7月10日(木)池上文化センターにて 参加者10名
~テーマ~
①雨を楽しむ 雨の発見
②叱ると怒る
③子育てのうた
④子ども発見
⑤子どもの絵を聴く
~先生のお話より~
「公教育と私教育について」
子どもたちの発達を社会的に支えるのが「公教育」だとすると、「私教育」は家庭や私塾における個を育てる教育といえる。
公教育は平等性を重視し、同じように発達させるのが目的。
同じように学べるもの、それは目に見えやすいものである。
つまり、知的教育である。
そういう見える教育は進んだが、心は見えない(見えにくい)ため、発達が遅れている。
そのためにいろいろな問題が起きてきた。
それぞれの個を育てるのが、私教育であるのだが、私教育も公教育と同じようになってきた。
子育ては本に頼るようになり、マニュアル、カリキュラム化した。
我が家における我が子の教育ではなく、本に書いてあるとおりでないと、心配するようになった。
我が子を他の子と比べて、同じように育っていないと怒ってしまう親が増えた。
これは、親個人の問題ではなく社会の問題である。
「叱る」ということを考えてみると、子自身のために叱るのではなく、一般的な成長と比較して叱っていることが多いのではないかと思う。
叱るのには親の理屈があるだろう。
子どもが考えていることより、もっと大事だと思う親側の理屈である。
一方、子どもの側にも子どもの正当性がある。
しかし、それは無視される。
親の正義が子の要求を無視するのである。
怒鳴ったり、威圧的に接すると子どもは頭を下げるが、それで子どもの何が育つのだろうか。
叱らないで育つ発達内容と、叱って育つ発達内容はどう違うのかを掴んでおく必要がありそうだ。