地球と瓜二つの星に小さな火の国があった。
この国の時代を世間では徳川幕府と呼んだ。俗に言う一精子に依る独裁支配の国であった。
徳川幕府慶長8年(1603)から慶応3年(1867)まで265年間続いたこの時代を江戸時代とも言った。
ここに書かれた物語は江戸時代の前期の終り頃から江戸中期の初め頃、元禄文化、俗に町民文化が大阪、京都を中心に地方へ広がり始め武家社会から庶民たちの時代へ変化を遂げる途中の化政文化時代までの事である。幕府でいえば三代将軍から五代将軍の力に依り城下町、港町、宿場町、門前町など、各地の都市が栄え、天下泰平の平和が訪れた時代の物語である。
この時代を少しのぞいて見よう。三代将軍家光の乳母、春日の局は大奥を作り替えた。それからの家光は男色を止め?華美な生活を営み、各都市にも遊郭や岡場所が出来上がった。その中でも江戸の吉原が有名だった。もちろん幕府公認の売春宿だ。この他非公認の女郎屋に飯盛り女を抱かえた煮酒屋、夜鷹の類が多数あった。この時代、水は貴重であったから武家屋敷でも湯船を持つことはまれで武家も町人も皆、湯屋(銭湯)へ出かけた。もちろん混浴で会った。庶民の娯楽は木戸銭が芝居の三分の一の40文で見られる寄席に人気があった。
桜の花弁が舞う庭の一角に二人の武士が木刀(樫の太い枝を乾燥させた棒)を構え、腹に響く声を出していた。一人は髭面の臥龍斎、もう一人は二十六歳の新之助だ。
女が盆に握り飯を載せて庭に面した廊下に現れたのを見て髭面の臥龍斎が木刀をだらりと下げ稽古をつけていた新之助を制して「昼餉にしましょう」と廊下へ顔を向けた。緊張していた新之助の顔がぱっと花が開くように綻んだ。
新之助は三代将軍徳川家光が四十をだいぶ過ぎた頃、大奥へお女中で上がったばかりの松平家の娘にお手をつけた子である。春日の局が娘のお腹に気付いた時にはすでに七カ月を過ぎようとしていた。
親元へ手紙を送り直ぐに娘を引き払わせた。娘は松平家の待女愛様だ。大奥で二年間の修行を終えたのち酒井家の三男坊と結ばれる約束が出来ていたものだから松平家も慌てた。
生まれた子は春日の局の計らいで松平家の分家保科正頼に押し遣った。
家光も知らなかった。