8月15日 靖國神社に参拝にいきました。







朝の澄んだ空気が大好きなので、
始発電車で行きました。
(乗り損ねて、正確には、始発の2番目…)

神門の開門が6時で、
15分前に大鳥居の前に着きました。

写真を撮ったり、
ゆっくりゆっくり、歩きました。

入り口に、
「さくら陶板」なるものを見つけました。




県の名前と、さくら🌸 の花のかたちをした、
陶板のオブジェが点々と飾られる、
配置されています。

愛媛、広島、佐賀、長崎、大分、沖縄…

47都道府県の競演、という感じ、です。

それぞれの都道府県、地元の土を使い、
地元の陶工たちにより、製作、奉納され、
令和元年 (2019年) 
御創立百五十年記念事業の一つとして、
「慰霊の庭」に整備され、設置されました。
(靖國神社 パンフレットより)

沖縄県は、落ち着いた深い藍色の桜、
戦争の悲しみや痛みが伝わってくる、ようです。

全体的に、
落ち着いた静かな色が多いなあ、と
感じました。桜 🌸の色、
ピンク🩷色がないなあ、と感じました。

けれど、必ず何処かで出てくるはず、と
楽しみに、でも静かな気持ちで、
ひとつひとつ、見ていきました。

鮮やかなピンク🩷色の桜🌸を見つけました。
三重県 です。流石は伊勢神宮のあるところ、と
思いました。

難波の大阪も、淡いピンク色の桜、でした。
京都は雅 (みやび) で、京都らしい桜🌸 でした。

山口は、萩焼の桜🌸 でした。

途中で、「常陸丸受難記念碑」
大きな碑がありました。


( ⬆️ これは、常陸丸受難記念碑 左横にあった

    「慰霊の泉」という作品、です。)






北海道が最後にありました。


そうこう、ゆっくり歩いていたので、
6時が過ぎ、神門の開門もされて、
あまり人も並んでおらず、
ちょうど良いタイミングで、
お参りすることが出来ました。

思えば、私にとっての、
靖國神社、初参拝、でした。

偶然、通り過ぎたり、通り抜けたり、
2、3回、訪れたことはあったのですが、
ちゃんと参拝するのは、初めて、です。

とても気持ちが晴れやかで、
とても、すっきりとした気持ちになりました。


さて、せっかくですから、
遊就館に是非、訪れたい、ものです。
開館は9時です。

まだ、それまで、時間⏰ があります。
せっかくなので、

千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行こう、と思いました。
開園は7時、ちょうど良い時間、です。










てくてく、
朝の気持ちの良い空気の中を歩いて、
千鳥ヶ淵に行きました。

白い菊のお花を捧げて、
お参りをしました。


ゆっくり過ごして、
8時50分くらいになったので、
靖國神社にまた、向かいました。

靖國神社に戻ると、
遊就館 手前の能楽堂の前に、
柵が作られ、人が集まっています。

何だろうと思って近づいて見ました。
どうやら、10時に「放鳩🕊️式」
が、あるよう、です。

よく分からないけれど、
9時35分、ちょっと待つの大変だけれど、
せっかくなので、見てみることにしました。
本📕を読みながら、柵の前で待ちました。

9時43分くらいに、
籠に入った鳩🕊️が、運ばれてきました。




「10分前になったら、皆さんに鳩🕊️をお渡しします。持ち方があります。羽をしっかりと両手で抑えるようにして、包むようにして持ってください」


説明があったので、
「あっ、鳩🕊️を持たせてくれるんだ」と分かって、わくわくして来ました。


鳩🕊️ 持ちたいな、
鳩🕊️ 私の手で、放ってみたいな、

素直に、そうした気持ちになって、
わくわく、鳩🕊️を眺めながら、待ちました。


時々、鳩は、籠の隙間から、
首を長く出して、脱出の隙を狙っていました。


とても元気で、とても頭が良さそうだなあ、
楽しく、眺めました。


時間⏰ に、なり、鳩🕊️が配られ始めました。
「はーい❗️」元気に返事をして、
鳩🕊️ もらっちゃいました。


飛ばないように、しっかりと、
両手で羽を包む、抑えて、
「もうちょっとだから、待っててね」
鳩🕊️に話しかけました。


鳩🕊️は、私の方をキョロっと、
見返しました。

やっぱり、賢そうな鳩🕊️ です。


さあ、10時
時間⏰ になりました。
「ありがとうございます」
「ありがとうございました」

そう言って、一斉に鳩を放ちました。

ものすごく、美しい光景で、
涙が出て、しみじみとして、

解き放たれても、
能楽堂の横にそびえる青々とした樹木🌲の上を、
何度も何度も、旋回する、鳩🕊️ たちを
ずっと眺めていました。



能楽堂の屋根の真ん中に象徴のように、
鳩🕊️が留まってくれて、ずっといてくれました。
そんな素敵な光景と、よく晴れ渡った青空を、
しばらく眺めていました。





さて、遊就館 です。
興味深くて、ゆっくり眺めましたが、
大変なので、足速に眺めたりもしました。




いろいろ感慨深かったし、
私の戊辰戦争や大東亜戦争などの知識も、
この歳になって、だいぶ増えて充実して来たので、
この将軍知っている、うんうん、分かる。
そんな感じで、しみじみと見学しました。

今回の目的、私はたった一つ、
とても見たいものがありました。

特に、このために、今回、
是非とも、と、 遊就館を訪れました。


お茶碗、茶せん、茶匙、などの、茶道具、です。


見つけた時は、はっとしました。

14番目の部屋にありました。


野中五郎大佐が戦場で、
お茶を点てたお茶碗、茶匙、茶せん。




しみじみと、なるべくたっぷりと、
時間をかけて、眺めました。


先に足を進めると、
いろいろと興味深いものが
次々と展示されており、
本当に、言葉に尽くせません。


最後の方に、血で文字が書かれた、
たたみ、二枚分くらいの、大きな壁が、
展示されていました。

小豆島で発見されて、
遊就館で展示されることになったようです。
文章の内容が、とても生き生きとして、
力強くて、元気があって、明るい文章で、

とても印象に残りました。




こうした気持ちで、
日本の国民は、心をひとつにして、
最後の最後まで、勝つつもりで、
力を合わせて、最大限の力を発揮させて、
戦ってくださったのだなあ。

そうした暖かい気持ちが、
今を生きる私たちにも、よく届いているし、
本当によく伝わってきます。


私は、こんなにも暖かい、
優しい、人間味に溢れた、
そうした国に生まれて来たのだなあ。



最後の方の部屋は、ニ部屋くらい、
たくさんたくさんの英霊の写真がびっしりと
飾られたお部屋でした。



だいたい、全部見終わって、
1階、部屋の中央の、
魚雷などが展示されている部屋にいた時、
館内放送がありました。


「正午10分前になりましたら、武道館の生中継音声が流れます。天皇陛下の御言葉まで、中継放送します。1分間の黙祷の時、黙祷をお願いします」

そうした、内容、でした。



10分前、館内放送が始まりました。

起立して、黙祷を捧げました。

天皇陛下の御言葉をお聴きしました。




久し振りに、履き慣れない、
黒い革靴を履いていたので、
歩き回っているうちに、
ものすごく足が痛くなってしまいました。

でも、頑張ろう、と思って、
足の痛いのを、休み休み、何とか上手に我慢して、
無事に帰宅しました。


朝、決意して、ほぼ始発の電車に乗って、
お参りをしたり、鳩🕊️を放ったり、
遊就館を見学し、黙祷をし、
導かれるように、
とても充実した、一日になりました。


力が不足している、至らない国民でありますが、
ものすごく力と勇気をこの度、
たくさん頂いてきました。

とても深くて、暖かく、お優しいお心、
切ない心、自分に厳しいお心、…
たくさん、たくさん、伝わってきました。

しっかりと受け取って、
日々、生きていきたいと思いました。

ありがとうございます。


繋いでいく、繋げていく、
繋がなくてはいけない、

そう、思いました。