こういった韓国の意図的な捏造教育について例を挙げればきりがないが、
ここで彼らが日本批判によく用いる「創氏改名」をピックアップして
少し詳しくみてみよう。
まず、言葉の意味から。
「創氏」とは、つまり氏(家族が共有する名)を創ること、
そして「改名」は文字通り名を改めることを意味する言葉であり、
朝鮮が日本の一部だった時代に戸籍管理の一環として行った政策である。
朝鮮人はこれに対し、「日帝は強制的に民族の名前を奪った!」などと
日本を非難するのだが、結論からいえばそれは無知ゆえの事実誤認であり
日本が彼らの名前を奪ったなどという事ではない。
なぜなら「創氏改名=名前の変更」というのは朝鮮人が望んで得た権利であり、
『希望者が申請すれば日本式の名前の使用を“許可する”』
という制度だからである。
もう少し詳しく説明しよう。
まず、アフリカの黒人らが宗主国人と同じ名前の使用が禁止されていたのと同様に、
当初は日本国の朝鮮地方でも、朝鮮人や台湾人が日本風の名前を名乗ることは
総督府令で禁止されていた。
しかし、当時の朝鮮人というのは「朝鮮原住民、かつ、日本国民」であったことに加えて
当時の強国であった『日本』の名前を使用したほうが朝鮮名を使用するよりも
満州や中国で商売するにも有利であったりといった理由で改名の要望も増えていった。
また、アフリカ人らと違って朝鮮人は肌の色や顔形が宗主国人の日本人と似ていたため、
彼らにとっての利便性から「勝手に」日本名を使用する事例が増加し、戸籍が混乱した。
そこで本来禁止していた改名を、1940年=皇紀2600年(※)の紀元節を記念して
『特例として』2月11日から8月10日までの半年間は「氏」を創ること(※)も許可した。
※「皇紀」
西暦がイエス=キリストが誕生したとされる年を紀元元年としているのに対し、
皇紀とは日本書紀に記されている神武天皇(初代天皇)即位の年を元年として
起算した日本独自の紀元表記のこと。紀元節はその節目の年の祝い。
※「氏」を創ること
氏を持っていなかった日本人が明治維新の時に「創氏」、
つまりファミリーネーム(家族名)を創って名乗るようになったのと同じ。
ちなみに改名に関しては特例の半年間に限らずいつでも受け付けた。
ちなみに朝鮮の人口の半数近くを占める奴隷階級は、それまでの朝鮮の法律では
「戸籍を持つことさえ」許されておらず、女性などはさらに低く扱われていたので
姓どころか「名前ですらも」持っていなかった者も多かった。
しかし日本が創設した新しい戸籍制度では全ての朝鮮人(※ここでは便宜的に
朝鮮人と表記したが、当時は国籍上、日本人である)に姓氏を与えることとなった。
ここで当時朝鮮人に向けて告知された「創氏改名の法院公告(案内のチラシ)」を
ご覧頂こう。
(拡大)
これを現代の日本語に直すと以下のようになる。
1.創氏届け出は八月十日までです。その後創氏届けはできません。
名の変更には期限がありません。
2.八月十日までに氏の届けをなさぬ者は従来の戸主の姓がそのまま氏となる。
結果、戸主の姓が金なれば、金が氏となり、妻尹貞姫は戸主の氏に従い
金貞姫となり、子婦の朴南祚は金南祚となり、紛雑するおそれがあります。
この結果は内地式氏を設定しなかったことをかえって後悔することに
なるだろうと思われます。
3.氏と姓とを混同する向きがあるようですが、氏は家の称号であり、
姓は男系の血統を表するもので、両者の性質は全然異なっております。
4.氏を設定すると従来の姓が無くなるという誤解があるようですが、
氏設定後においても姓および本貫はそのまま戸籍に存置されますから
心配ありません。
5.門中または宗中は同一の氏を設定しなければならぬと考えられている人も
ありますが、大いなる誤解であります。氏は家の称号であるがゆえに、
各家異なる氏を設定するのが当然であります。
6.氏選定について熟慮中のようですが、考えすぎるとかえって
迷うおそれがありますから、速やかに簡明なものに決定するのが
もっとも理想的であります。
7.期限も迫りました。不審の点は早く府面邑または法院へ
お問い合わせください。
大邱地方法院
※枠上:期限は刻々と迫る 八月十日限り 今熟慮断行の時
※枠下:認識を誤って悔いを子孫に残さぬよう
※枠右:△好機を逸さぬよう!
※枠左:△即刻届け出しましょう!
これを見ていろいろなことに気付く人も多いだろう。
まず創氏改名の「創氏」と「改名」は別のルールで行われている。
この2つは別々にして考えなければならない。
つまり創氏改名というのは、噛み砕けば、
『創氏(家族名を創る事)』= 義務
→強制的に新しい戸籍システムに移行するが、
元々「氏」(※ここでは氏族名)を持っていた両班階級には関係ない。
何もしなくても世帯主の氏が戸籍登録された。
『改名(個人名を変更する事)』= 権利
→家族名を創るついでに日本風の名前に変えてもいいが、
変えなくてもいい。改名に関しては本人の自由であった。
という制度である。
では“なぜ”この問題がややこしくなるか。
それは「元々朝鮮には家族で共有する名前(家族名)がなかったこと」に起因する。
朝鮮人の名前でよくみかける金とか朴などの呼称は実は「家族名」ではなく、
「本貫」という姓の発祥地に由来した男系血族集団の「氏族名」を表すもので、
いわば本籍地のようなものである。
家族名がないため、日本やアメリカと違って朝鮮では現在でも夫婦で姓が異なり、
子は必ず父方の姓を受け継いで名乗っている。
氏と姓が混乱しないようにここで用語を一度定義しなおすと以下の通りである。
・姓=氏族名。本貫の名。集団の名前。朝鮮や中国特有のもの。戸籍登録には不要。
・氏=家族名。家族で共有する名前。朝鮮には存在しなかった。戸籍登録に必要。
・名=個人の名前。ファーストネーム。戸籍登録に必要。
ここに『戸籍』、つまり“家族”を単位にして住人を把握するシステムを導入する場合、
「単位となる家族名」が朝鮮に存在しないことが問題だった。
そこで新たに家族で共有する家族名を自分たちで考えて登録せよ、
というのが「創氏」である。
感覚的な理解を助けるため現代風の例え話にすると、
ある“団体スポーツ”の大会に出場する選手たちを大会運営委員が管理する時に、
所属地域名(氏族名)だけでなく、チーム名(家族名)を作って申請せよ、と
「大会の運営者が」決定した、というようなことである。
つまり、東京に属する選手が多い(金や朴という本貫に発祥する氏族が多い)場合に、
ただ単に「東京の誰々」(氏族名+個人名)と名乗られるより、
たとえば“東京ジャイアンツ”や“東京ドラゴンズ”のようなチーム名を創らせたほうが、
大会運営側にとって、遥かに便利だということである。
そして運営者が使う(戸籍管理に使う)のは、「ジャイアンツの誰々」(家族名+個人名)
という登録名(戸籍登録名)だというだけの話である。
このルールで、たとえば徳川家康という日本人を戸籍登録をするとした場合、
徳川家康は「清和源氏」という氏族名を名乗っていたので、
氏族名:清和源 + 家族名:徳川 + 個人名:家康
つまり清和源氏+徳川+家康となる。
そして日本の戸籍制度で登録に使用するのは家族名と個人名だけなので
戸籍の名前は「徳川+家康」になる。
ところが朝鮮には家族名がないので、金正日という朝鮮人を戸籍登録する場合、
氏族名:金 + 家族名:なし + 個人名:正日
となってしまう。
これでは「何」正日なのかわからない。
しかも金正日の妻に至っては家族名が無いだけでなく、女性なので(※)
氏族名があっても金正日の「金」とは別の名前である可能性が高い(※)上に、
場合によっては個人名すら無い(※)ケースが考えられる。
つまり家族単位で住人を把握するタイプの(日本本土と同じタイプの)戸籍を
作るにあたって、家族名が無いのが不便なので「創氏」せよ、という制度なのである。
※ここで例示した金正日の妻は当時の一般的な「女性」にあてはめた喩えであって
実際の金正日の妻たちは現代人なので当然ながら名前(高英姫ほか数名)がある。
※1997年に改正されるまでは同じ本貫(男系ルーツ)の祖を持つ氏族同士は
結婚できなかった。逆に同じ氏族名でも本貫が異なる場合は婚姻可能だった。
※ちなみに貴族になった女性でも、たとえば李氏朝鮮末期に君臨した『閔妃』という
女帝ですら、その名は「閔妃=閔という氏族の女」という意味で個人名ではない。
また、閔妃を意味する「明成皇后」という名は、死後に彼女を憐れんだ日本人が
名付けたもので、生前はそう呼ばれていなかった。
要するに、戸籍に必要な家族名を創れという制度なのだが、
だからといって金や朴といった氏族名を廃止したわけではない。
氏(家族名)を新たに作ったとしても、 (田中、鈴木、長谷川、など)
姓(氏族名)を仮に日本風に改名したとしても、 (金→金井、高→高田、など)
姓をそのまま朝鮮名のまま使用したとしても、 (朴、李、鄭、崔、黄、など)
いずれの場合でも戸籍には旧姓・氏族名も新たな名前と一緒にそのまま記載される。
ただ単に氏族名は『国が家族単位で戸籍管理する上では使わない』だけで、
氏族名は、戸籍情報の中のいわば“本籍地”のような扱いになるわけである。
生活する中で何の支障もないし、普段から呼ばれる氏族名がもしあるのなら
戸籍にそれを家族名として登録してもいいし、戸籍に別の家族名を登録したとしても
生活上は今までの呼び名を使い続ければいいだけである。
さらに言えば、名前の無い女性や戸籍のない白丁階級(奴隷)ならまだしも、
元より氏族名や個人名を持つ両班階級(貴族)であれば話はもっと簡単だ。
仮に家族名を登録するのが面倒で“届け出をしなかったとしても”、
それまで使っていた姓である金や朴や李などの氏族名がそのまま自動的に
氏(家族名)として戸籍に登録されたのである。
現代の韓国人のほとんどが『元両班階級の良家の出身』だと“自称”するのだから
たいした変化は無かったはずなのだが、韓国人の多くが創氏改名に食ってかかるのは
おかしな話だといえるだろう。
これだけ見ても日帝が朝鮮民族の名前を抹殺する意図がなかったのは明白である。
そもそも今までの朝鮮名を「日本名に無理矢理変えさせたい」のだとしたら
なにも届け出の期限を「半年間」に限定する必要など無いのだが。
つまり彼らが怒りに燃えて叫ぶ「日帝が名前を奪った!」という言葉は事実誤認であり、
当時の日本国民である朝鮮人にも日本風の名前を使うチャンス・権利を与えただけ。
『強制性』があったのは「新しい戸籍制度への移行」と
「それまで持っていなかった家族名を“新たに持つこと”」だけだったのである。
「創氏」については以上のように
“新しい戸籍システムへの移行においては強制”であったが、何も奪っていない。
残る「改名」についてはもっと簡単だ。
改名は任意、つまり自由であった。
日本風の家族名に合わせての改名、今後日本人として生きていくのに便利であろう、と
「改名の許可」が出された。それだけの話である。
(カルフォルニア共和国がアメリカに併合されてアメリカ合衆国カルフォルニア州として
現在も存続しているのと同様に、当時は日本の敗戦など誰も予想しなかったので、
その後彼らが永遠に日本国民として生きるための配慮、という意味があった)
仮に元の朝鮮名をそのまま使わないことを選択し、家族名だけ日本風に変更したとして、
たとえば「田中ヨンジュン」や「鈴木ジョンイル」では違和感があるだろうし、
中国人から差別を受けるかもしれないという統治者側からの配慮であり、
それでも構わないのであればその名前を使えばいいが、「太郎」や「花子」などの
日本風の個人名に変えるのも“自分で申請さえすれば”自由、という制度である。
ちなみに改名が任意であった証拠を探すのは容易い。
実際に20%ほどの朝鮮人が朝鮮名のまま改名しないことを選択しているからだ。
もちろん名前を変えなかったからといって制度上の不利益はない。
たとえば白洪錫少将のように朝鮮名のままで日本軍の将軍職を務めた朝鮮人もいたし、
金錫源少佐のように朝鮮名のまま活躍して金鵄勲章(当時の軍人最高勲章)を
受賞した朝鮮人もいたのである。
洪思翊将軍(中将)などは指揮官になった時に部下となる日本兵の前で、
「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により指揮をとる。
異義のあるものは申し出よ」と訓示したという。
つまり朝鮮名のままでも完全に日本国民(日本軍人)としての権利を
享受していたのである。
これは同時に、「統治される側の国民」が『国軍(日本軍)』に入隊できるだけでなく、
出世して、地位を得たそれらの者が、宗主国民である日本兵を指揮する立場に
なることもできたという事実であり、「欧米諸国の苛烈な植民地統治」と
「日本の植民地・併合統治」では制度や理念が根底から全く違うことの証明と
いえるだろう。
また、彼らとは逆に、自ら創氏改名することを選んだ朝鮮の有名人もいる。
韓国の民族的作家で、朝鮮近代文学の父とも言われる李光洙(イ・グヮンス)である。
彼は「香山」と創氏し、名を「光郎」と改名した。