気づきの瞬間は
冷静に自分を見つめられるときにやってくる。
感情の波に振り回されず、
感情をセンサーとして、
その理由を見つめる。
すると
落ち込みには
「こうしたかった、こうであってほしかったという期待」が
怒りには
「普通はこうだ、こうすべきだ!という決めつけ」が
悲しみには
「私は◯◯(←ネガティブな内容)だという思い込み」が
辛さには
「こんなに頑張っているのにという無理のしすぎ」など、
感情のもとが見え隠れする。
行き過ぎた想いは重い思いとなり、
あなたの軽やかさを奪う。
期待、決めつけ、思い込み。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
パッと見よく見えるものであっても
◯◯すぎはあなたを乱すもと。
「◯◯であったら嬉しい。ただ、そうでなくても嬉しい。」
「わたしは◯◯と感じているけれど、そうでない考えもあるのかもしれない」
「こうすべきと思っていたけれど、そうでなくてもいいのかもしれない」
『視野のゆるさ』
『考えのゆるさ』 が、
あなたをバランスして、
偏りすぎをふせいでくれる。
穏やかに保ってくれる。
また、
気分のいいときならそれらをそう捉えなかったりもする。
「もともとそういう気分」だから、
「その信念」が反応して、
「その考え」が生じ、
「その感情」が生まれる。
感情に振り回されたくないなら、
そのことに気づけばいい。
①もともとの気分をよくしておく。
何事においてもできるだけ気分の良いことを選ぶ。
②好みでない感情が発生したら、
その感情を厭わず、
その感情に感謝して、
なにがそれに反応したのか?を、
感情→考え→信念と遡って気づいていく。
気づけたら、その信念を手放す。
すると、どんどん楽になっていく。
あなたらしくなっていく。
植え付けられた思想に縛られない。
気づけばあなたは自由になれる。
もともと自由なのだから。
自由だからこそ、
知らず知らずに自分の法を制定し、
自分を縛るようになったのだから。
望まない状況を起こしたアイツめ!と思っているときの自分、
なんて酷い世界だ…と思っているときの自分、
かわいそうな人たちがいる…と思っているときの自分、
だれだれのことが心配だからと言っているときの自分、
どんな顔をしている?
「そのときの気分」はナニで、
「どんな信念」が反応して、
「どんな考え」が生じ、
「とんな感情」が生まれていた?
そして、そこから離れたいのならば、
穏やかな気分でいる自分を心がけ、
穏やかな自分なら
どう過ごし、どう信じ、どう考えるかを
選んでいく。
本来の自分は輝いているから。
明るく朗らかで、
何も無理をする必要はないから。
気づき、
手放し、
選び、
本来の自分を取り戻そう