晴れて自由の身になった私だったが、専業に転向してすぐに重大なつまづきを犯した。

兼業時代の項で述べたように、当時の自分は甘デジで日当を出す感覚が弱く、また、時間制約のある兼業の身でミドルやMAX機を打ち続けることの危険性が十分にわかってなかったのだ。

もともと、自分はパチンコの勝ち金はほとんど家のローンや借金の元金の支払いにあてていたから、兼業時代に稼いだ資金がそんなに豊富に積んであるわけではなかったのだ。そして、借金そのものは依然としてこの時点で300万近く残ってもいた。

09年4月から専業活動を始めたのだが、2ヶ月で種銭を切らすという失態を演じてしまったのである・・・

まず痛恨だったのは3月に始まった期待時給6千円とも7千円とも言われた伝説のファフナー祭りに参加できなかったこと。これは会社で残務整理や引き継ぎを行っていたから仕方のなことではある。ただ、4月時点ではまだかなり打てるお店があったはずなのに、自分はすっかり乗り遅れた形になってしまった。

ここでファフナーを追いかけて種銭を積み上げてたらつまづきもなかったろう。

次に、当時まだ打てる白海や赤海が十分に転がっていたのに、なぜか一般機のミドルばかり狙っていた。

仕方ないから再度、種銭を作るために今度は本格的にバイトを始めた。会社を辞める時に引きとめてくださった方たちの顔が浮かんできて、この時は本当に情けなかった。切羽詰まって怪しげな機関にお金を貸してくれと言って恥をかいたこともある。屈辱の日々だった。

懲りた私は、借金を完済して、かつ手元に100万溜まるまでは20kのミドルより15kの甘や羽根モノでコツコツ勝って行こう、ミドルは30k以上、MAXはどんなに高くても手を出さないという安定感重視の立ち回りに切り替えた。

ちょっと勝っては返済、またちょっと資金が怪しくなってヒヤヒヤする・・・など気の遠くなるような毎日ではあったが、この年夏過ぎのカイジの甘デジの登場は本当に助けられた。また、ボッタ店であっても信頼できる甘デジ限定の三日イベができたのもありがたかった。


そして1年半の専業生活の末----------

2010年12月。途中で退職前に溜まってた税金と年金払え(20万)だの、大学時代の奨学金の残金をすべて払え(16万)だの予期せぬ返済にも見舞われつつ、ついに友人からの融資も含めて全ての借金を返し終えたのであった。一発パチンコ風に言うと「陰我消滅の日」がやってきたのだ。

30代の大半を借金との戦いに明け暮れたバカ男(=私)は、パチンコとの出会いによってすべての陰我から解き放たれることに成功したのだ。