アトリエに行き始めてぼちぼち1年近く。
この春に一気に若手のクラスメイトが3人増え、ずっと一緒に描いてきたアダルトのお二人は脱退。歴史は移り変わるもの。。。
※アトリエに行き始めたきっかけの日記
http://ameblo.jp/hohoave/entry-10898916621.html
今日は頭でなく身体で描くということにフォーカスしました。頭で考えず身体で描くには、あえて短時間で描いたり(あれこれ考える隙を与えない)、なれない道具をつかったり、上下逆にしたり、利き手と反対で描くなど、わざとコントロール出来ない状況に追い込むのもアリだということで、じゃんじゃん描きました。
わたしは絵の勉強はしたことがない。ゆえに、何の手法も技法もしらないし、素手で丸腰でムテカツ流なのであります。知識がないので、頭で考える余地もない。なにより、最初のときから画伯はそれは良いことだと言ってくれるのがありがたい。
専門的な勉強をするとどうしてもバイアスがかかる。デッサンならデッサンの手法のバイアスで、強制的にかつ無意識にそのやり方が、素直な身体の感覚に先んじて処理してしまうことがあるのだと思う。もちろん勉強が悪いという意味ではありません。物事にはいろんな捉え方があるということ。
音楽と絵はそういう面でもとても良く似ている。コード理論とお仕着せのフレーズの羅列をジャズだと思っているプロのミュージシャン。ショパンのスタイル、ベートーヴェンのスタイル・・・テクニックとスタイルがゴールだと思ってしまっている音大生(と、教育者)。(自分もそうだったかそれ以下だったと思います。ほんとうはその先、なんだよね。)ダンスもそうだと山田うんさんがおっしゃっていました。おぎピーなど『ちひさんはコード進行なんかやらんでええ!』と言ってくれたのはもっけの幸い。
※バイアスについての日記
http://ameblo.jp/hohoave/entry-10944565802.html
頭より肉体優先で、というのは日常的にも心がけていることで、頭はとにかく正しい正しくないで判断したり、常識や経験というよくわからないものさしを振り回したり、世間様の評価を気にしたり、うるさい(笑)頭がうるさいと、身体感覚の声はかき消されてしまうんであります。嬉しい、恐い、といった感情も肉体のファミリーかな(動物だってもってますよね)。感情に名前をつけてラベルしてしまうと、とたんに頭に帰依して収縮してしまいますが。。。これらさえも不感になってしまう。怒りや喜びが正しさに負けてしまう。
はたして、失うものもなく、プレッシャーも恥も恐れもないがゆえに、絵ではなんとなく出来てしまう身体での表現も、音楽となると自分が30年あまりもやって来たことだけに、ヘッドギアと鉄のパンツを脱ぐのは一苦労や二苦労どころではなかったし、今ももちろんもがき中です。
絵なら、ヘタって言われてもなんでもいいじゃん!っていえることでも、自分の専門だからこそ音楽ではなかなかそうもいかなかったんだと思う。子供の頃からジャッジされ続けてきたことであり、常に自分で自分を裁くことからなかなか抜けられなかったと思います。まさに頭の大活躍。きっとアトリエでの制限のない、身体での表現が、自分の音楽活動にあたえるフィードバックは大きい。躊躇なく表現するという体験がいっぱいです。
アトリエでもわたしたちは何も習っていません。アドバイスいただいたり他の方の作品をみて刺激を受けたりはしますが、基本的に放し飼いです。画伯にも直接失礼ながら言ったことはありますが、先生と思ってない(笑)画伯もクラスメイトもみんな、表現する仲間と思って通わせていただいています、今も。
今日はコラージュもつくりました!素材はぜんぶチラシです。
これも頭ではなく直感と身体で。無計画に。
後づけでテーマを思いつきました。『拡大』
クラスメイトのマリエちゃんの作品と並べて。同じクラスでありながら、やってることもテイストも全く違いすぎて笑えました。自由です。
この春に一気に若手のクラスメイトが3人増え、ずっと一緒に描いてきたアダルトのお二人は脱退。歴史は移り変わるもの。。。
※アトリエに行き始めたきっかけの日記
http://ameblo.jp/hohoave/entry-10898916621.html
今日は頭でなく身体で描くということにフォーカスしました。頭で考えず身体で描くには、あえて短時間で描いたり(あれこれ考える隙を与えない)、なれない道具をつかったり、上下逆にしたり、利き手と反対で描くなど、わざとコントロール出来ない状況に追い込むのもアリだということで、じゃんじゃん描きました。
わたしは絵の勉強はしたことがない。ゆえに、何の手法も技法もしらないし、素手で丸腰でムテカツ流なのであります。知識がないので、頭で考える余地もない。なにより、最初のときから画伯はそれは良いことだと言ってくれるのがありがたい。
専門的な勉強をするとどうしてもバイアスがかかる。デッサンならデッサンの手法のバイアスで、強制的にかつ無意識にそのやり方が、素直な身体の感覚に先んじて処理してしまうことがあるのだと思う。もちろん勉強が悪いという意味ではありません。物事にはいろんな捉え方があるということ。
音楽と絵はそういう面でもとても良く似ている。コード理論とお仕着せのフレーズの羅列をジャズだと思っているプロのミュージシャン。ショパンのスタイル、ベートーヴェンのスタイル・・・テクニックとスタイルがゴールだと思ってしまっている音大生(と、教育者)。(自分もそうだったかそれ以下だったと思います。ほんとうはその先、なんだよね。)ダンスもそうだと山田うんさんがおっしゃっていました。おぎピーなど『ちひさんはコード進行なんかやらんでええ!』と言ってくれたのはもっけの幸い。
※バイアスについての日記
http://ameblo.jp/hohoave/entry-10944565802.html
頭より肉体優先で、というのは日常的にも心がけていることで、頭はとにかく正しい正しくないで判断したり、常識や経験というよくわからないものさしを振り回したり、世間様の評価を気にしたり、うるさい(笑)頭がうるさいと、身体感覚の声はかき消されてしまうんであります。嬉しい、恐い、といった感情も肉体のファミリーかな(動物だってもってますよね)。感情に名前をつけてラベルしてしまうと、とたんに頭に帰依して収縮してしまいますが。。。これらさえも不感になってしまう。怒りや喜びが正しさに負けてしまう。
はたして、失うものもなく、プレッシャーも恥も恐れもないがゆえに、絵ではなんとなく出来てしまう身体での表現も、音楽となると自分が30年あまりもやって来たことだけに、ヘッドギアと鉄のパンツを脱ぐのは一苦労や二苦労どころではなかったし、今ももちろんもがき中です。
絵なら、ヘタって言われてもなんでもいいじゃん!っていえることでも、自分の専門だからこそ音楽ではなかなかそうもいかなかったんだと思う。子供の頃からジャッジされ続けてきたことであり、常に自分で自分を裁くことからなかなか抜けられなかったと思います。まさに頭の大活躍。きっとアトリエでの制限のない、身体での表現が、自分の音楽活動にあたえるフィードバックは大きい。躊躇なく表現するという体験がいっぱいです。
アトリエでもわたしたちは何も習っていません。アドバイスいただいたり他の方の作品をみて刺激を受けたりはしますが、基本的に放し飼いです。画伯にも直接失礼ながら言ったことはありますが、先生と思ってない(笑)画伯もクラスメイトもみんな、表現する仲間と思って通わせていただいています、今も。
今日はコラージュもつくりました!素材はぜんぶチラシです。
これも頭ではなく直感と身体で。無計画に。
後づけでテーマを思いつきました。『拡大』
クラスメイトのマリエちゃんの作品と並べて。同じクラスでありながら、やってることもテイストも全く違いすぎて笑えました。自由です。









