人見知りで無口と口下手が重なって彼女も友達も作れずにいた自分が一番の会話術に出会い、自由に誰とでも話すことができた会話術講座

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楽しそうに友人や彼・彼女達が話している。
その側を通り過ぎる時、自分だってと悔しくなる。
「誰とでも気軽に話せて
誰とでも仲良くなりたいんだ」
その思いに共感できる人に読んで頂きたい会話術!

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こんにちは、山田です。

今日は有村架純主演の映画でも

知られています
「ビリギャル」
お話をしたいと思います。



ある日アーケード街を歩きながら、
ふと通りがかりの書店を見ると
展示本の「映画化!ついに60万部突破!」
という文字が目に飛び込んできました。



ビリギャル


「え~、いまどき60万部突破はすごいな。」と思い
よく見ると


坪田信貴という人が書いたもので

学年ビリのギャルが
1年で偏差値を40上げて
慶應大学に現役合格した話で、奇跡の実話とのこと。



なんか面白そうだなあと、パラパラーと

めくると
読み易そうだし、面白そうだったので
すぐに買って近くの喫茶店で読むことにしました。



出だしからこう始まります。
膨大な可能性を秘めたへそ出し金髪ギャル


「この娘、何が目的でうちの入塾面談に来たのだろう?」
それが、僕の偽らざる第一印象でした。


それは学校が夏休みの時期。

その女子高生の髪はあざやかな金髪で、
パーマでゆるくきれいに巻かれていました。


顔立ちはきれいなんですが、
つけまつげの厚化粧にイヤリンゲ、


ピチっとした丈の短いTシャツに
ネックレスを身につけ、

おへそが出ていました。


半腰ではいたスカートは、
これでもかというぐらいにまくって短くしてあります。


ハイヒールは高く、
ネイルアートも派手で、

それにきつい香水のにおいがしました。

まさに「ギャル」以外の表現は見つかりません。


名古屋では派手な女の子を
「名古屋嬢」と呼ぶそうですが、

「これぞ、名古屋嬢なんだろうなあ」と
思わされました。


でも、僕のその後の印象は、

実は悪くはありませんでした。

最初に僕がいつもするように

「じゃあ、よろしくお願いします」

と深々と挨拶をすると、


その子もぺこりと頭を下げ、

「よろしくお願いします」と
挨拶を返してきたからです。

それで、塾での指導経験が長い僕には

すぐわかりました。


「あ、この子、見た目はドギツイけど、

根はめちゃくちゃいい子だな」


聞けば、彼女は名古屋では「お嬢様学校」

と呼ばれる私立女子高Xに通っている高校2年生。


中学から大学までほとんど試験なしでエスカ
レーター式に上がれる学校なのですが、


素行が悪くて無期停学を何度もくらい、

それも危うい(内部推薦が受けられない)、


かといって外部進学するほどの学力はない、

そんな理由で、知人から塾の評判を聞いた
母親に連れられ、

こうして入塾面談に来たということでした。


当時の彼女の学校の成績は、端的に言うと

学年ビリ。偏差値は30以下。


ただ、僕は彼女がぱっと挨拶を返したのを

見て、この子は素直だ、と感じていました。


心理学を学んで生徒の指導に活かしてきた

僕は、いつも初対面の時のしぐさや反応で、

生徒の性格を見極め、指導方法を切り替え

ていきます。


そこで、彼女にまずは「志望校どうする?」

と聞いてみました。



「よくわかんない」という返答でしたので、

「じゃあ、東大にする?」と言うと、


「東大は男たちが、なんかガリ勉で、

すんげー厚いメガネしてそうで、
ダサいからイヤだ」と言います。


なるほど(笑)と思い、「じゃあ、慶應にする?

慶應ボーイって聞いたことない?


だって君みたいな子が慶應とか行ったら、

チョーおもしろくない?」と聞くと、


「おお。確かに!超イケメンいそう!

しかも、さやかが慶應とか、超ウケる!」

と笑い出しました。


普通の教師だったら、ここで、「アホか、

こいつ」と思うかもしれません。
正直、僕もそう思いました。でも、すごい

可能性を秘めた愛すべきアホだ、と思っ

たんです。

この子は、見た目と違って素直だ、

これなら絶対大丈夫、相当行けるぞ。


こうして偏差値30、

学年でビリだった女の子が、


日本最難関の私立大学、慶應義塾大学への

現役での合格を目指すことになるのですが


偏差値30の子が慶應を目指すと言う意味は


偏差値30というのは、全国で下位2%にいる

という状態のことです。


大学受験生は約70万人いますので、

だいたい68万6千番目より下にいる状態

と言えます。


いっぽう、慶應義塾大学の合格可能性A

(合格安全圏)判定には、偏差値70以上

が要求されます。


それは上位2%という意味ですので、
1万4千番以内にいないといけません。


つまり、さやかちゃんは1年半で、67万人

以上をごぼう抜きにしないといけなかった

のです。


当たり前ですが、普通に考えると、「不可能」

以外のなにものでもありません。


市民ランナーがオリンピックで金メダルを取ろ

うと言っているのに近いのです。


受験は、「マラソン大会」に似ています。

小学校から義務教育が始まり、6年。


中学で3年。高校で3年。計12年間、毎日の

ように学校に行き、塾に通い、


コツコツと勉強し、知識を増やし、学力を高め

てきた人間が、いわゆる難関大学を受験します。



それでも、合格する可能性は限りなく低いのです。

上位2%に入るのは至難の業なんです。


大学受験というのは、すでに10年以上

マラソン大会をやってきている選手たちの
ラストスパートの場です。みんな必死です。


たとえて言うなら、


偏差値70の子たちは、時速30キロで走っています。
偏差値60の子たちは、時速25キロで走っています。
偏差値50の子たちは、時速20キロで走っています。
偏差値40の子たちは、時速15キロで走っています。
偏差値30の子たちは、時速10キロで走っています。


こうして走者の集団ができあがるわけですが、

偏差値30の子が、40に追いつこうとすると、

当然、偏差値40の子たち以上のスピードで

走らないといけません。


つまり、感覚的には、偏差値50の子たちと

同じスピードで走って、

やっと偏差値40になれるわけです。


ですから偏差値30の子が

偏差値70になるというのは、


50メートル走を10秒で走っている子に、

5秒で走れば受かるよ、だから走りなさい、

というのと同じなのです。


やはり、「不可能」と言いたくもなりますね。
でも、もしも「脚力」を急激に高めるノウハウ

と、ゴールまでの「近道」を示せたら・・・・




それから二人の挑戦が始まるのですが、

なんせ、さやかちゃんは


「日本地図を細かくなくてもいいから、

ざっくりと描いてみて」と指示すると、

まるを一つ書くので


「なんで島が1つなの?」と驚くと、

「え?日本って、そんなにたくさんあんの?」

とマジで驚くのでした。


まさか、この子、東西南北がわからないのでは?

そう思って

「あのさ、北が地図の上の方の時、南ってどっちのほう?」


「・・・・いやー、そういうのも私、無理だわ~」

「そう言うけどね、君、それを知ってるって、人間としての基本性能だから」

「いやでもね、先生そうやって言うけどね、私の友達絶対知らないから!マジで!」

「仮に、そうだとしたら、日本は滅ぶよ。本当に。いやマジで」


そして、後で当時小学生の妹に聞いたら、

「え、北が上なら、南は下に決まってるじゃん。
なんでお姉ちゃん、そんなこと知らないの?」と言われ、


それで凹んでしまった彼女はしばらく机の前に
東西南北を書いて貼っていたそうですが、

東西は逆になっていました。



坪田先生とさやかちゃんのやり取りが面白く

思わず笑ってしまい、

また、さやかちゃんのお母さんの娘に対する

愛情には涙が出そうになりながらも、



喫茶店で1時間読んでも読み終わらず、

その日は家に帰ってからも、この本にかかりっ

きりで一気に読み上げました。




さやかちゃんは、中学からは勉強以外の

ことばかりしていたそうで、仲間との遊びに

打ち込んでいました。


友達と夜中までずっと一緒にいて、カラオケに

行き、街中をぶらぶら歩いていました。


各私立中学の派手目の生徒たちでOに集まり

友達の輪が広がるのも面白かったそうです。

放課後のことだけを考えて生きていました。

ホットカラーを巻きながら授業を受けて・・・




そんなさやかちゃんが、坪田先生に出会って、

学ぶことの楽しさを知ります。


もちろん遊び仲間との付き合いは今まで通り、

カラオケしながら勉強するのです。

先ずは中学レベルの英語からです。


この遊び仲間たちも、受験勉強終盤になると

さやかが大変そうだから慶應に合格してから

また遊ぼうと言ってくれます。


学校では相変わらず授業をまったく聞かず、

爆睡する始末、


母親が学校に呼び出されますが、お母さんは


「さやかは今、目標を見つけて、必死なんです。

みなさんが絶対に無理だと思っていることを、

さやかは成し遂げようとしているんです。


ですから、塾でも何時間も勉強し、家でも朝

までずっと寝ずに勉強しています。

だったら、あの子は、いつ寝ればいいんですか?

あの子には学校しか、寝る場所がないんです。


先生は、さやかを慶應に導こうとしてくださっていない。

無理だと言って、笑っておられる。

でも、塾の先生は“行ける”とおっしゃる。

だったら、さやかにとって信じるべきは塾の先生じゃないですか。


学校の授業はさやかには意味がないんです。

大学Xへの推薦は要りません。

ですので、どうか寝かせておいてください。


無茶はわかっていますが、今だけ、あと何日

かだけでも、見逃してやっていただけませんか」


おっとりはしているが、芯の強さを感じさせる

ああちゃん(母親のこと)のもの言いに、


先生側は、

「いや、そう言われましても、集団生活のルールというものがありますから」と抗弁し続けたそうです。


でも、ああちゃんは粘りに粘って、3時間が経過します。


「さやかは慶應に行く子なんです。寝かせてください」


ついには先生が折れて、
「仕方ないですね。なんとか目立たないように

寝るということで」と、許してくれます。




受験もいよいよあと数か月。

この頃にはさやかちゃんも安定した実力を発揮してきます。


かつて学年でビリだった彼女は、学校のテスト

でも、すべての文系教科で平均点以上を獲得。


模試の成績に関しては、なんと高校Xの最上

位の進学クラスであるCクラスのほとんどの

生徒をぶちぬいて、学年で3位まで急上昇を

していました。

学校では寝てばかりだったにもかかわらず・・・



そしていよいよ、本命の慶應大学文学部の

試験日を迎えます。


過去の入試問題を解いた結果を考えるに、

さやかちゃんが受かるとしたら、

この学部しかありませんでした。

文学部の過去問は9割以上とれていたのです。


試験前、さやかちゃんは坪田先生から

もらった「合格缶コーヒー」を

万感の思いを込めて飲みほします。


しかし、これが大失敗で

おなかをめちゃくちゃにくだしてしまい、

トイレに何度も行くことになり、

思うように解答を書けずに

試験が終わってしまいます。


慶應の残る受験学部は、

総合政策学部のみとなりましたが、

過去問の小論文では良い点を取ったことが

なかったのです。


それで、過去問の成績から

「総合政策は、受かるわけがない」と思って

いたので、むしろリラックスしていたそうで、

朝一番での英語の試験は簡単に解けたそうです。


「次の小論文は、運だな、と思っていた」そうで

すが、設問に行くまでの課題文が長いのが、

慶應の小論文の特徴です。


趣旨、論旨の違う3つの長い課題文を読まさ

れ各々を要約した後で、自分の意見を小論文

で書くのですが、


これが(当時)3時間の長丁場で試される、

なかなかにキツいテストとなっていました。


さやかちゃんは、過去問では、これがいつも

苦手だったのです。


ところが課題文を読みながら「あの話使える

かな、この話使えるかな」と考えていたさやか

ちゃんの脳裏に、

坪田先生との会話がよみがえってきます。


「あれ、先週確か、こんな会話を、坪田先生としたな?」


その映像が目の前に浮かんださやかちゃんは

「来たああああ!」と思って、


自分の意見を早く書きたい、早く書きたいと思いながら、

とりあえず課題文の全文を読んでいきました。


そして、速攻で要約を書いた後、小論文を書き始めたのです。




そんなこんなの受験シーズンが終わり、合格発表。


関西学院合格!

明治大学合格!

上智大学不合格(後日、妹が合格してリベンジを果たす)

慶應文学部不合格。

慶應大学総合政策学部合格!



ついに、さやかちゃんは慶應大学に現役合格を果たすのです。





この本は笑いと涙の物語で、

久々にいい本に出会ったなあと思います。


坪田先生の生徒のいじり方がいいですね。
さやかちゃん本人の努力も素晴らしいですが

ああちゃんお母さんにも心打たれました。


また、大学受験生の学習法とか

コーネル式ノートという

コーネル大学で編み出された

世界一のノートの取り方の技術も

勉強になりました。



坪田先生の次の言葉もいいですね。


「人間にとって一番大事なのは
この、ゼッタイ無理を
克服した体験だと思っています。」


それにはちょっとしたコツがあること、
そのコツを知って欲しくて
僕はこの物語を書きました。




超長文を、ここまで読んでいただき
ありがとうございました。

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そして最後に映画「ビリギャル」の

プロモーション映像をどうぞ。