今日は、元々は神様のかの字も信じていなかった私が、祈りによって病気が治った奇跡を書いてみます!

 

私は、人生で二度、無月経の時期がありました。

一度目は10代の頃で急なダイエットによって。二度目は社会人になって1人暮らしが始まってからでした。実家にいた頃と比べ、栄養と睡眠が十分でなかったのか、またもや無月経になりました。

 

当時、婦人科医師から薬の服用とあわせて「体重をもう少し増やそう」とアドバイスを頂きました。それから会社の食堂ではいつもごはん大盛を注文。食堂のおばちゃんには「大盛ちゃん」と呼ばれるほどでした。

また婦人科系の症状は、運動によって改善される事が多いと本で読み、積極的にジョギングをするようにしました。

が状況は変わらず…。月経がない事には妊娠も出来ないし、将来家庭をもって子供を育てるという道はないなと思っていました。

 

しかし、以前教会の牧師先生が、「あなたの信仰通りになる。」と仰った事が心のどこかに引っかかっていました。神様とキリストを絶対に信じて祈れば治る、とその言葉を頭では理解しているのですが、これまでの経過を考えて半ば自暴自棄になっている私がいるのも事実でした。自分が願う状況に立ち向かうよりも、諦めた方が楽だったのです。

そんな揺れる気持ちもあり、薬水を飲む時には「神様が自分の中にいらして下さって、私の心の弱さも、また私の体も、どうか癒して下さい」と願い求めました。

 

そのようにしながら歳月が過ぎ、私に「絶対に治る!」と断言する人生のパートナーにも出会い、そこから自身の体が癒されるよう毎日祈るようになりました。

 

ある時、牧師先生が病気の人の為に祈って下さる機会があったのですが、この時ばかりは、どの時よりも、真実に、切実に、「神様、自分の病気を必ず癒して下さい…!」と心の中で叫びました。

するとその翌日に、月経が来たのです!!

薬も服用していないのに、祈りの力で?と正直驚きました。その1回だけなら偶然と思うかもしれませんが、4年半来ていなかった月経が、それ以降、薬を服用せずとも毎月規則正しく来るようになりました。自分でも本当に驚きで、医師も目を丸くしていました。

そして翌年には「新たな命」を授かるようになり、以前の自分では考えられなかった母親としての道を感謝しながら歩んでいます。

 

私は以前、「自分の問題は自分が努力して解決すべきだ」と考えるタイプだったし、聖書を学ぶようになってからも「これくらいなら神様も聞いてくれるだろう」と自分で限界を定めながら祈っていました。

しかし今回の経験を通して、絶対信仰のうえに働く神様だという事、また自分が最善を尽くしても限界がある事は、神様に委ねてこそ解決して下さるのだと考えが変わりました。

ちなみに信仰というと宗教的な言葉と感じる方が多いと思いますが、聖書にはこのようにあります。

 

「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである(ヘブル人への手紙 11:1)」

 

<願い事が成される!と確信>して、それが<現実になるのを確認>する事、

が信仰だと言っています。

名医がいたとしても、患者が医師の言う事をちゃんと信じなかったら改善が見られないように、

全知全能な神様も、人が神様の力を絶対に信じなければ働きかけられないのです。

 

ちなみに牧師先生は、この絶対的な信仰と実践に長けていてこれまで数万人の病も治して来られたそうです。今も毎日、病気の人のために祈られています。

そして「祈りがかなう秘訣」があると。

それは、

「真実さ、切実さ」です。

だからこのようにも教えて頂きました。

 

「病気の人たちも自分が自ら祈ってこそ、他の人が祈ってくれたより早く治る。これは、自分が痛みを深く感じるからだ。だから切実に祈るようになる。他人はそのように長く夜を明かして祈る時間がない。」

 

病気の時、苦痛をただ受けるよりも、自分が一言でも真実に祈ることが大きいという事ですね。(つらすぎて祈りというより、うめきの時もありますが…)

 

生きる中で様々な問題、困難に直面する事があると思います。時には自分には手に負えなくて諦めたくなる事も。

そんな時は、全能者神様とキリストを絶対に信じて、真実に、切実に、祈ってみてほしいと思います。そして病を抱えていて奇跡的に薬水に出会えた方は薬水の力も借りて。「願う事は必ずなされると確信し、最後まで祈ってみよう―」そのように思って立ち上がる人が一人でも増えたら幸いです。

 

薬水…牧師先生の故郷にある湧き水。山奥の高地に流れる天然の湧き水のため、水晶のように澄みきっており、実際にミネラル成分が非常に豊富で健康に良い水とされている。この水を飲んで病が治ったという話が尽きないパワースポットとなっている。