夏休みに入る前、我が家のみかんの鉢にまたアゲハが卵を産みました。久しぶりだったこともあり、特に三男が成長を楽しみにしていました。白黒の状態から緑色に変化し、どんどん大きくなって、もうすぐさなぎになると楽しみにしていたある日、
夫 「大変だ!アオムシがアシナガバチに食べられてる!」
その声に次男と三男が大急ぎで外へ
私 「パパ、蜂を追い払ってあげてよ。」
夫 「もう手遅れという感じ。ぽたぽた青い液がたれてる。」
そのグロテスクな表現に、一応アオムシを可愛がっていた私は見にいくことができなくなってしまいました。しばらくして夫と子どもたちが戻ってきました。
次男「アオムシ、あっという間に食べられた!」
科学者タイプの次男は淡々と事実を述べていました。それにくらべて詩人の三男は一番可愛がっていたこともあり、しょんぼりしていました。
三男「アオムシ、どんどん小さくなっちゃった。アオムシ死んじゃった・・・」
私 「そうかあ、それはかわいそうだったね。アオムシは早く動けないし飛べないから、逃げられないものね。自然は厳しいよね。」
三男は以前飼っていたテントウムシが死んでしまったときもとても落ち込んでいたので、もう少し気の利いたことを言ってあげたかったのに、情けないことに浮かんできませんでした。まさに食べられているその瞬間を見ることを躊躇してしまったことを後悔しました。
数日後みかんの木を見てみると、黒くてしわしわになって乾燥しているアオムシの残骸がありました。
私 「見て。これアオムシだよね。」
三男「本当だ!黒くてしわくちゃだね。しわくちゃ、しわくちゃー!」
三男はしわくちゃの歌なるものを歌い出しました。あんなにしょんぼりしてたのに、立ち直りが早いというか、やっぱり子どもには残酷な面があると思いました。
サンタママ