絵を描き始めた。
と言っても、本格的に始めたわけではなく、手近にあるものの写生をしているだけのものだ。
理由は、昔から「絵がうまい」ということに憧れがあった。
俺は昔から絵が下手で、美術は(学力はそれなりにあったので)ペーパーテストで稼いでようやく3だったぐらいだ。
実際、人からは馬鹿にされるわ教師から「絵画教室に行った方がいい」と言われるわさんざんな言われようだった。
そういうわけで、今までずっと絵をかきたいなんて思うこともなく、むしろ可能な限り避けてきたのだが、ここ最近、特にツイッターを見ていると二次創作がとても楽しそうで、「俺もこんな風に描けたら…」と思うようになった。
そんなときにあるツイートを見つけた。
プロのデザイナーが先輩から教わったというもので「毎日1つ手元にあるものをデッサンする」というものらしい。
曰く「これを続けるとすごいデザイナーになる」
「絵がうまくなりたい」と思いつつ、何から始めればいいのかよくわからず何も始めずにいた俺にとって、目からうろこが落ちた気分だった。
「そうか、そういうちょっとしたところから始めればいいのか」
このアドバイスはデザイナーにしたものだから、絵の基本ができている人に向けたものだろう。
俺がそれを実践したところで目覚ましい成長をするわけでもないだろう。
ただ、何もわからなかった俺にはちょうどいい。
本当はデジタル絵、つまりPCで描きたいのだが、そのために必要な機器もPCのスペックもよくわからない。
道具がそろうのを待っていたらいつまでたっても何も始められない。
だから今持っていたレポート用紙にシャーペンで描きはじめた。
描いたのは
タンブラー
爪切り
タバスコのラベル
本当に些細なもののスケッチだが
楽しい。
何が楽しいか。
だれからも文句も何も言われないことが楽しい。
昔、人が絵をかいていたら、「そこおかしい」「下手」「こう描くんだ、かしてみろ」などと親やら教師やらからいろいろ言われてひどく不快だった。
今は誰からも言われない。
その思い出を思い出しながら描くとひどく気分がいい。
やはり、人を不快にさせるということは、ただやる気をなくさせるだけで結局誰のためにもならないのだな、と感じる。
そんな思い出と比べて、今の楽しさが続く限りはこれを続けていきたい。
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と言っても、本格的に始めたわけではなく、手近にあるものの写生をしているだけのものだ。
理由は、昔から「絵がうまい」ということに憧れがあった。
俺は昔から絵が下手で、美術は(学力はそれなりにあったので)ペーパーテストで稼いでようやく3だったぐらいだ。
実際、人からは馬鹿にされるわ教師から「絵画教室に行った方がいい」と言われるわさんざんな言われようだった。
そういうわけで、今までずっと絵をかきたいなんて思うこともなく、むしろ可能な限り避けてきたのだが、ここ最近、特にツイッターを見ていると二次創作がとても楽しそうで、「俺もこんな風に描けたら…」と思うようになった。
そんなときにあるツイートを見つけた。
プロのデザイナーが先輩から教わったというもので「毎日1つ手元にあるものをデッサンする」というものらしい。
曰く「これを続けるとすごいデザイナーになる」
「絵がうまくなりたい」と思いつつ、何から始めればいいのかよくわからず何も始めずにいた俺にとって、目からうろこが落ちた気分だった。
「そうか、そういうちょっとしたところから始めればいいのか」
このアドバイスはデザイナーにしたものだから、絵の基本ができている人に向けたものだろう。
俺がそれを実践したところで目覚ましい成長をするわけでもないだろう。
ただ、何もわからなかった俺にはちょうどいい。
本当はデジタル絵、つまりPCで描きたいのだが、そのために必要な機器もPCのスペックもよくわからない。
道具がそろうのを待っていたらいつまでたっても何も始められない。
だから今持っていたレポート用紙にシャーペンで描きはじめた。
描いたのは
タンブラー
爪切り
タバスコのラベル
本当に些細なもののスケッチだが
楽しい。
何が楽しいか。
だれからも文句も何も言われないことが楽しい。
昔、人が絵をかいていたら、「そこおかしい」「下手」「こう描くんだ、かしてみろ」などと親やら教師やらからいろいろ言われてひどく不快だった。
今は誰からも言われない。
その思い出を思い出しながら描くとひどく気分がいい。
やはり、人を不快にさせるということは、ただやる気をなくさせるだけで結局誰のためにもならないのだな、と感じる。
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