そして、個人的な感想としては、

「いじめが無くならないわけだなあ」

だ。

今回のイカサマ騒動は、小学校でも起こるようないじめの構図そのものだった。
誰かが何か悪いことをする。
それは、ひどく些細なものだったりする。
誰かにいたずらをした、友達と喧嘩した、忘れ物をしたなどなど。
それ自体は悪いことだったとしよう。だが、それに対して公的な罰、学校であれば教師からの𠮟責などがあれば、それでおしまいとすべきなのだが、それでは済まないことがある。

それでは足りないと感じた子供、それにかこつけていじめたい、罰と称していじめたいと思った子供がいじめを始める。

まさに、この構図が描かれた。しかも、描いたのは大人―子供を持つ大人―だ。

これではいじめなどなくなるはずがない。なくなったらその方が不思議だ。

「悪いことをした人間にだったら何をしてもいいわけではない」

たったこれだけのことが分からなかったようだ。
そして、もしこれが正しいのなら、「魔女狩り」「リンチ」「いじめ」という「悪いこと」をした人たちに俺は何をしてもいいということになるが、それでいいのだろうか?

そして、それに対して人は俺に対して何をしてもよく、それに対して別の人間はその人に何をしても…という負のスパイラルが始まるがそれでいいのだろうか?

これこそまさに、それらが許されていない理由なのだが。

「復讐するは我にあり」

それを戒めた聖書のこの言葉は、ドラマのタイトルになり有名になった。

もしも、今回「魔女狩り」を行った人たちの子供が誰かをいじめたとして、それを誰かがとがめたとしたら、こう答えるだろう。

「親がやっていたことを真似しただけ」

最後に、これを読んでいるのが「見せしめには効果がある」と思っている人ならば、あなたに聞きたいことがある。

これまでに、いじめによる自殺者というのは何人も出てきている。

それはまさに、「いじめをするとこうなるぞ」という「見せしめ」だったはずだ。
さらに、魔女狩りによる悲劇も今更言うまでもない。「魔女狩りするとこうなるぞ」というメッセージは中学校の歴史の教科書を開けばいくらでも出てくる。

それにもかかわらず、魔女狩りに、いじめに走ったのはなぜなのか?

なぜ「いじめを、魔女狩りを、行うと悲惨な結果になるぞ」というメッセージはあなたに有効ではなかったのか?

これは、「見せしめには効果がある」としたいのなら、必ず避けては通れない問いだ。

だから答えてくれ。
もし答えないというのなら、あなたには、フェアプレーの精神さえない。

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