病院に泊まりに行く時は、兄か兄嫁が車で送ってくれました。
ふたりはそのまま就寝の時間まで、母と過ごして帰るのが常でした。
兄夫婦は二世帯で住んでいるので、残された父のことを頼む、という思いもあったのでしょう、
このふたりへの話が一番多かった。
傍で話を聞きながら、しんみりとしたこの時間が、私は好きでした。
母と兄の絆は深いんだなあ、と知ったのもこの時でした。
まだ1歳ちょっとの頃に大やけどを負わせてしまったことに対する罪悪感を
ずっと引きずっていたのも知らなかったし、
赤ちゃんの頃から理不尽に父に嫌われてきた兄だったので、
よりかばう気持ちが強かったのかも知れません。
兄は母の手を握りながら嗚咽していました。
一時期は、やはり嫁姑問題もあった兄嫁。
だけど何度か、泣きながら腹を割った話し合いをしたことがあるそうです。
真っ向から向かい合ってきたふたり。
兄嫁も号泣しながら「お義母さんに会えて良かった。お義母さんのこと大好き」と伝えていました。
もしかしたら実娘の私よりも、魂のぶつかり合いをしたのかもしれない。
痩せこけて病人ぽくなってからは、
「こんな姿、見られたくない」と近所の人に会うのを避け、家の中にいた母。
だけど入院してからの面会には大喜び、「まだ帰っちゃダメ」と
来客の手を固く握って離さず、お喋りする様子を見て、
「これはひょっとしたら、あと1ヶ月くらい生きるかもしれないぞ?」
と希望を感じたものです。
けれど本人はどこかで分かっていたのでしょう。
「F先生(主治医)は週末はお休みで、回診はないんだって」と告げると、
「月曜に先生に会う時は、ベッドのリクライニングを上げてちょうだい。
寝転がったままじゃ失礼だからね。
会ったら握手して、離さないんだから。最後にお礼を言うんだ。」と。
その通りの月曜日、81歳の誕生日に亡くなりました。
誕生日と命日が同じになりました。
思えば、前の晩の様子がおかしかった。
ふいに「お父さんはどこ?お父さんにお礼が言いたい」と。
そこで、家で休んでいた父の携帯にビデオ通話しました。
母が「お父さん、ありがとう〜」と伝えると、
「何言ってんだよ、俺のほうこそありがとうだよ」
と画面の向こうの父が泣いていました。
通話を切ると、母は顔をくしゃくしゃにしながら、「言えた〜、嬉しい〜」を繰り返していました。
嫌だ嫌だと言いながら59年連れ添ったのだから、色々な情があったに違いない。
朦朧と、うわごとのようにいつまでも繰り返しているので、
兄が「よ〜しよ〜し、もう大丈夫、大丈夫」と頭を撫でて落ち着かせてやりました。
すると母は「うん、うん」と子供のようにうなづいて、そのまま眠りに落ち、
「なんか様子が変だ」と兄と私は顔を見合わせました。
母が口をきけたのは、その夜が最後でした。