相対性入門のアップを終えたところに、その内容を使えるこんなツイートを見つけた。

小学生を宗教裁判にかけられたガリレオの気持ちにさせる高度な授業

「時間がたつと、かげのむきがかわるのはなぜですか。」

というテスト問題に対し、子供が「地球がまわるから」と答えている。(「きゅう」の字が変なのはご愛敬)

それに先生が×をつけて青字で「太陽が動くから」と修正し、赤字で「学習したことを使って書きましょう」と注意している。

ツイート主のコメントにはおそらく、「影の向きが変わるのは地球の自転が影響しているからであって、太陽は関係ない。太陽が動くというのは天動説だ」という考えが念頭にあるのだろう。

さて、ここには三人の登場人物がいる。教師、小学生、ツイート主。正しいのは誰だろう?

実は、全員正解ともいえるし、全員不正解ともいえる。

これまで見てきたように「動く」というのは相対的なもの。

何を基準にして「動く」とみなすかによって違う。

そういう意味で言うと、「太陽が動くから」という教師の指摘は、地球を基準にして考えれば正しい。地球が「止まっている」とみなした場合、「動いて」いるのは太陽だからだ。

そして、小学生とツイート主の答えは、これは当然正しい。太陽が「動いて」いるのは地球の自転によるもの。

「自転」というのは、太陽を基準にしたものではなく北極点と南極点を結ぶ地軸を基準にしたものだが、その見方をすると太陽も動いていない。

だから「地球がまわるから」というのは正解だ。

ここで重要なのは「動いているから」というのは基準によって変わるから、「動いているから」という回答はそれが「太陽が」だろうと「地球が」だろうと正解でもあり不正解でもある。

つまり、「動いているから」というのは答えとしては不適切だということ。

では、適切な回答は何か?

ひとつには「何を基準にした時か」という点をはっきりさせること。「太陽が動くから」と答えたいのなら「地表を基準にしたとき」と付け加えるぐらいのことはすべきだ。

もうひとつは、基準によって変化するものを答えに入れないこと。
この場合では、「動く」という言葉を使わずに表現すること。

一例として

「太陽と自分の位置関係が変わるから」

という言い方。

太陽を基準にしていようと何だろうと、自分と太陽の位置関係が変わっていることには違いない。(正確にはそれも相対的だが、問題文に「かげのむきがかわる」とあるので、これを否定するのはナンセンスだ)

「太陽が動くから」という答でも悪くはない。

だが、俺としては、正確に教えたほうがいいと思う。

俺が書いたこの相対性入門のような内容を教え、その上でこの問題を出す。
「動く」ということの本質と、太陽と地球の関係、太陽の見え方と地球の自転の関係をきちんと教えたほうがいいと思う。

「太陽が動くから」という答えは、間違いではないが正解ではない。

答案の画像を見る限り、小学校低学年のように見える。それぐらいの歳の子に相対性というのは理解しがたいことかもしれない。

「小学生でも理解できるように」とこのような教え方をしているのかもしれない。

しかし、だからと言って正しくないことを教えてどうするのか?

内容が高度だというのなら、むしろ望むところではないのか?
子供には、勉強ができるようになってほしいのだろう?難しいことを理解できるようになってほしいのだろう?自分の頭で考えられるようになってほしいのだろう?

ならば、高度な内容を教える方がいいのではないのか?容易に理解できること―しかも正しいわけではないこと―を教えてどうするのか?

そういうところに、俺は大人の教育方針に矛盾を感じる。

賢くなってほしいと願う一方物を教えるときはその内容を、本質を損なうほど単純にしてしまう。

「わかりやすく」と工夫するなら、説明の仕方を工夫すべきであって、内容を本来の姿から遠ざけることではないだろう。

教育関係者は一考してほしい。
そのために、この相対性入門(ひいては唯言全体)は大いに役に立つので是非読んでみてほしい(宣伝)。

下のバナーを1クリックお願いします。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村