「親の言うことは絶対だ」

よく聞く言葉だ。

これは果たして本当だろうか?

その答えを出すには「本当に親の言うことが絶対だったらどういうことが起こるか」を考えればよい。

俺がもしも親になったのなら、俺の言葉が絶対のものとして受け継がれていくことになる。

つまり、この唯言に書いたことは、今は賛否両論あるかもしれないのに、急に絶対に正しいものとして受け継がれていくことになる。

そんなばかなことがあるわけない

では次は、逆に考えてみよう。

時代をさかのぼるのだ。

俺やあなたの親が絶対だとするなら、当然その親も絶対だ。

絶対というのは間違いがないということだから、それが何世代にわたっても変わらない。

ということは、今現在伝わっている考え方は、すべて何百、何千年前と同じだということになる。

そんなばかなことがあるわけない

もしそんなことがあるのなら、人類は、いまだに天動説を支持しているし、創造論を信じているし、病気や天災は悪魔の仕業で、酒は神が創りたもうた神秘の液体で、地球は真っ平で世界の果てでは怪物が大口を開けて航海者を飲み込んでいることになる。

「親の言うことは絶対」と言うのはそういうこと。

このように、長いスパンで時間軸を観察してみれば、「親の言うことは絶対」などと言うのはばかげている。

そして、

長いスパンで見たときに間違っていることが、短いスパンで見たら正しい

ということはありえない。

もしもあったとすればそれは、

たまたまあってた

もしくは

まだ間違ってない

だけのこと。

多くの人が「現在正しいとされていたら、今後も絶対に正しい」と思っているようだがそんなことはありえない。

ただ単に、我々人類の知恵がそこまで及んでいないだけかもしれないのだから。

こうして事実を観察してみれば、「親の言うことは絶対」などと言うことは全くなく、むしろ、

人類の歴史は親の言ってることが絶対ではなかったことを証明してきた歴史

と言って差し支えないだろう。

そこを曲げて「絶対だ!言うことを聞け!」と言うのは教育でもしつけでもなんでもない。

ただの、

支配欲

虚勢

傲慢

思考停止


良い風に言ってせいぜいこんなところだ。

いい加減、人間は、特に親は、歴史から学び取ってくれないだろうか。

何度でも、この金言を贈らねばならない。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

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