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昭和56年頃から
平成16年6月20日まで
受診:していない
昭和56年(中学1年)から喫煙し、昭和57年(中学2年)にシンナーを1年間常習していました。
昭和59年(高校1年)から飲酒の習慣がつき、昭和61年(高校2年)の時に『咳止め薬ブロン』を常用し始めました。
昭和63年(20歳)の時にマリファナを常用し平成3年(23歳)頃に覚醒剤を初めて使用しました。
その後2年間、平成5年(25歳)まで3ヶ月に一度の頻度で覚醒剤を使用していました。
アルコールに関しては高校1年の時から平成26年7月まで『ほぼ毎日』飲酒していました。
平成3年(23歳)頃から両親が持っていた『ハルシオン』『デパス』などを平成8年頃(28歳)まで常用してました。
◎平成11年頃(31歳)
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31歳頃に知人から大量に覚醒剤を入手する事になり、当時2年間以上無休で一日16時間以上の労働を強いられていた為ストレスから手元にあった覚醒剤を使い始めました。
約1年半くらい週の3~4日使用しながら仕事をするようになりました。
その後、交際中の彼女が『子宮筋腫』になり、社内で自分に責任があると噂になり罪悪感を感じ毎日のように覚醒剤を使用するようになりました。
当時は『事業部長』という立場で休暇を取る事もできない生活をしていました。
◎平成13年頃(33歳)
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33歳頃には当時住んでいたマンションの隣の部屋や天井から『ドリル』で壁に穴をあける『音』が聞こえ始める『幻聴』と、窓の外では『誰か』が毎日監視している『幻覚』が始まりました。
自宅は『ドリルの音』や『監視』されているので、『ホテル』を利用することが増えましたが、そこでも『盗聴』『盗撮』などの『被害妄想』が酷く起こり錯乱状態になる事が良く起こりました。
この頃は、会社の『取締役役員』にもなり仕事がとても忙しく『幻覚、幻聴』にはなるべく気にしないようにしていましたが、常に『身の危険』を感じ寝室には『包丁』を枕元に置くような生活をしていました。
病院への相談などは、すべて『現実』と思っていたので考えることはありませんでした。
『幻覚、幻聴』『被害妄想』が酷く現れ『殺される』という恐怖心が常に付きまとう生活に耐えられず、環境を変えたく会社を離職し、兵庫県加西市へ見合い結婚を経て生活基盤を変える努力をしました。
しかし、半年で婚姻生活は『破綻』し、挫折感から覚醒剤を使用することになりましたが、1年間ほぼ毎日使用し続けた結果、『幻覚』『幻聴』『被害妄想』が頻繁に再発し『日常』と『妄想』の区別が付かない状態で『電磁波』で『殺される』という『被害妄想』が常時起こり、中央区東銀座から自宅の調布市まで14時間ほど『殺される』ことから逃げるよう、隠れるようにしながらパニック状態で朦朧と徒歩で帰宅し、途中で『自殺』なども考えました。
最終的には死に切れず、自宅付近で朝4時頃に実家へ電話し『保護』を求めました。
通院を進められましたが、『被害妄想』から病院に行けば『殺される』と思い込み拒否していました。
◎平成15年頃(35歳)
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34歳の頃に会社を設立しましたが、私の覚醒剤による『被害妄想』が原因でパートナーが自殺してしまい、罪悪感からさらに覚醒剤を使う日々が続きました。
『幻覚』『幻聴』『被害妄想』は酷くなる一方で、『電磁波が自分を狙っている』と意識しながら会社経営をしていました。
当時は『自殺願望』が常にあり、職場の部下に相談して何度か引き止められました。
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平成16年6月20日から
平成16年6月20日まで
受診:した
医療機関名:東京都立豊島病院
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平成16年6月20日(35歳)に覚醒剤を使用したとき、『幻覚』『幻聴』『被害妄想』がいつもより酷く感じ『電磁波が自分を狙っている』と腹部が熱く感じ内蔵が溶けるような錯覚と『マスクを被った悪魔』のような姿が見え恐怖のあまりマンションの7階から飛び降りそうになりました。
当時同棲していた彼女が止め、心配し『救急車』を呼び東京都立豊島病院へ搬送されました。
そこでの診断は『腸閉塞』と言われ手術先の病院が見当たらないとの理由と共に腹痛が収まったこともあり一度帰宅することを進められ、後日『精神的な治療』が必要とのことで東京都立松原病院を進められ『紹介状』を頂きました。
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平成16年6月28日から
平成18年3月24日まで
受診:した
医療機関名:東京都立松原病院
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初診時に状況を説明したところ『統合失調症』と言われ症状を押さえる薬を処方されました。
その後『アルコール』の摂取量が多いとの指摘を受け『控えるように』と注意されましたが、主治医は覚醒剤による『幻覚』『幻聴』『被害妄想』に悩んでいる事を認識してくれず、なぜか、アルコール依存症のプログラムへの参加と入院を進められました。
統合失調症として処方された『薬』を飲んだ後、『気分が悪くなり』怒りの感情が突然こみ上げ押さえられなくなり自宅内で暴れてしまうという事件が起きて以来、『通院』する意味がないのでは無いかと思い通院を辞めてしましました。
平成18年1月頃(38歳)に覚醒剤を再使用してしまい、当時の彼女と相談した結果『出頭』する事を決意し『麻布警察』へタクシーで『保護」を求めて『逮捕』されました。
月島警察へ移送され拘留後、裁判を受るにあたって担当弁護士からの指示で保釈後の平成18年3月24日に再度、東京都立松原病院へ通院しました。
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平成18年3月25日から
平成21年12月6日まで
受診:しない
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先の診察時には『診断書』の発行は無かった為、『幻聴』や『被害妄想』などの病状は『統合失調症』の薬を処方された事実から自分の病気は『統合失調症』が原因だと思い、精神障害者になる事への『抵抗』と『否認』との為、通院を躊躇い会社経営者としての立場上通院は考えられず会社を存続していました。
しかし、平成18年1月の覚醒剤使用から平成18年12月までは使用することはありませんでしたが、平成18年12月末頃に会社でのトラブルから覚醒剤を使用し始め平成19年10月まで、ほぼ毎日覚醒剤を使用する生活となり、会社へは出勤することが全く出来なく会社への関心も失せ会社の現金もほとんど使い込んでしまい翌年平成20年10月(40歳)頃に会社は倒産してしまいました。
会社解散の手続きを終えて平成20年12月頃実家へ戻り生活をしていましたが、『幻聴』『対人恐怖』などの為、仕事に就くことを考える余裕は無く、『引き蘢り』となってしまいました。
実家暮らしでは、両親や家族には『幻聴』『対人恐怖』などの症状については一度も相談する事はできず平成23年7月頃(43歳)に家族からの説得で『社会復帰』を強制され実家を出る事になり平成23年7月頃に知人の所有するアパートを借り一人で生活をすることになりました。
ハローワークで『ヘルパー3級』の支援制度を受けましたが『通勤』途中に『パニック状態』が頻繁に起こり、2週間で『退学』してしまいました。
貯金は全くなく、『クレジットカード』を一枚所有していたので平成23年7月から平成23年12月までキャッシングをしながら仕事を探す日々を送っていたところ限度額が一杯になり『これ以上生活は無理』と考え、両親に相談し『滞納家賃』として6万円を借受ました。
しかし、行き詰まった生活はどうにも変える事は不可能だと判断し、その日に覚醒剤を購入し使用しました。
3日間使用した頃『神の声』が聞こえたりする『幻聴』や『幻覚』『被害妄想』が酷く起こり、パニック状態の中、無意識のうちに『自傷行為』をしてしまい近所の通報で『保護』されました。
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平成23年12月7日から
平成23年12月7日まで
受診:した
医療機関名:独立行政法人国立精神・神経医療研究センター
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自傷行為により40数針の外傷手当の為に独立行政法人国立精神・神経医療研究センターへ搬送。
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平成23年12月8日から
平成23年12月30日まで
受診:した
医療機関名:八王子平川病院
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外傷手当処置後に八王子平川病院へ移送され東京都知事命令で『措置入院』となりました。
完全閉鎖病棟で3週間入院し、妹の紹介で東京DARCの職員の方を面会につれて来てくれたおかげで『初めて覚醒剤中毒、依存症』なのだと認識しました。
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平成23年1月中旬から
平成24年10月中旬まで
受診:しない
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措置入院退院後東京DARCへ週二回ほど通所し、NAへも参加しましたが翌日(平成22年1月中旬)の朝方に『調布警察』から5人の刑事が来て自宅で『逮捕』されました。
その後、『立川拘置所』へ移送され、平成22年10月中旬に栃木県『黒羽刑務所』へ移送されました。
『幻聴』は既に『日常化』していましたので、特に刑務所内では専用の処方薬などは希望せず『睡眠薬』のみ処方されていました。
刑務所内ではDARC職員のもと『薬物依存離脱指導プログラム』を受けました。
平成24年10月中旬(44歳)に黒羽刑務所を出所し、アルバイトをしましたが『幻聴』『対人ストレス』『被害妄想』などのストレスで1~2ヶ月程度で退社することを2回ほどしました。
平成25年8月(45歳)から親戚の誘いで韓国釜山へ一時移住して飲食業をしましたがストレスの為に過度のアルコールの摂取が日常化し『幻聴』など酷くなり対人関係が上手く築く事が困難になり平成26年1月(45歳)に帰国しました。
帰国後DARCの職員からの誘いで『八王子DARC』へ通所しましたが、金銭的な理由と『ストレス』から数回で辞めてしまいました。
平成26年7月から『幻聴』や『対人ストレス』などの問題を解決する為に精神科への通院を考えました。
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平成26年7月中旬から
平成26年8月中旬まで
受診:した
医療機関名:東京都立松原病院
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覚醒剤の欲求は特にありませんでしたが『幻聴』は日常的にあり生活上では『慣れて』しまっているので特に差し支える事はありませんが、常に『頭の中の誰かと対話』をしている状態なので『疲れ易く』『深く考え込んでしまう』ことがあると主治医に説明したところ、『あくまでも』平成16年6月28日のカルテから判断せざるを得ないと『アルコール依存症』による後遺症と『診断』されました。
初診時に『統合失調症』と告知された事を説明すると、カルテが古く乱雑な手書きなうえはっきりとした見解が書いていない…という理由で『アルコール依存症』としての治療を進められましたが、『統合失調症』の認識から『アルコール依存症』に変更され、事情を計15時間以上説明して『都立豊島病院』からの『紹介状』のコピーの存在がわかり、主治医と局長と事務部長との4者会談で謝罪され『覚醒剤依存後遺症』を含めた『多剤精神作用物質使用による精神および行動の障害依存症候群』という『診断書』を作成することになりました。
自分の病気の原因がはっきりしないので不安が増大し病院内で大声で騒ぎパニック状態となり、病院を変える旨を伝えDARCの職員や妹の進めで独立行政法人国立精神・神経医療研究センターへ『紹介状』を書いて頂き転院しました。
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平成26年8月中旬から
平成26年11月現在まで
受診:した
医療機関名:医療機関名:独立行政法人国立精神・神経医療研究センター
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現在は、主治医の先生や『薬物依存症』などの治療方法があっているせいか『アルコール』を飲まないでいられる日が増え『薬物』に対する欲求も減りつつあります。
毎週木曜日の受診は10分程度主治医と一週間の間にあった精神的な変化などを相談し、その後10人程度が集まって行う『グループセラピー』はDARC職員も参加している事もあり安心して回復できる場所となっています。
『幻聴』『対人ストレス』に関しては、『後遺症』として残るということなので特別な薬は処方を希望せず、『睡眠薬』のみお願いしています。
発症が酷くなった平成18年12月末頃ころから、ほとんど仕事ができず『社会』から孤立した状態が続いています。
金銭的な問題と病気の『自覚』『認識』『受け入れ』などが原因で通院することが出来なかった事が病状を悪化させた原因だと考えています。