「口紅」・・・リップカラー、リップスティック・・・色々な呼び方がありますよね。


口紅は季節によって色を変えます。

そして、毎年新色がでます。


口紅は流行の象徴なのかもしれません。

ですから、使わなくなった口紅がたくさん残るのです。



まず使い方は、リップライナー(口紅を塗る前に輪郭を取る、ペンシル)を使って、

唇の形をとります。しかし、初心者の場合、唇そのものの形でラインを引くのが無難です。

唇の山の位置は、鼻の穴の中心部が高くなるように、修正します。


それから、口紅を塗るんです。

そして、流行にもよりますが、グロスを塗ります。


私はリップライナー→口紅→ティッシュで軽く押さえる→グロスの順です。

グロスも塗りすぎると、「天ぷらを食った口」になるので、少量でよいと思います。


今年の春はピンク系が一般化しそうです。しかし、ブランドで出しているものには、

深い色合いのものをプッシュしているところもあります。



ただ、MTFの場合、綺麗さを求める前に、「標準化」が良いと思うのです。

まず、一般の女性に溶け込むことが目標です。


そして、自分のスタイルを少しずつ冒険します。

控えめが保険になる訳です。


私が経験したのは、田舎街生活で流行を取り入れたときに、

余計に目立つし、あら捜しはかなりされました。

自分から「性同一性障害」と言わなければ分からなくても、

障害を知った途端、あら捜しをされることになるのです。


幸せになるためには、社会に打ち解けて、障害を忘れるくらいになり、

その障害を乗り越えることだと思います。


まず、一般化です。

その年の流行の色で、すこし控えめくらいが目安。

リップライナーと口紅は同系色にしましょう。


補足ですが、生態学上の性別(生まれたときの性別)で、

色彩感覚は多少違うようです。

男性はコントラストで物を見ます。

女性は多彩に知覚するそうです。

ですから、口紅のはみ出しには、女性が気付くことが多いのです。


口紅はちゃんと、リップ専用の筆で塗りましょう。

無駄に口紅を使わなくてもよくなると同時に、

細かい所までちゃんと塗ることができます。

そして、筆は清潔にしましょうね。


次回は、チーク・フェイスカラーを取り上げます。



ビューラーとは、まつげをカールさせるために使う道具です。

見た目はハサミみたいな感じで、まつげをはさむ部分があります。


まぶたをはさまないように、まつげの根元をはさみ、そして、まつげの中心部をはさみ、

最後にまつげの毛先をはさみ、カールさせます。

3段段階にあげるのが、基本です。


しかし、目じりのまつげはなかなか上がらないもの。

そういうときは、まつげを上げる部分が狭い、部分上げのビューラーがあります。


ビューラーでまつげをカールしてから、マスカラを塗るんですが、

すこし、カールが戻ってしまう時は、ドラッグストアなどに売っている、

「電動まつげカーラー」があります。


電熱線が入っていて、マスカラを塗ったあとに、根元から上に上げるように、

まつげをなで上げます。



(危険な裏技、ビューラーをライターであぶって、温めて上げる方法を使っている人もいますが、

まつげがチリジリになることもあります。これは絶対に止めましょう。)


次回はリップスティックについて取り上げます。




性同一性障がいを抱える当事者にとって、

ご両親の理解が一番むずかしいことだと思います。


私は両親には理解してもらうことはできませんでした。

とても残念なことですが、当時は「性同一性障害」という言葉もなく、

「おかま」などの差別用語に近いかたちでしかありませんでしたから。

15年近く経ってから、少し交流はありますが、

時間の流れはあまりに大きいもので、家族だったのかも分からないくらい、

よそよそしいものになってしまいました。


あのとき、「性同一性障害」という言葉があって、治療法や法律が整っていたら???

と、考えてしまいますが、もう仕方の無いことです。


まず、「性同一性障害」は「なりたくてなるものではない」ということです。

自分ではどうにもできなかったことですし、性自認はどうしても変えることはできません。


私の場合ですが、「男性としては生きてはいけなかった」ということ。

興味を示すもの、話し方、女性的な動き、生まれ持った性別への違和感。

恋愛・・・これはどうにも変えることができませんでした。


教育や家庭環境で生まれ持った性別に矯正できるものならば、私も試したかもしれません。

しかし、どちらが自然の流れかを考えたとき、言動、行動が女性で、

興味を示すものや、恋愛が女性の価値観であれば、自分を女性とみなすほうが自然だと思いました。


当事者のご両親も大変悩むことですし、世間の目を気にすることも

あると思います。会社や親戚にはどう話せば良いか・・・など考えるときもあるでしょう。


しかし、それよりもっと辛いのは、当事者のお子さんです。

これから、治療や社会との接点を作ること、友人、知人、すべての取り巻くものに、

生まれ持った性別を、心の性別で生きていくために、努力をしていくことと思います。



当事者の方々も、ひとつだけ心にとめておいて欲しいことは、

「お父さんやお母さんの中では、息子(娘)であったものが、急に娘(息子)になってしまうこと。」

これはご両親の中でひとつの大きな「喪失体験」です。



現在ではご両親のご理解もあり、応援している家族も増えています。

講演会などでは、ご理解のあるご両親が出席しているのを見かけます。

学校の先生も当事者の学生のために、いろいろな知識を得ようと、

勉強会や講演会に出席してくれています。



ただ、「性同一性障害」はなりたくてなるものではなく、

どのように育てたかが問題でもなく、

今では原因が特定できない「障害」です。

「個性」という見方は、現在の社会では難しいと思います。


人は自分と違うものを見たとき、驚くのです。



それでも、私が悩み努力し続けた時代より、

今はとても生きやすいのです。

また、理解してくれる人がたくさん増えたと思います。


「パス度・・・心の性に外見が見えるかどうか。」はご両親のご協力あってのものです。

心の性に近づくにつれ、生まれた時の性別とはどんどんかけ離れて行きます。

しかし、社会で受け入れられやすい状態にしていくのには、

早期にパス度を上げる必要があります。


mtf(男性→女性)にかわる場合、メイクも髪型も、

生活習慣も、生まれつきの女性からはかなり遅れているのです。

これはひとつの学習とも言えると思います。


お母さんは子どもの髪をとかしてあげたりしますよね。

そんな経験さえ無いのです。


より多くの当事者のご両親がご理解いただけることを心から願います。



もし、子どもさんが「ほんとは性同一性障害」かもしれないと思ったときは、

お子さんの精神状態が安定しているときに、

「もしかして、女の子(男の子)に生まれたかった?」と軽く訪ねてみるのも

早期に発見できる方法のひとつかも知れません。


私は「性同一性障害とその家族」が永遠のテーマとなっています。

そして、私が永遠に解けない問題でもあります。


ただ、どんなに家族として長く一緒にいても、

同じくらい、それ以上に離れている期間があったなら、

思い出もすれ違います。


私は学生時代、英会話とピアノが得意でした。

久しぶりに家族と再会したときに、それを言われて気付いたほどです。

外国人のいない町に住み、家にしばらくピアノが無ければ、

忘れてしまいます。

母の作ってくれた料理の味さえ殆ど覚えていません。



私はいつも手探りで母の味を探し、料理を作っています。

今は自分のために、主人のために、そして一緒に暮らす犬と猫のために、

精一杯頑張っています。



私ごとですが、こんな一例もあるということでした。