2023年秋季号 その26
2月17日のホメーロス研究会の様子です。今回は『イーリアス』第一歌500~527行目までです。
さてテティスは懇願します。
Ζεῦ πάτερ εἴ ποτε δή σε μετ᾽ ἀθανάτοισιν ὄνησα
ἢ ἔπει ἢ ἔργῳ, τόδε μοι κρήηνον ἐέλδωρ:
τίμησόν μοι υἱὸν ὃς ὠκυμορώτατος ἄλλων
ἔπλετ᾽: ἀτάρ μιν νῦν γε ἄναξ ἀνδρῶν Ἀγαμέμνων
ἠτίμησεν: ἑλὼν γὰρ ἔχει γέρας αὐτὸς ἀπούρας.
ἀλλὰ σύ πέρ μιν τῖσον Ὀλύμπιε μητίετα Ζεῦ:
τόφρα δ᾽ ἐπὶ Τρώεσσι τίθει κράτος ὄφρ᾽ ἂν Ἀχαιοὶ
υἱὸν ἐμὸν τίσωσιν ὀφέλλωσίν τέ ἑ τιμῇ. (1-503~10)
父なるゼウスよ、もし私がかつてあなたに神々の中で役立ったことがあるなら
言葉か行動かでもって(役立ったことが)、この望みを叶えてください
私の息子に誉れを与えてください、彼は誰より短命です
それなのに彼を今人の王たるアガメムノーンが
辱めたのです。というのも勝手に褒美を取り上げてしまったのです
さあ明知のオリュンポスのゼウス様、あなたは彼の恥を雪いでください
トロイア人達に力を与えたまえ、アカイア人が
私の息子を敬ってその誉を高める時まで
まず503行目でテティスは「もしかつて εἴ ποτε 私が役立ったことがあったなら」と言っています。「百手の巨人」を呼んでゼウスを救ったこと(396~404)などは敢えて言及を避けています。ここでは至高のゼウスに対し賢明な慎みでしょう。
アリストテレスは「矜持」を論じて
The great-souled are thought to have a good memory for any benefit they have conferred, but a bad memory for those which they have received ・・・ and to enjoy being reminded of the former but to dislike being reminded of the latter : this is why the poet makes Thetis not specify her services to Zeus.(ニコマコス倫理学4-3、H. Rackham訳)
とこの箇所を引いています。ホメーロスの詩編が古代ギリシアにおいて倫理の教科書であったことが窺えます。いや現代においてもそうなのかもしれません。
505行目からの六行に τίμησόν、ἠτίμησεν、τῖσον、τίσωσιν、τιμῇ といずれも「名誉」にかかわる関連語が並んでいます。アキレウスにとって名誉は最重要事でした。
510行目の τιμῇ について Leaf は「英雄にとって τιμῇ の意味は抽象的なものではない、それは贖い代の形か物質的代償によって現実化されることが要求される」とし、ここの ὀφέλλωσίν τέ ἑ τιμῇ も「(彼らが)代償によって彼を豊かにする」の意ととるのがよいとしています。
続く詩節です。
ὣς φάτο: τὴν δ᾽ οὔ τι προσέφη νεφεληγερέτα Ζεύς,
ἀλλ᾽ ἀκέων δὴν ἧστο: Θέτις δ᾽ ὡς ἥψατο γούνων
ὣς ἔχετ᾽ ἐμπεφυυῖα, καὶ εἴρετο δεύτερον αὖτις:
νημερτὲς μὲν δή μοι ὑπόσχεο καὶ κατάνευσον
ἢ ἀπόειπ᾽, ἐπεὶ οὔ τοι ἔπι δέος, ὄφρ᾽ ἐῢ εἰδέω
ὅσσον ἐγὼ μετὰ πᾶσιν ἀτιμοτάτη θεός εἰμι. (1-511~6)
そのように言った、彼の女神に黒雲を集めるゼウスは何も応えなかった
黙して長く座っていた。テティスは膝に縋ったなり
確りと取りつき、再びまた願った
はっきりと私に約束し、肯ってください
さもなくば拒絶してください、というのもあなたには何の恐れることもないのですから、私がよくわかるように
いかに私が皆の中で最も辱められる神であるかということが
511行目から三行の沈黙、この沈黙を Kirk は dramatic silence と評しています。研究会では「この三行をどう吟ずるか、どのように間合いを取るか、考えどころだ」との感想がありました。
514行目の ὑπόσχεο καὶ κατάνευσον は hysteron-proteron でしょうか。そうともとれますが、先ず約束し、次いでその証として「頷く」のだと取れば順当な語順だとも思われます。少し後を読むと後者の解も可能なようです。
515行目の ἔπι は語頭にアクセントがあり ἔπεστι を意味しています。
この行の韻律は
ἢ ἀπό/ειπ᾽ ἐπεὶ /οὔ τοι ἔ/πι δέος /ὄφρ᾽ ἐῢ/ εἰδέω
であり、第四脚の ι は後続の δϜέος により長くなっています。
516行目では ἀτιμοτάτη の語を使っています。またしても τιμῇ の関連語です。「息子が人間界で辱められるのみならず、私も神々の中で最も辱められる神なのですね」と、卑下を装った一種の脅迫です。すぐ前(503)では慎みを見せていたのですが、ここでは打って変わって開き直っています。
これを受けてゼウスは渋々ながら応じます。
ἦ δὴ λοίγια ἔργ᾽ ὅ τέ μ᾽ ἐχθοδοπῆσαι ἐφήσεις
Ἥρῃ ὅτ᾽ ἄν μ᾽ ἐρέθῃσιν ὀνειδείοις ἐπέεσσιν:
ἣ δὲ καὶ αὔτως μ᾽ αἰεὶ ἐν ἀθανάτοισι θεοῖσι
νεικεῖ, καί τέ μέ φησι μάχῃ Τρώεσσιν ἀρήγειν. (1-518~21)
何とも厄介なことだな、そなたは私を諍いに追いやろうとしている
ヘーレーとだ、彼女は私を口汚い言葉で苛立たせるだろうに
あいつはそれでなくともいつも私に不死の神々の中で
喧嘩しかけるのだ、私が戦いでトロイア方に加勢すると言って
518行目の「何とも厄介なことだな ἦ δὴ λοίγια ἔργ᾽」、これが『イーリアス』におけるゼウスの第一声です。考えてみれば驚くべきことです。至高の神がこのような弱音の言葉と共に初めて登場するのですから。人間的であるのはオリュンポスの神の特徴ですが、それにしても、この ἦ δὴ λοίγια ἔργ᾽ といい、520行目の「あいつはそれでなくともいつも ἣ δὲ καὶ αὔτως μ᾽ αἰεὶ」といい、苦笑せずにはいられません。恐妻家(というと言い過ぎかも知れませんが、少なくとも妻を扱いあぐねている夫)ゼウスです。
地上で展開していた深刻な状況に比してこの天上のコミカルな場面、「ホメーロス詩編の人間世界が悲劇に、神々の世界が喜劇に繋がる」との説があるようですがそれは当たっているようです。
ゼウスは結局テティスの懇願を受け入れます。
εἰ δ᾽ ἄγε τοι κεφαλῇ κατανεύσομαι ὄφρα πεποίθῃς:
τοῦτο γὰρ ἐξ ἐμέθεν γε μετ᾽ ἀθανάτοισι μέγιστον
τέκμωρ: οὐ γὰρ ἐμὸν παλινάγρετον οὐδ᾽ ἀπατηλὸν
οὐδ᾽ ἀτελεύτητον ὅ τί κεν κεφαλῇ κατανεύσω. (1-524~7)
ではさあ、そなたに頭で頷こう、そなたが信じるようにと
それは私からの神々の中で最も大いなる証なのだから
というのも私の約束は撤回されることなく、違えようのなき
成就されぬことなきものであるから、私が頭で頷いたからには
524行目行頭の εἰ δ᾽ ἄγε について高津は、「εἰ は明らかに間投詞である」とし、「従って δ᾽ は δέ ではなく δή でなくてはならない」としています。
525行目の ἐμέθεν γε について Leaf は、「ゼウスはおそらく彼のみは誓いを要しないと言っているのであろう。ヘーレーでさえ誓いを立てているが」と説明しています。ホメーロスの両詩篇について調べてみると、確かにヘーレーには大地や空や Στύξ(冥府の川)などに「照覧あれ ἴστω」と呼びかけて誓う場面があります。一方のゼウスにも誓ったことが全くないわけではありません。一回だけ「大いなる誓いを誓った ὄμοσεν μέγαν ὅρκον(19-113)」と言われている箇所があります。ただそこでは大地や空など何か他の物にかけて誓言したとは言われておらず、従って自ら誓ったと解釈でき、Leaf の説明は有効であるようです。
526行目の ἐμὸν については、τέκμωρ あるいは ἔπος に類する語が含意されていると解されます。
次回ホメーロス研究会は2月24(土)で、『イーリアス』第一歌528~550行目までを予定しています。