵士を前にした演説については、「ホメーロス社会の民主的側面が窺える」との指摘が研究会でありました。たしかに専制政治の命令と服従で成り立つ世界とは異なり、民主制とは言えないまでもその萌芽か素地のようなものが垣間見えます。
ところで295行目の περιτροπέων に Leaf は興味深い註を付けています。即ち、「περιτροπέων は実は τροπή と繋がっている。そして τροπή はヘシオドス以降(夏至・冬至の)至 solstice を意味している。(カルカースの予言がなされた)Aulis 岬からの出航は夏至のことであったに違いない。『イーリアス』の物語は丁度その九年後の夏至の出来事に設定されている。一年のこの時期は勿論アポローンによってもたらされたペストに相応しい」と。
大胆な説です。『イーリアス』は基本的には(というのは、回想や予言等を除けば)約五十日間の出来事を叙した詩篇です。では、それは一年のいつ頃の時期なのか、どの季節なのかという問題があります。答は必ずしも明示されていません。それを Leaf は「夏至の頃」と断定しています。第一歌の疫病も確かにひとつの傍証です。また『イーリアス』に秋から冬に特徴的な雨風や寒さは(比喩の中を除けば)出てきません。従って、Leaf 説は可能でありかつ興味そそられる仮説です。ではありますが、そう言い切ってしまうにはもう少し慎重な検証が必要なようです。
次回ホメーロス研究会は7月13日(土)で、『イーリアス』第二歌301行目から325行目までを予定しています。