「唯言」というタイトルは、実は未だに(仮)の状態だ。

ときどき、案が浮かんでは結局却下している。

最近思いついた案は「偉大な反抗期」というタイトルだ。

実に陳腐だったのでやはり却下したのだが、内容をよく言い表しているという点では問題ない。

俺のやっていることはいわゆる「反抗期」の子どもと同じに見えているだろう。

しかし、少年時代に迎える反抗期とは違う点がある。

それは

合理的に説明している

というところだ。

感情的にもならず、親憎さで暴言を吐くこともなく、淡々と、冷静に、客観的事実に基づき論理的に「なぜ親の言っていることは間違っているのか」を的確に、一つ一つきちんと説明している。

こんな偉大な反抗期を迎えた人間はなかなかおるまい。

そういう意味では、俺はずいぶん親孝行でもある。

こんな風に、「自分の何が悪いのか」を逐一きちんと説明してくれる子供はなかなかいないだろう。

さて、こんな態度に親は反発するかもしれないし、親でなくとも、親の言い分にどっぷりつかった子供は俺に対して嫌悪感を持つかもしれない。

しかし、それなら反論すればいいだけだ。

そのために、論理的に説明しているのだから。

「偉大」と俺が自分で言うのは特にその点だ。

俺は「自分の正しさを誰からも文句がでないように見せつけてやる!」と思って論理を使っているわけではない。

議論するためだ。

異論があるならきちんと主張してくれた方がいい。それで議論が深まることが最も重要だ。

そういう点でも、俺の反抗期は偉大だろう。

そして、そんな人間はそうそうおるまい、ということで、やっぱり、「唯言」というタイトルでいいのかもしれない。

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