○剛柔流の道場から少林流の道場へ

私は十七歳から剛柔流空手を学びはじめたのですが、2段を認められて間もなく、道場の師範が海外普及に赴くことになりました。

「あちこち国を回るから長くなりそうだ。流派は違うけど、君が空手を続けたければ親しくしている先生がいるから紹介してあげるよ」

「よろしくお願いします」

○移籍初日

「いま君は何段?」

「2段です」

「では2段から継続しよう」

「えっ!私は少林流は初めてなのですが……」

「構わない。私は流派にはこだわらないんだ。元は同じなんだよ」

剛柔流道場での稽古は鍛錬と型が中心でしたが、こちらの道場では防具組手が中心。
「試合中の怪我は仕方がないにしても、稽古で相手に怪我をさせてはいけない。だから防具以外のところを攻撃しては駄目だ。奇襲技も駄目だ。稽古では面金、喉、肩、胴、小手を攻撃すること。これは徒手でも武器でも同じ、攻撃は防具があるところだけだ。分かったね」

○年月が過ぎ2010年初頭

範士
「そろそろ7段審査を受けたらどうかね?年齢的にも頃合いだと思うんだが」

「範士、私は6段で十分満足しています。それに左目の網膜剥離をやりましたので、これ以上はもう」

範士
「武器術でも駄目かね?7段の高弟が欲しいんだ。君が上の段になってくれたほうが他の者が昇段しやすくなるんだが

「そうなのですか?……範士もご存知のように私は武器術では諸手の対者技しかできません。試合でもそうですが、私ができるのは鎌でも半棒でも投げ付けから入る連続技だけです」

範士
「それで十分だ。君はトンファーもこなせたね」

「トンファーは下手です。左手が突きと受けしかできません」

範士
「対者はそれで構わない。期待しているよ」

結果的に私は空手武器術で7段に昇段しました。
翌日、段位は7段で終わりにしたいと範士に申し出ました。

範士
「君に損な役回りをさせたことが何度かあったね。すまなかったと思っている」

「範士、私でしたら大丈夫です。それが私の立場ですから」

空手武器術7段を認められた五十四歳のときの写真です。