桃の節句を迎え、間もなく桜前線が北上する季節を迎えます。

日本の原風景が国内のあちこちに見られる季節となり、華を愛でる「俄か国民」

が一挙に増える時期でもあります。


「俄か国民」はスポーツの世界に多く見られます。

日章旗から距離を置いていた人たちが、俄かに日の丸を愛でるのです。


バンクーバーの冬季五輪も終わり、沸きに沸いた競技も数日後には何事も無く、

記憶は遠ざかって行くのでしょう。

これに同調するかのように「俄か国民」の活動はダウンし、次のビッグイベント

まで一服するのです。


「国家の品格」なる本が以前全話題になりましたが、現代人の日本国民としての

人間力は総体的に劣化しつつあるようです。


郷土愛や地域愛の欠如、家族愛の崩壊にいたる現状では、間違ったナショナリズ

ムの台頭を招くことにもなりかねません。

危惧するところは「愛国」の名の下に、日本人が一つの色に染まってしまうこと。


本来日本人は非常に柔軟な精神を有していました。

受け入れ上手なのでした。

他国のモノや技術、文化を日本人の心の中に、暮らしに同化させたのでした。

しかし今日の日本においての欧米化は、その心、精神の在り様や発揚方法までも

欧米化しているのでは・・・と思うのです。


これではアイデンティティがなくなります。

日本人の心や精神の構築が、欧米化の基本をなす合理主義と功利主義が凌駕する

となれば、季節を愛でる心までもが欧米化することで、鳥や虫のさえずりを単に

音にしか聴こえない人たちの様に変化させるのでしょうか・・・


日本人にとって桜や季節を楽しむのに、これ以上の欧米化は不要なのです。