大前研一・道州制論/統治機構お制度疲労
西松建設の問題でも明らかになったように、地方に無駄な空港ができる最大の理由は、空港建設のゼネコン利権がそこにあるからだ。私が住んでいる千代田区にも行政に食い込んでいる利権屋がいて、たくさんの高齢者が入居待ちの状態であることを無視して、破格の超高級高齢者施設をつくっている。ゴミの収集や焼却などを見ても、複数の市町村で一緒にやったほうがよほど効率的なのに、業者の利権になっていてそう簡単には手放さない。水道も利権である。東京の水は幸い都が管理しているが、関東広域で一括管理すれば、江戸川の下流で活性炭を限界まで使った浄水ではなく、利根川水系や渡良瀬遊水池の美味しい水を都民も飲めるようになる。九州の福岡は毎年夏場に水不足で悩まされるが、九重山を隔てた大分県は悩んだことがない。道州制にすれば福岡の水不足はたちどころに解決する。http://president.jp.reuters.com/article/2009/06/15/9E43DC52-564A-11DE-91B9-2BB93E99CD51.phpこのように、我々の生活の安全と安心にかかわる行政サービスは、大きな行政区でやったほうがいいものもあれば、小さな行政区でやったほうがいいものもある。しかし日本の統治機構は、戦後半世紀以上が経過し、歪みが拡大し続けた結果、生活者にとってひどく使い勝手の悪いものになっている。大山鳴動して行われた市町村合併も、気がついてみれば行政サービスの向上どころか、西松事件に象徴されるように、ますます利権の巣窟になって身動きが取れなくなっている始末なのだ。利権行政の根絶には「道州制」しかない!日本が抱えているさまざまな国内問題を一つ一つ考えていくと、最後には現行の行政システム、統治機構の問題に行き着く。それは利権にからめとられている現場では変えられない。国政が決めなければいけないのはこの種の問題であり、それこそが国政選挙の争点となるべきなのだ。現業の行政区を一度オールクリアにして、日本の国家運営の体系はどうあるべきか、統治機構をどうするのか、改めて決める。そして都道府県や市町村という現行の区割りを廃して、新しい時代に即した国家構成の単位として「道州制」を取り入れようというのが、かねてからの私の主張である。私の道州制プランはこうだ。区割りはシンプルに、道州とコミュニティの2通りだけにする。コミュニティの規模は、人口30万人程度とすると、日本全国で400ほどのコミュニティができて、これが生活基盤の単位になる。コミュニティの役割は生活基盤の整備であり、安心と安全の提供。警察、消防、地域医療、小学校、中学校、そして高校までを義務教育と改めて、生まれてきた人が(18歳で)社会人となるまではコミュニティで面倒を見る。各コミュニティの活動の財源は各コミュニティで確保、そこで生活する人の所得税や資産税を徴収する。一方、道州は地域国家の概念に照らして一つの経済圏として成り立つ大きさで、500万~1000万人規模で11の“道”に区割りするのが私の案。道州の役割は産業基盤の整備。世界中から資金、情報、企業、人材を呼び込んで雇用を創出し、経済を活性化する。そのための財源として、企業や個人から付加価値税を徴収する。また、たとえば下水は一次処理、二次処理、三次処理をして安全な形にして海に流さなければいけないが、コミュニティでは三次処理まで手が回らない。そうした下水処理や水の調達、ゴミの焼却など、コミュニティ単位ではうまくいかない問題を代わってコーディネートするのも道の役割だ。コミュニティと道に権限を委譲すると、国の仕事は通貨・外交・防衛という国家の根幹にかかわる基本政策だけになる。ただし、人間の尊厳を失わない最低限度の生活は国が守ると憲法に書いてあるのだから、コミュニティや道ではケアしきれない恵まれない人たちや高齢者に対する最終的な責任は国が持つ。このように、生活者の立場から日本の統治機構をこうすべきであるというA党があり、片や統治機構をいじるのはコストも時間もかかるから不具合だけを直していこうというB党があり、両党が国政の場で議論を戦わせ、総選挙で国民の支持を仰ぐというのが正しい道筋だろう。ところが残念ながら今の永田町には、この国を何とかしたいという強い気持ちより、目先の選挙に当選することばかり考えているから、国論を二分する争点に持ちこめる政治家がいない。道州制に関していえば、各党や超党派の推進議連ができるたびに、“元祖・道州屋”として私も呼ばれてきたが、揃いも揃ってまがいものばかり。東京都が外形標準課税を徴収したら、自分たちも同じようにやりたいとか、単に行政の効率化の方法論として、市町村合併の次は都道府県合併と、過去の延長線上でしか考えていない連中が多すぎる。先行して北海道で道州制を実施すれば、国の出先機関と統合して行政経費が1000億円削れると言っているが、国と重複しているならさっさと削ればいいのであって、道州制は関係ない。これも非常に矮小化した議論である。地方経済を自立させ、世界から資本と企業と人材を呼び込み、繁栄の単位を道州制にする。そこまでの気概を持たなければ、廃藩置県以来の統治機構の大改革につながる道州制も、新しい利権構造を生み出すだけの企画倒れに終わるだろう。