先日、レコードプレーヤーを中古品のレストアバージョンアップしたものを購入。費用かかったけど昔聴いていたレコードが案外と良い音、雰囲気で鳴ってくれるのが、有り難い。当然、機械的なスペックはCDのほうが優位なのもあるけど、不思議とレコードの方が心地良い場合も。また、CD以上に気を遣わないとならない面もあり、学生時代にアナログを少しでも良い音で聴きたいと廉価な機器で悪戦苦闘していた頃の、一種の健気さも思い出す。ただレコードの盤面が思っていた以上に汚れているらしく、数分でレコード針部分に埃等が付着して高音が濁った音にもなる。また電源入れて直ぐだと音量の左右差もあるみたいで慣らし運転も必要だったりもする。ま、これから時間みつけて末長く楽しみ直すところかな。

 ついでに書籍の整理もしていて、殆ど読んでいなかったものを中古本屋にでも持参しようとしたけど、これが毎度なかなか踏ん切りがつかずに苦労している。今回もそんな本があって、「薔薇の名前」というもの。上下巻合わせて700ページもあるのでそれだけでもめげてしまい、結局最初の数十ページ読んだだけ。またトライすべきか、とりあえずはウィキペディアでちょいと概要をさらい、本の目次に目を通してみる。中世ヨーロッパやキリストのことを知っていると面白いのかもしれない。途中挫折は目に見えているけど、再トライしてみるか。

 えらく放置していたので、ブログの作成方法も忘れかけている様子。

 小生、お陰様でそれなりに生を謳歌しているかな。

 さて、何を記すか。

 ここでは記していないこともいろいろ関わっているし。

 以前からの音楽の演奏、鑑賞はそれなりに(オーディオ機器、いろいろ更新しているけど時間占有率は減り気味で少々反省)。

 ま、気が向いたらボチボチ記していきますわな。

 もう1年前の話になります。

 

 名古屋のセントラル愛知交響楽団には、以前自分の所属していた市民オケに在籍していた方がいるので、一度聴いてみたいと考えていた。

 

 当時高校生だった彼女に、市民オーケストラで演奏予定だったストラヴィンスキーの「火の鳥」のスコアを見せたことがある。実際に演奏する1919年組曲版でなく、1910年全曲盤を見せたのだが、何かに取りつかたように、ずっと見入っていた様子が今でもはっきり覚えている。その後都内の大学に進学し、いろいろと活動している話は聞いていた。最近インターネットでの検索で現在の状況が判明し、土曜日の昼公演を聴くことにした。

 

 エルガーのチェロ協奏曲は、威風堂々のイメージとはかけ離れ渋く暗めの楽曲で、独特のコクがある。開演前のステージには既に団員が数名着席して、この曲をさらっていている。そして開演となるとその効果がてきめんに顕わとなり、独奏チェロを巧みに支えていく。各パートもフレーズ感を統一させていく意思が感じられる。若手の独奏チェロ奏者も熱演であった。

 後半はブラームスの交響曲第1番、指揮者の大友直人氏は、かなり厚い響きを引き出していたのには驚いた。編成はホールに合わせて中くらいの規模なのでかなり厚みにこだわっているのが感じられる。