戸惑いの日々
1月21日に急きょ保護入院となった。
伊奈町の精神医療センターに約1か月。そして、退院から1か月が過ぎたけど、いまだ復職できていない。主治医は、会社復帰は5月半ばくらいと言う。会社はそんなに待ってくれるのだろうか?
アルコール依存症(回復途上)に双極性感情障害。その上処方薬依存症まである。デパスという薬。だいたい双極性障害と言っても躁鬱病のことだ。この1年間は特に酷かった。サッカーやライブの遠征。すごく無理無理な予定をぶち込んで体の持つだけその通りに動き回った。精神が落ちようがそれを踏襲した。
躁状態と鬱状態の混在することがある。むしろその時のほうが多くなってきて生活が破綻した。みずほ銀行の預金が無くなった。静岡→埼玉の引越しもまたその最中でやった。
自分が恐ろしい。明日からは4日間連続の嵐のような旅程でまた出かける。
明日24日は、精神科と歯科受診。そのあと埼玉スタジアムで日本vsアフガニスタン観戦→その足で池袋。サンシャインシティから夜行バス乗車。
25日、バス梅田着→甲子園球場。センバツ高校野球を3試合観戦→ほろ苦い思い出の今津のホテル千歳に投宿。
26日、センバツ高校野球を3試合観戦→梅田へ移動、しばし夕食など街歩き→夜行バス乗車。
27日、バス東京駅着夜行バス一旦帰宅、受診でき次第、西が丘サッカー場へ。なでしこリーグ 日テレベレーザvs浦和レッズレディース観戦
そして今日もまた、水族館に行こうなどと考えている。鴨川シーワールド、葛西臨海公園、サンシャイン水族館、しながわ水族館などのうちどれか。やめとくか。気が狂う前に身体がもたない。
会社に戻ってもわたしは使い物にならないんじゃないかな。まだまだ会社の業務についていけてない。1-2-3というアプリケーションがさっぱり使えない。見積書作成すら他の人の何倍もかかる。思うようにいかないからストレスはたまる一方。なおちゃんからも無視されるだけだし辛い。
だけど、預金の少ないわたしは働かないと生きていけない。もしくは障害者年金受け取るようにしてしまおうか。
戸惑いの日々は続く
新しいあした。
新しいあした。
明日は新しいことをはじめる日だ。
何かをはじめるのに遅すぎるということは……やはりありますね。いろいろまわり道をしてしまい、それはかなりの部分、飲酒による人生のもたれかかりの連続から来る阻害が占めている。言ってしまえば酒に溺れてしまったわけだ。
数々の酒場で、街角で、路肩で、狂い飲みを繰り返し、精神世界は荒廃を極めた。大げさに言えば、常に死と隣り合わせの生であった。
いま、酒を絶って3年9か月。
しかし依存症的性格が治ったわけではなく、生きにくい日々を送っている。
もう一度、見つめ直してみたい。
自分自身が教材でさえあるわけだし、基本を学ぶのは楽しみでもある。
明日は新しいことをはじめる日だ。
何かをはじめるのに遅すぎるということは……やはりありますね。いろいろまわり道をしてしまい、それはかなりの部分、飲酒による人生のもたれかかりの連続から来る阻害が占めている。言ってしまえば酒に溺れてしまったわけだ。
数々の酒場で、街角で、路肩で、狂い飲みを繰り返し、精神世界は荒廃を極めた。大げさに言えば、常に死と隣り合わせの生であった。
いま、酒を絶って3年9か月。
しかし依存症的性格が治ったわけではなく、生きにくい日々を送っている。
もう一度、見つめ直してみたい。
自分自身が教材でさえあるわけだし、基本を学ぶのは楽しみでもある。
河津桜
河津桜
久しぶりに近所のスーパーマーケット田子重に買い物に行きました。そしたら駐車場脇の河津桜が満開になってました。風は冷たいけれども、確実に春は近づいているんですね。
昨日の晩から、滅多にないことだけど人とよく話しました。いつもは引きこもりの週末、というか毎日なんですけどね。
久しぶりに近所のスーパーマーケット田子重に買い物に行きました。そしたら駐車場脇の河津桜が満開になってました。風は冷たいけれども、確実に春は近づいているんですね。
昨日の晩から、滅多にないことだけど人とよく話しました。いつもは引きこもりの週末、というか毎日なんですけどね。
死にゆくひとたち
昨夜、南方場末の酒場にて伝え聞いたはなし。「Jさんはいなくなったんだよ」
2007年末、アパートで孤独死だったらしい。そのひと月前にわたしはJさんと会っている。壮絶な二日酔であったわたしはJさんと街で会い、昼間から酒場に行って迎え酒をした。Jさんが酒の関係で入院したりしてたことは知ってはいた。しかしわたしは無知だった。
アルコール依存症。
進行性の病気で、回復はできても完治はしない。酒をやめ続けることでしか生き延びることができない。飲めば死と隣り合わせの恐ろしい病。
昨年からまわりでばたばたと知り合いが亡くなっている。内臓疾患であったり、自死であったり。。。無力感に打ちのめされそうになる、アルコール依存症の恐ろしさ。
Jさんには妻があった。しかし離婚してひとり住まいだった。仕事を失い、入院し、自己破産して生活保護を受けていた。自己破産の際にはわたしのところにも通知があった。
わたしが左遷で西宮に行ってからもちょくちょく連絡をくれた。Jさんとのメール交換は楽しかった。そんな中、わたしもまた酒の波に飲まれて行く。アルコール依存症という診断を受けたのは2007年の9月だったか。
否認のわたしは飲酒を続け、どんどん悪くなって行った。そんな2007年11月末、Jさんと会ったのだった。それが最後になろうとはつゆ知らず。わたしたちは酒を飲んだ。無知だった。恥ずかしいほど無知だった。わたしに理解があったなら、ひょっとしたらJさんを救えたのかもしれない。そう思うと辛いが、救うなどというのは無理なこと。おこがましい。
予感はあったけど、生きていて欲しかった、Jさん。わたしは今日も生き延びてしまいました。




