普段商業音楽を生活の糧としている自分としては、この問題にいつも葛藤している。
音楽は、もともと神様とつながる為に、人が祈りの中で用いたものだ。
全ての音楽は、本当は、神様に捧げられなければいけない。
ところが、音楽は霊的なものであるがゆえに、
良い霊だけでなく、悪い霊も利用することが出来る。
人を神につなげることが出来る一方で、人を苦しみや、悩みや、我欲に引き寄せることもできる。そして悲しいことに、この世の商業音楽の大半が、悪い霊から出ている。
クラシックも、もともとは作曲家が神からの霊感を受け、神に捧げるために作った音楽だ。
ところが、演奏家が、また商業側が、これをこの世のものにしてしまっている。
本当にもったいないことだ。
聖書の中には「あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」(マタイ5章14節)「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」という言葉がある。
この問題についていつも自分は悩んで来たが、本当に霊的に健全な音楽を、世に出していかねばならない、という気持ちがどんどん強くなって来た。
神様は、お金のいらない方である。
だから、資本主義と音楽は始めから両立しない。
本当の音楽は、収益を求める為のものではないからである。
行きて行く為にもちろんお金はある程度必要ではあるだろうが、その為に音楽を作れば作る程、作曲家は商業主義の犠牲になり、ただでさえ霊的にセンサーの鋭い作曲家はどんどんぼろぼろになる。
そんなことで苦しむくらいなら、別の仕事をして糧を得て、音楽では利益を追求しないで、本当に霊的に美しいものだけを作りたい。
たとえ聴いてくれる人が一人しかいなくても良い。
霊的に自分が疲れてしまうのが、なによりいちばんつらいことだから。
音楽は、もともと神様とつながる為に、人が祈りの中で用いたものだ。
全ての音楽は、本当は、神様に捧げられなければいけない。
ところが、音楽は霊的なものであるがゆえに、
良い霊だけでなく、悪い霊も利用することが出来る。
人を神につなげることが出来る一方で、人を苦しみや、悩みや、我欲に引き寄せることもできる。そして悲しいことに、この世の商業音楽の大半が、悪い霊から出ている。
クラシックも、もともとは作曲家が神からの霊感を受け、神に捧げるために作った音楽だ。
ところが、演奏家が、また商業側が、これをこの世のものにしてしまっている。
本当にもったいないことだ。
聖書の中には「あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」(マタイ5章14節)「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」という言葉がある。
この問題についていつも自分は悩んで来たが、本当に霊的に健全な音楽を、世に出していかねばならない、という気持ちがどんどん強くなって来た。
神様は、お金のいらない方である。
だから、資本主義と音楽は始めから両立しない。
本当の音楽は、収益を求める為のものではないからである。
行きて行く為にもちろんお金はある程度必要ではあるだろうが、その為に音楽を作れば作る程、作曲家は商業主義の犠牲になり、ただでさえ霊的にセンサーの鋭い作曲家はどんどんぼろぼろになる。
そんなことで苦しむくらいなら、別の仕事をして糧を得て、音楽では利益を追求しないで、本当に霊的に美しいものだけを作りたい。
たとえ聴いてくれる人が一人しかいなくても良い。
霊的に自分が疲れてしまうのが、なによりいちばんつらいことだから。

